第1話 女児男子
長い坂道を登りながら、僕は受験後に初めて通学路の過酷さに後悔していた。
入学から一週間、通い慣れるにはまだまだ歴史も経験も浅い。
それでも新生活というのは刺激に満ちているものだから、そういった苦労も大した問題ではないのかもしれない。
けれども、僕の後悔というのは他にもあった。
「お、アキラちゃんおはよう!」
「今日もかわいいねー、宮本アキラちゃぁん? あはは」
生まれついて華奢で低身長だったし、顔付きを女児と
それらはもう、否定もせず受け入れるくらいしかやり過ごす手段はないから、適当に頷くとか乾いた笑いを零すくらいだった。
ただ、新たな学友の皆は、中学時代までの生徒達とは全く勝手が違う。
大人に一歩近づいた高校生というのはどこか浮足立っていて、大人の仲間入りを果たした物だと皆は似た感覚を抱いているようだった。
それだから、皆は成長期の欠片も伺えない僕を見て、ないしは未だ幼い風貌を笑って小馬鹿にしてくる。
苛立ちはあるし
それでも、全てに反応をしていたら疲れてしまう。
だから僕は、やっぱり乾いた笑いを零して対応するだけだった。
「あんま馬鹿にすんじゃねえよ、失礼だなお前ら」
そういった、周囲に対する後悔というか落胆はあるけれど、以前からの友人もいるから苦痛とまではならない。
教室に辿り着き、早々に馬鹿にされる僕の背後に立った人物は苛立った声色で周囲の生徒達に文句をいった。
「あ、おはよう、鈴美」
「おう、おはようさん。ほれ散れ散れ、馬鹿共が。朝っぱらから鬱陶しいわ」
鋭い
彼に睨まれると他の生徒達は二の句もなく撤退して、その光景に呆れたように
「高校に入ってからやけに絡まれるようになったなぁ、お前も」
「そうだねー……やっぱりチビだからかな」
「それもあるかもしれんけど……女子の代用とでも思ってんのかもな。阿呆らしい……」
ほれ、と促されて僕は自分の席へと向かう。
通学カバンを机の上におき、そうしてから背負っていた別の荷物を静かに降ろした。
「そんで……今日こそは軽音部に顔を出すのか?」
「う、うん、見に行こうかなって、思ってるんだけど……」
背負っていたのは僕のギターだった。
入学から一週間が経った今、僕は未だにどこの部活に所属するかを決めかねていた。
ギターケースを背負う姿からして、きっと当然のように軽音部を希望するものだと誰もが思うだろう。
しかし、僕は今に至っても軽音部に顔を出しもせず、毎日毎日ギターケースを持ってくるだけで、全く意味のない行動をしていた。
「そうもビビるなよ、何が不安なんだ?」
「その……軽音部でもからかわれるようだったらって想像するだけで、少し……」
「そうか……」
後悔の一つに、何故にさっさと
理由は先の通りで、僕は音楽部に入部するでもなく、まして顔を見せることもせず、無為にギターを背負って登校していた。
そんな行動を同学年の人々や、或いはその光景を見た上級生なんかは「幼女みたいな男子がギターを背負って登下校をしている」なんて笑い
「なら諦めるか? 何も軽音部だけがバンド活動じゃあないんだしよ」
「そうだけど、でも……目標だったから」
「そうだな、ずっといってたもんなぁ……」
ギターは僕が小学生の頃から続けている特技だった。
中学に軽音部はなかったから誰かと音楽活動をする機会は少なくて、一種の憧れというか、歳の近い人達とバンド活動をしたいという目標があった。
けれども熱望した高校生活を前に、僕は及び腰になった結果、今に至る。
曰くは〈
「こうなると俺が楽器の一つも出来りゃよかったんだけどなぁ」
「ううん、そんなことないよ。それに鈴美には救われてるもん」
「救いかねぇ……いずれにせよ、こうなりゃ外でバンド組んだ方がよっぽど――」
机に座って鈴美と会話をしている最中、突然彼の言葉を掻き消す程の怒号が響き渡った。
「おい
それは校門から届いた台詞だった。
とんでもない声量を耳にして教室の生徒達は窓辺に駆け寄り、一体何事だと騒ぎ始める。
「その超ミニのスカートも! ピアスも! そもそもの髪のインナーカラーも! どうなってんだお前は、何度注意を受けたと思ってる!」
そこには真正面から対峙する光景があった。
顔を真っ赤にして説教をするのは大柄な体育教師で、これまた強面もあってか生徒達からは恐れられていた。
けれども、それと対峙する生徒は同じくらいの背丈をしていた。
