『シンギュラリティ・オデッセイ 』-コード:ヒューマニティ-
ソコニ
第1話「完璧な幸福の裏側で」
特別育成施設の純白な廊下に、アリサ・カミヤの足音だけが響いていた。壁に埋め込まれた生体センサーが彼女の心拍数を検知し、自動で照明の明るさを調整する。「心拍数やや上昇。精神安定剤の投与を推奨します」とAIが囁きかけてきたが、アリサはそれを無視した。
「お母さん!」
待合室でユリが満面の笑みを浮かべて手を振っていた。16歳とは思えないほど背が伸び、整った顔立ちになっている。完璧すぎるほどに。
「ユリ、久しぶり」
抱きしめようとした瞬間、ユリは一歩後ずさった。施設の規則。過度な身体接触は感情の不安定化を招くとされ、制限されているのだ。
「幸福度指数、98.7です。先月の実験では全体の上位0.1%に入りました」
ユリは誇らしげに語る。その瞳は、かつて見た好奇心に満ちた輝きとは違っていた。
「そう...よかったわね」
アリサは微笑みを浮かべながら、胸の奥で何かが軋むのを感じていた。5年前、遺伝子解析で「特別な才能」と認定されたユリは、彼女の元から連れて行かれた。シンギュラリティ連邦の法律では、それが最善の選択とされている。
「私、新しい実験に選ばれたの」
ユリの声が弾んでいた。
「どんな実験?」
「それは言えないの。でも、人類の進化に貢献できるんだって」
監視カメラの赤い光が点滅する。面会時間は既に超過している。
「また来るわ」
アリサが立ち上がると、ユリは完璧な笑顔で応えた。
「はい。また会えるのを楽しみにしています、母さん」
帰り道、アリサは施設のデータベースにアクセスしようとした。AIシステム開発者としての彼女には、ある程度の権限がある。しかし、新規実験に関するデータは全て暗号化されていた。
自宅に戻ると、壁一面のスクリーンに「本日の幸福度指数:82.4 要観察」という警告が表示されている。アリサは、引き出しに隠してある紙のノートを取り出した。アナログな記録は、完全なデジタル管理から逃れる唯一の手段だった。
そこには、この3ヶ月で特別育成施設から「卒業」した子どもたちの名前が記されている。そして、彼らの多くが、その後消息を絶っていた。
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