世は無情? ~義理も人情も欠いた江戸っ子に、なにわの商人は財布の紐を固く固く縛ります

藤瀬京祥

第1話 尚子の離婚

「しゆりちゃん、ちょっと相談があるんだけど……」


 そんな電話があってほどなく、東京に住んでいた従姉妹が離婚をして、わたしがいる大阪に来た。

 だがいわゆる都落ちとはちょっと違うかもしれない。

 そもそも従姉妹は東京の出身ではない。

 それどころか大阪の出身でもない。

 九州の出身で、大阪には大人になってから母親とともにやってきた。


 理由は知らない。


 わたしの母親の妹である彼女の母親は若くに夫を亡くしており、女手一つで三人の子どもを育てた。

 とはいっても当時は祖母、つまり姉妹の母親が近くに住んでいたはずだから、全くの一人で育てたというわけではないだろう。

 ひょっとしたらその祖母が亡くなったから、叔母は姉であるわたしの母を頼って大阪に来たのかもしれない。


 従姉妹の牧田まきた尚子しょうこは三人兄弟の真ん中で、兄の富田とだ吉典よしのりと弟の富田とだ喜代志きよしがいる。

 二人ともすでに結婚していて、吉典は今も九州に。

 おそらく地元に住んでいるのだろう。

 弟の喜代志は静岡あたりに住んでいると聞いたことがある。

 そして尚子も結婚をして東京へ移り住んだ。

 どうやら元夫の牧田まきた勝基かつきが東京の出身らしい。

 尚子は勝基の地元で暮らしていたらしく、近所には義母と義姉が住んでいたという。


 大阪と東京で尚子と勝基がどうやって知り合ったのか知らない。

 彼女が結婚したこともずいぶんあとになって知ったし、子どもが生まれたことも、二人いることも知らなかった。

 つまりわたしと尚子もその程度の付き合いだったわけだが、離婚をした尚子はわたしを頼って大阪に戻ってきたのである。


 一応理由は聞いている。


 実は勝基の姉は障がいがあり、障がい者福祉施設に通いながら義母と二人で暮らしていたらしい。

 だが現役で働いていた義母が事故に遭って入院し、義姉の世話が出来なくなってしまったという。

 しかも退院後も後遺症が残り、義母にも介護が必要になったのである。


 介護要員はもちろんだが、義母の夫、つまり勝基の父親もすでに亡くなっているため経済的にも大変なことになったわけだが、夫婦の長女真矢まやは高校生。

 長男の透也とうやも中学生でなにかとお金が掛かる。

 尚子も介護施設でパートをしていたらしいが、義母や義姉の介護に家族の世話。

 それに家事まで一人でこなすなんて無理な話だが、勝基は一切手伝おうとしなかったという。


 亭主関白


 話を聞いたわたしは、これが噂に聞く亭主関白かと呆れた。

 そんなものが実際にいるということにも呆れた。

 ただただ呆れた。

 労力搾取も限界値のブラック企業に呆れる以外、なにがあるのか? ……というくらい呆れた。


 もちろん大阪にいるわたしには実際の状況なんてわからない。

 当然夫婦が離婚に至った経緯も詳しくはわからない。

 だが彼女は離婚を決断し、二人の子どもを連れて大阪に戻ってきた。


 この直前にわたしは彼女と改めて話をした。

 住むところなど生活の基盤を整える手伝いはするが、子どもの世話はもちろん、経済的な援助は出来ないと。

 わたしにはわたしの生活があり、これは先にも言ったけれど、わたしと彼女はそこまで親しくしていない。

 自分の生活や将来を犠牲にしてまで彼女を助けたいとは思わなかった。

 だからあらかじめその点ははっきりと告げた。

 それでも彼女は大阪にやってきたのである。


 幸いにして住むところはすぐに見つかったし、介護業界は常に人手不足である。

 経験者の彼女はすぐに正社員として雇用された。

 だが夜勤の時に子どもたちの世話をして欲しいというお願いは断った。

 中学生と高校生なら一晩くらい姉弟で過ごせるはず。

 食事の支度だってあらかじめ用意しておけばいい。

 電子レンジで温めるくらい小学生でも出来るだろう。

 それなのに彼女は、自分が夜勤の時は家に来て子どもたちの面倒をみて欲しいと頼んできたのである。


 断った


 夜は風呂と食事の用意をしてやり、片付けをして、朝は起こして弁当と朝ご飯を作ってやる。

 そして二人が学校に行くのを見送ったあとは、出来たら片付けと掃除と洗濯をしておいて欲しいって……


 いやいやいや、夜勤明けに自分でやれ!


 全くもってとんでもないお願いだと思った。

 なぜ仕事から疲れて帰ってきて他人の子どもの世話をしなければならないっ?

 次の日もわたしは仕事があるのだがっ?

 わたしにも自分の家の家事があるのですが?

 というか年齢的にも、自分のことは自分でさせればいい歳なのでは?


 なぜ?


 どうもきな臭さいというか、胡散臭いというか……いや、ひょっとしたら世の中ではこれを香ばしいというのかもしれない。

 どの表現が正しいのかよくわからないが、とにかくなにか臭う。

 それもいい匂いではなく嫌な臭いが。

 思い返してみれば、義母と義姉の介護に追われながら家族の世話に家事と尚子が多忙を極める中、夫の勝基はなにもしないと尚子は話していた。


 子どもは?


 二人の子どもはなにをしていたのだろう?

 もちろん高校生と中学生だから日中は学校に行っていたはずだが、夜や朝は?

 朝はともかく、晩ご飯の後片付けくらいそれぞれ自分で出来るはず。

 風呂の用意だって出来るだろうし、自分の洗濯物を片付けるくらいのことも出来るはず。

 まさか忙しい母親を尻目に、まるでなにもしていなかったのだろうか?

 これからもなにもしないつもりなのだろうか?

 それどころか忙しい母親に代わって親戚わたしに世話をさせようとしている?


 ちょっと待て、これは……


 地雷のようなものを見つけてしまったので、わたしは尚子親子の生活基盤が落ち着くと距離を置くことにした。

 仕事が繁忙期に入るのもあって丁度よかった。

 毎朝六時に家を出て、帰宅は夜十一時過ぎ。

 朝、家を出る前になんとか洗濯機だけは回して干し、会社で残業をしながら晩ご飯を食べると、家に帰ったら洗濯物だけ片付けてあとは風呂に入って寝るだけの生活である。

 とてもではないが人の家庭を気にする余裕なんてあるはずもない。

 こんな状態がひと月続けば十分すぎるほどの距離を置くことが出来た。


 ただ、急に大きな出費があった時だけは一時的にお金を貸すことはあった。

 これは尚子が生真面目な性格で、貸したお金は必ず返すとわかっていたからである。

 冷たいと言われるかもしれないが、正直に言えば子どもたちのことはどうでもよかった。

 だが尚子が子どもたちのために頭を下げるから、彼女を信じて、彼女のためを思って貸したのである。

 実際に貸したお金はきちんと全額返ってきたが、どこをどう勘違いしたのだろう?

 このことを知った彼女の子どもたちが大きな勘違いもとに、わたしにとんでもないことを言ってくるのである。

 その切っ掛けとなったのは、突然の尚子の死だった。

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