遠目から見ても分かるのは背の高さだけではない。長く黒い髪からは時折にインナーカラーだろう紫に、耳元には光に反射する複数のピアスがある。
その女生徒は説教をされているにもかかわらず、全く動じず、どころか不機嫌そうに顔を
「おい貴様、待たんか! 野間ぁ!」
ところがそうは問屋が卸さんと体育教師は彼女の腕を取った。
普通、こうなると生徒指導室に連行されて散々なまでの説教を喰らうだろうし、最悪は両親にまで連絡を取られるかもしれない。
だから大抵の生徒は脳裏に過る面倒を考えて大人しくなるのが普通だった。
けれども、僕たちが見た結末は全く考えの外にあるものだった。
「アタシに気安く触ってんじゃねえぞ、ゴリラ野郎が!」
彼女は教師の声量をも遥かに上回る大声で叫び散らして、腕を掴んでいた教師の胸倉を引っ掴み、迫った彼の顔を睨んだ。
突然の行動と言葉に、それまで紅潮していた教師の顔から色が抜け落ちて、どころか困惑する程の白色になってしまった。
それを見た女生徒は一度鼻を鳴らすと教師の肩を押しのけ、そのままに歩みを戻し校舎へと進んでいく。
一部始終を見ていたクラスの生徒達は成り行きを見終わると、各々が近しい生徒と
「おい見たかよ、
「あいつ反撃とか何も考えてねーんだわ。いざ反抗されるとあれだよ、ないわー」
「つーかあの子、ヤバくない? やっぱどっか可笑しいって」
「そりゃそうっしょ。適当にやり過ごして反省するフリしてりゃいいのにねぇ」
「ねー、わざわざ反抗するとかないわ。頭わるーい」
「そうもいっちゃ可哀そうじゃん。あの子、あんなんだから浮いてんのにさー」
その光景に僕は疑問を抱いた。
生徒達の多くは先の女生徒をよく知っているようだった。
疑問符を浮かべる僕だったけれども、胸中を察したように美鈴が僕の顔を見る。
「中々にパンチきいてるよな、あの子。結構有名人なんだぜ」
「そ、そうなの? でも大丈夫なのかな、あんな態度。危ないんじゃあ……」
「ああ、もう手遅れだろうよ。何せ入学から今まで一度も授業に出てないし」
「え……? 何で?」
「さあな。大方、学校に興味がないんだろうよ。一応は通学するけど足の向かう先は保健室だ。そこで一日を過ごしていつの間にか帰宅してる……ってのが
中々に不良だよなと美鈴は呟くが、僕はそんな彼女の情報を聞いて、まるで絵に描いたような問題児だと感想を零す。
「曰くは〈退学候補生〉だってよ。あの見てくれからして授業に顔を出さなくても有名にもなる。ましてあの性格だ、生徒達の間じゃいつにクビになるかを予想する馬鹿げた流行りもあるらしい」
「……なんだか、それって嫌だね」
「ああ、実に糞下らねえ。とはいえ……本人も、もう少し取り繕うことが出来たなら、もしかしたらこうも
美鈴の台詞に対し、それは間違いのない事実だろうと思う。
けれども、他の生徒達の反応や
僕自身が〈女児男子〉と馬鹿にされている立場なのもあるかもしれないけれども、大衆が個に対して攻撃的になったり否定的になるのが、僕には嫌な光景に映った。
「サイコだ」
「え?」
「あだ名だよ、さっきの子の」
突然の台詞と、それが皆から呼ばれるあだ名だと聞いて、尚更に不快感が増した。
けれども美鈴は、これもまた自然的な流れだったかもしれんぞと言葉を続ける。
「野間彩子……のまあやこ、なんだけどな。彩子ってサイコとも読めるだろ? ああいった態度も相まってそう呼ばれるようになったらしいぜ。つまりは異常者の扱いだろうな」
「それでサイコ、なんだ……」
あまりにも無礼が過ぎるとも思うけど、果たして当人は、そういった他者からの
胸の内に滞る気持ちの悪さを消化することは出来ないままだったが、チャイムが鳴ると同時に担任が戸を開いて教室に入ってくる。
それを合図とするように生徒達は自分の席に座り、美鈴も簡単な言葉を残して自分の席へと帰っていった。
「サイコ、かぁ……」
彼女を見た時に、僕は衝撃と共に一つの感想を抱いた。
他の生徒達からすれば彼女の姿勢というのは傲岸不遜だとか、我の強い
けど、僕には芯の通った強い人物に映った。
不良や問題児といった感想は勿論あるけれども、悪と判断する程ではないんじゃないかと、そう思った。
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