Forget my memory ~記憶喪失の俺は未知の世界で旅をする~

miro

第1話 さようなら

 暖かい……。

俺は優しいぬくもりの中を漂っていた。まるで母の腕のような暖かさの中でひたすらに甘えていた。

ずっとここに居たい。俺は純粋にただただそう思った。誰も傷つけず、誰も居なくならない……そんな理想郷の中で俺は過ごしたいと思った。


 だがそんな時も長くは続かなかった。俺を甘い夢から引きずり出そうとする奴が現れたからだ。


「起きて」


そいつは眠っている俺を起こそうと近づいて来るとそう言った。

顔は見えない。そいつの顔をよく見てやろうと懸命に睨みつけるが、まるで白い靄がかかったようで全く分からなかった。


 「お前は誰だ。なぜ俺を起こそうとする。邪魔しないでくれ。俺はただ眠っていたいだけなんだ」


 俺はそう言うと更に意固地になった。自分自身を守ろうと夢の世界の奥へと後ずさる俺。しかし声の主は逃げる俺に合わせて一歩ずつ迫ってきた。


「起きて……起きて……」


そう言いながら近づいてきた奴は俺の腕をガッシリと掴んだ。


「起きて……起きて……」


 そいつは掴んだ俺の腕を引き寄せ、ぐいっと顔を近づけると壊れたテープのように同じことを繰り返す。


「本当にお前は一体誰なんだよ。なぜ俺に付き纏う? もう放っておいてくれ。俺はここに居たいんだ!」


俺は間近で言い続けるやつに向かって力のかぎり叫んだ。するとさっきまでずっと「起きて」と言い続けていた奴の口がぴたりと閉じた。


「?」


不思議に思った俺はそいつの顔をまじまじと見つめた。相変わらず靄でよく見えなかったがこちらをじっと見つめていることは何と無く気配で感じ取れた。

 

「な、何だよ。何か言ったらどうだ?」


急に黙りこくったやつに俺はしどろもどろになりながらも言った。すると、奴は急に俺とは反対方向へと振り返り遠くを見つめ始める。


「もう、時間が無い。あなたは今すぐ起きてここを離れなければならない。でないと……」


 俺は初めて『起きて』以外をやつの口から聞いた。


「は? 時間?」


俺は頭に疑問符を浮かべながらもやつの様子を注意深く観察した。

 するとやつは俺に振り返ると同時にいきなり掴んだ俺の腕をぐいっと更に引っ張った。


「うぉぉっ!!」


俺はいきなり暗く冷たい場所へと引き摺り出された。途端に寂しさで心が冷えていくのを感じる。


「このっ! 俺は嫌だぞ! 俺は絶対に……!」

「あなたは起きて、そして生きるの」


俺の言葉を遮って言ったやつはそこで初めて自身の顔を俺に見せた。


「……!?」


 白い靄が霧を晴らすように消えていき、やつの素顔が見えてくる。


「生きて、○○○」


そいつは長い黒髪を持った美しい女だった。


_________________________


「はっ!?」


ここはどこだ?。

俺が目を開けるとそこは見知らぬ土地だった。先程までの暖かい光りに包まれた場所と打って変わってここは非常に薄暗い場所のように見える。


「ここはもしかして……森、なのか?」


俺はぼんやりとした頭をなんとか起こし眠い目を擦る。

磁石のようにくっつくこうとする瞼をなんとか開き、周りをぐるりと見回した。多くの木々が俺を取り囲むように密生し、その大量の枝葉が日光を遮断しているのが分かった。


「うわぁ~……凄いな」


 ひとしきり周りを観察した後、俺は視線を下げ自分をの体を見てみる。今の俺はパジャマのような薄い服を身につけたままなぜか直に地面に横たわっていた。


 「どうして俺はこんなところに居るんだ? 意味がわからない」


地面の泥で濡れた体を起こすとぬちゃっとした嫌な感触に襲われ、これが夢ではなく現実だと知った。


「どうやら夢じゃなさそうだな。というか俺はさっきまで普通に寝ていたはずなんだが……どうしてこんな所で寝ていたんだ?」


考えられるのは何者かによる拉致だが、俺みたいな男を拉致しても旨みはなかろう。ということは夢遊病?。


 「ふう、取り敢えず今すべきことは場所の把握だな。こんな森俺知らないし」


そう言ってから俺は腰を上げ体についた土を払い落としながら立ち上がった。


「うーむ。こうして立ち上がってみても木ばかりで何も見えないな~。なんでも良いから目印になるような物とか無いのか?」


俺は文句を言いつつも周りを歩いて調べる事にした。こんな人気のない森、何が出てきても可怪しくないからな。早々に抜けて街か何かを見つけないと下手すりゃ遭難する。


 「取り敢えず、歩きますか」


俺は自分の足に活を入れ、街を目指して歩き出した。




__一時間後__


「はぁ、はぁ、くっ。足が痛い……」


俺はあれから薄暗い森の中を当てどもなく歩いた。それはもう只管に、がむしゃらに歩いた。服が破けたり木の根っこに足を取られたりしながらも歩き続けた。そのうちなにか人工物でも見つけて街へとたどり着けるだろうと期待していたのだけれど……。


