第21話 一言


 今し方、緊張の面持ちで審査にのぞんだ四人組のバンドが演奏を終えて、不安そうに教師陣の様子を窺っている。

 彼等の緊張がこちらに伝わる程に重苦しい雰囲気だったが、そんな空気を割くようにして教師陣が評価を下した。


「はい、問題ありませんね。当日は頑張ってくださいね」


 合格の返事に当人達は大喜びで、皆はガッツポーズをしたり肩を叩きあった。

 その様子に僕まで嬉しい気持ちになってしまい、ついつい笑みを浮かべてしまう。


「では次の組、どうぞ」


 そんな最中、次を催促する言葉と共に室内にいた人物全員の視線が僕達へと集った。


 生徒達も、そして教師達も、僕達を場違いな存在のように見ていて、中には笑っている人もいた。

 しかしそれも当然かもしれない。

 何せ僕はギターケースを背負って登下校していた〈女児男子〉で、サイコなんかは〈退学候補生〉だのと揶揄やゆされ、虎徹先輩は普段から徹底して目立たずに生活を送る〈沈黙巨人〉だ。


 だから僕達の存在に疑問を抱くのも自然だったけれども、今、この場には軽音部の人達の姿もある。

 彼等の視線は他の人々とは違った。それもこれも彼等には一度、僕とサイコの演奏を聴いてもらった過去がある。


 曰くは「勘違い野郎」と侮蔑され、そんな彼等に再び演奏を聴いてもらうとなると少々の気まずさがあったけど、僕の胸中を察するようにサイコと虎徹先輩が両隣に立ち、僕の肩を叩くと笑みを浮かべる。


「さっさとやろうぜぇ、アキラぁ……この空気、どうにもこうにもウゼエしよぉ」

「んだな。ほれ、いくぜ、アキラ」


 それは「お前は一人なんかじゃない」といわんとするかのような言葉に仕草だった。


 僕よりも先に踏み出した二人はそれぞれの得物を手にする。

 サイコはいつもの五弦を、虎徹先輩は自前のスネアにキックを。

 二人は手慣れた動きでセッティングを始め、その様子に生徒達も教師達も意外そうな顔をする。


「おいおい、本当に弾けんのかね、あの〈退学候補生〉。しかも五弦だぜ?」

「な、一丁前を気取ってさ。どうせ碌に弾けねえだろうに」

「虎徹って楽器やんの? お前知ってた?」

「いやぁ、知らねえ。でも、なんか空気あるよなぁ……」


 耳に聞こえる侮蔑や疑問の数々。

 それらはやはり、僕等の存在が受け入れられないかのようで、蚊帳の外にあるようにすら感じる。


 いつもの僕なら彼等の言葉に俯いたり怖気づいたり尻込みするだろう。

 だが僕の両肩にはサイコと虎徹先輩から分けてもらった熱がある。

 それを実感すると、僕の中にあった怖気おじけや心配といった感情は掻き消えた。


 だから僕もいつも通りにそうする。

 相棒のジェット改を手に持ち、エフェクターボードを足元に配置し、自分の背にあうようにマイクスタンドを調整する。


「えー、と……あなた達、三人でいいのよね?」

「はい、そうです、先生」

「あ、そうですか。でしたらその、今から披露して頂きたいのは一曲だけで――」


 一名の教師の言葉を遮るように低音が空間に生まれ落ちた。

 それはサイコがベースを鳴らした為に生じた音だったが、彼女はいつものように、己の感覚を確かめるべく左右の指を動かす。


 聴き慣れた、サイコの得意とするキーから始まるペンタトニックだった。

 圧倒的な音の質感に無視出来ない程の存在感、そして説得力。

 それまで小馬鹿にしたように笑っていた生徒達も、不真面目で不良じみた彼女を嫌う教師達も、誰もが目を見開いた。


「狭いなこりゃ……つかベーアン近ぇわ。もう少し音を絞るか向き変えてくれよ、サイコ」

「あぁ? 狭いのは手前の図体の問題だろうがよ、テツコぉ」


 そんな彼女に続くかのように虎徹先輩が適当にドラムを叩く。

 キックを蹴りつけて普段の感覚を確認しつつ、各太鼓や金物の位置を調整しつつ、彼は頭に浮かぶだろうフレーズを叩き、複雑なフィルを叩くと、いよいよ誰もが前のめりになった。


