「あれが私の、最後の恋愛だったなぁ」
高架コーヤ
「あれが私の、最後の恋愛だったなぁ」
消防士の人だっけ、という問いかけに、彼女は半笑いの声で「そうそう」と返していた。
私はインカムを通して、なんとなくその会話を聞いているだけだった。
素敵な方だと思う。出勤してくれるだけでホールの雰囲気が明るくなるし、責任感を持って仕事にも取り組んでくれる。なによりおじいちゃんからの人気が高い。加齢による体重の増加がいい働きをもたらしているのかもしれない。
社会人を何年かこなしていると、他人の過去に踏み込む隙間がないことが増えてくる。うちの職場には、とりわけ何か抱えているスタッフが多い。彼女も例外ではなかった。小耳にはさんだ話だが、育休消化中に元旦那が逮捕されたらしい。2回目の結婚相手。田舎の漁師町ではよくある話だそうだ。
1度、2人だけでカラオケに行ったことがある。よく通る奇麗な声で、一昔前のラブバラードを歌っていた。彼女は立って歌う派らしく、自分の番になると少し離れたドア側に立つ。しかし、曲を選ぶときは向かいのソファーではなく、わざわざ私の隣に座ってくる。集合はAM11時。解散は14時。保育園の迎えがあるらしい。また行こうね、と言葉を交わした後、彼女は白い軽自動車に乗って裏路地から出て行った。
私は週に2回ほど、町の繁華街の外れにあるスポーツジムに通っており、時間があるときは繁華街のほうをぶらぶら歩くようにしている。区域一帯がほぼ飲み屋街。いかにも漁師町らしい。
時が昭和で止まったような街並み。消えかけたネオン。イボイボコンクリートのビルが夕日で朱に染まる。路駐のトラックから、紺色の前掛けをした男がビール瓶の入った容器を運んでいる。
この町に住むのは、何かから抜け出せなかった人間ばかりだ。くだらない上下関係。居心地の良い実家。小汚いスウェットを履いた彼氏。子供の手を引くクロックスの女。陽気な音楽に合わせて、老人たちが今日もエアロビを踊る。窓際のトレッドミルから見える夕日があまりにも奇麗で、朱が引き、仄暗くなる町があまりにも切なくて。
バーベルを握りながら、ふと彼女に思いを馳せる。彼女の子供たちは、この町から抜け出せるのだろうか。抜け出す手段はあるのだろうか。
30を過ぎた女性が、この町で3人の子供を育てるのがどれだけ難しいか。立派な教育を与えるのがどれほど難しいか。
明日は彼女を楽なコースに入れてあげよう。身体を壊しやすいこの業界で、少しでも長く働けるように。彼女の子供が、この町から抜け出せるように。
コース割りを考えながら、私はトレーニング後のシャワーを浴びた。
「あれが私の、最後の恋愛だったなぁ」 高架コーヤ @coca_koya
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