「全っ然景色が変わらないじゃないか! いくら歩いても木、木、木。もうかれこれ一時間は歩いているというのに看板一つ見つからない」


 俺は遂に足を止め、その場に座り込んだ。


「しかもやたらと蒸し暑いし虫も多い。ふぅ、はぁ……。木ばっかりで全然開けたところに出ないのも精神的にきつい」

 

俺は流れる汗を腕で拭い空を仰いだ。木々の隙間から辛うじて見られる空の明るさで今はまだ昼頃だろうと推測した俺は、上がった息を整えるため一度深呼吸する。


「すぅ~~、はぁ~~。こうしている分にはいい場所なんだけどな。緑も多いし何より空気がうまい。そう、遭難さえしてなければ最高のロケーションとも言えるんだけど」


俺は腕をぐっと伸ばしながらふともう一度空を見てみた。


「ここがどれくらいの高さで人が住んでいる街までどれだけの距離があるのか分からないけれど。もしここが山だとしたら今すぐ下山しないといけない時間帯だよな」


だとしたら余りのんびりしている時間は無さそうだ。正直このままここで眠ってしまいたいがそんな事をしたら夜の森で野宿する羽目になってしまう。テントも武器も持っていない、たった一人だけで……。

 俺はブルリと震え、頭を振った。


「仕方がない。さっさと森を抜けよう。もうすぐに夕方になるだろうし、よいしょっと! っつぅぅぅぅ……足痛え」


足の痛みや疲れはちょっと休んだ程度じゃ収まらなかったようで立ち上がった途端よろめいてしまった。


「ははっまるで爺さんみたいだな。少し歩いただけでこれか」


 と、自虐的に自分にツッコミを入れていた時、俺の耳がなにかの音を感じ取った。

何かが俺の前方で動いた気配を感じ取ったのだ。背の高い草むらを何か大きなものがかき分けて、こちらに歩いてくる音だ。


「今の今までそれらしい気配も無かったってのにいきなりだな。……とにかく今は隠れよう」

 

俺は慎重に腰を屈めながらゆっくりと脇の茂みへと身を滑らせた。

そして待つこと数分。遂にその巨体の持ち主がのっそりとを草むらから現れた。


「で、でかい……!」


俺は眼の前のそいつを見た瞬間思わず声に出してしまった。俺は慌てて口を塞ぎ息を殺す。どうやらそいつには俺に気づいた様子はなくのんびりとした様子で俺の目の前でくつろぎだした。

 結論から言おう。その怪物は巨大な熊だった。

そいつの体調は恐らく有に五mを超えていただろう。人間2人分以上の身の丈に大の大人五、六人分の質量を持った化け物。こんな大きな熊を生まれて初めて目見た俺はつい声を発してしまった。


「ふう……やばかった」


俺は止めていた息を吐き出し小声でそう言うと顔を茂みからそっと出した。

 奴には相変わらずこちらに気づいた様子は見当たらず、ただ草の上でゴロゴロと転がって遊んでいた。

こうして見ると人畜無害そうに見えるが、俺は油断せず奴の行動をじっと見ていた。奴は猛獣だ。その気になれば俺など枯れ葉のように片手で吹き飛ばせるだろう。意思を持った戦車と同じだ。


 「取り敢えず引き返すしか無さそうか?」


俺は後ろを振り返りながら自分自身に説いてみた。ちょうど進行方向に奴が居る。奴は恐らく鼻も効くだろう。無理に突破しようとすればきっと俺は奴の今晩のおかずになってしまう。

 

「よしっ引き返そう。野宿は嫌だがあいつの飯になるのはもっと嫌だ」


そう決意した俺は視線を前に戻した時氷柱のように凍りついた。

 奴の姿が消えていたのだ。

俺は息を止めとっさに身を地べたに這いつくばらせた。なぜその様な行動を取ったのかわからない。虫の知らせだろうか。

 俺が地べたに身を落とすと同時に大きな風切音が俺の頭上で鳴った。物凄い音を引き摺りながらそいつは俺が身を隠していた茂みの上半分を吹き飛ばした。

俺はうつ伏せのままゆっくりと振り仰ぐ。


「グルルル……」


そこには丸太のような腕をだらりとぶら下げながら俺を見下ろす巨大熊が居た。

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