「は? 冗談だべ? ベースやばくね?」

「つかドラムもやべえよ、リムショットの音圧どうなってんだ、すげえパワーあるぞあいつ」

「はぁ、マジか? 全然そんなんやる風に見えねえじゃん、あのヤンキー女も強面野郎も」

「虎徹うっま! 何あれ、陰の実力者的なやつ? 渋いことすんねぇ、あいつ……」


 空気がざわつくのを感じる。言葉の数々が耳に入ってくる。

 だが何一つ気にならない。

 騒がしい空気を無視してアンプのセッティングを終えると、僕は迷いもなくピックを滑らせた。


「おー。元気いいなぁ、アキラぁ……」

「気合い入ってっけど、あんま力むなよ? 適当でいいんだ、適当で」


 ジェット改の機嫌は今日もよかった。

 素直に出力される音に僕は笑みを浮かべつつ、得意のマイナーペンタを指先でなぞり、弦の感触をピックで確認するようにアドリブを奏でる。


 生まれ落ちたディストーションサウンドに僕は満悦の表情で、少々気合いを入れるべく頬をペチペチ叩くとサイコと虎徹先輩は面白そうに笑った。


 そうして一度深呼吸をし、一寸の瞑想を挟むと目を見開き、振り返って教師陣の顔を見た。


「はい、一曲だけですよね! 分かりました! 大丈夫です!」

「いやいや気合い入り過ぎだわ! まだやる前だってのによ、ぎゃはは!」

「微妙にマイク位置たけえしな、ははは……まぁ構わんべや」


 確認の為にそういうと、教師陣は言葉もなく頷くだけで、他の生徒達は先よりも距離が近い位置にまで迫っていた。


 誰もが懐疑的な瞳だった。

 或いは夢でもみているのかと自分自身を疑うかのように目をパチクリとしている。

 そんな様子が面白くて、可笑しくて、僕は笑みを零しながらに二人へと視線を送る。


「うん、やろう」


 その一言だけでいい。

 他に必要な物があるならば全て音にしてしまえばいい。

 それが僕等にとって一番伝わりやすい方法だ。

 だから余計な言葉もやり取りも生まれない。


 ドラムが四発のカウントを叩く。

 それと共に僕とサイコは同様のリフを刻み、呼吸のあった出だしの圧力に説得力といえば絶頂に達する程に気持ちがよかった。


 たったの一曲でいいと先生はいった。

 では何を演奏しよう、どうやったら合格点を取れるか――なんて、そんな不安もない。


 何の曲でもいいのなら、僕はその曲でいいと思った。

 二人に認められた曲。僕に歌を任せるといってくれた曲。


 僕の敬愛する、最も身近にある化け物の曲。


「あ、これ、あのバンドの――」


 誰かの呟きだったけど、それをも掻き消して僕は歌を紡ぐ。


 ミドルテンポと不穏な空気感から始まるこの曲は、きっと、僕等という人間性を語るに相応しい楽曲かもしれない。


 生きる上で誰もが抱く疑問。そこから生じる哲学。

 或いは世に対する不信感。ないしは己への無力感。


 人間臭い曲で、なんだって姉のような化け物がこんな曲を書いたのかが分からなかった。

 でも、それはきっと、彼女が化け物だからだと僕は分かった。


 凡そ普通とは遠い位置にある彼女は、いつだって孤独だったろう。

 圧倒的な才能と非凡の域にあるセンスを持ちはするが、それ故に人と分かり合う事は難しかったんだろう。


 それはサイコや虎徹先輩も同じだと思った。


 二人の本当の姿を誰も知らない。

 それは二人が他者に語らず、ひたすらに音楽だけを見つめていたからかもしれない。


 それでも二人の本当の姿を知って欲しくて、僕は校内音楽祭のバンド発表に出たかった。


 分かってもらえないかもしれない。

 やっぱり讒謗ざんぼうや非難が生まれるのかもしれない。


 でも、それでも、絶対に伝わる物がある筈だ。

 姉がこの曲を書いたように、そしてそれが多くの人々に伝わったように、心の底から音を紡げば、きっと伝わる筈だ。


「っ――……以上です」


 演奏は終わった。

 誰の反応も気にせず、ただ真っ直ぐに、サイコと虎徹先輩だけを信じて必死にギターを鳴らして歌を紡いだ。


 軽く浮いた汗を拭いながら、僕は近くにいた教師の一人へと視線を送る。


 室内は無音だった。誰も何もいわないし動きもない。

 ただ、今し方問われた教師は、我に返ったようにはっとすると、少々の困惑を抱きつつも、やっとのように言葉を口にした。


「ご、合格、合格です。お見事でした、実にっ」


 その言葉が室内に響くと、他の生徒達も教師達も、誰もが驚きの表情に顔を変化させて、隣り合う誰かと言葉を交わす。


 様々な感想が口にされる最中、僕は寄せられる数多の視線を気にもせず、ただただ歓喜の表情で、両隣にやってきたサイコと虎徹先輩を見上げると、二人の手を取って「やった!」と大声で喜びを叫んだ。

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