3.赤池冬美①

九月十五日(日)【赤池あかいけ冬美ふゆみ



***



 火曜日に紙村弥生から聞いた心霊スポットに、私は朝から彼氏の車で向かっていた。


 ベッドタウンの中にある小さな神社で、地元の人間でなければまず訪れないような場所である。しかもをするためには、その神社ではなくを歩く必要があるらしい。


「なあ、冬美。こういうのめようぜ。いつか絶対に痛い目にうって」


「なによ、今までだって橋やらトンネルやら心霊現象で有名なところに行ったけど、なにも起きなかったじゃない」


「そうだけどさ」


「今回はだからね。これを制覇すれば、神やら幽霊やらのオカルトと──それを恐れている奴らに私は勝ったと言えるわよね」


「くだらない──で、なんだって? これから行くところって、そのなんとかちゃんの言うところの……一番怖い場所なのか?」


「厳密にそう聞いたわけじゃないけど、似たようなものだと思うわ。あの子、心霊現象に詳しいくせになかなかそういう話をしたがらないって噂だからね。上手く騙して聞き出したの」


「騙したのか。本当にロクでもねえ女だよな、お前」


「うるさい。私に文句言うなら、今まで買ってあげたもの全部返しなさいよ。それか年収で私に勝つことね」


「…………」


 彼はそれきり黙ってしまい、無言のまま目的地まで車を走らせ続けた。



***



 コインパーキングに車をめ、歩道もない道路を二人で歩く。


 本当にただの住宅地である。もしかして紙村に騙されたのではないかと疑うほど落ち着いた場所で、怪奇現象が起こりそうな雰囲気ではない。


 しかしだからこそ、穴場のような心霊スポットになっているのかもしれない。


「この坂道をのぼるらしいわね」


「へぇ、随分と長そうな坂だな」


 稲荷いなり神社に到着するが、境内けいだいには入らない。神社の周囲には申し訳程度に雑木林があって、さらにそれを囲むように──車では通れないような小道がある。神社が急勾配の途中にあるせいで、その小道も大半が坂道で構成されている。


「この道を二周くらいすると良いらしいわ」


「うへぇ」


 見るからに運動不足の彼は、それを聞いただけで疲れ切ったような顔をしていた。その彼を置き去りにする勢いで、私は小道を歩き始める。


「おい、待てよ。こんなところに置いていくな」


「地元の人たちは当たり前のように使っていそうな道だけど、なにが怖いのよ」


 街灯が少なく、夜になれば多少は怖くなりそうではあるが、明らかに幽霊より変質者の方が恐ろしい道である。



***



 一周してもなにも起こらず、二周してもなにも起こらない──かのように思えた。


 異常を感じたのは、その二周目が終わる少し前。


「ちょっと、海斗かいと


「…………」


「さっきから耳元でぶつくさ言っているでしょう。うるさいんだけど」


「…………」


「いやだから、返事を──」


 私は振り返って、その瞬間に血の気が引いた。


 彼──海斗は私のずっと後ろにいて、足をめて休憩をしていた。つまりこの耳元の声は──


「ア※※※ス※マ※ハナ※メ※※※※エ※※テ」


 ほとんどなにを言っているのか聞き取れないし、聞き取れても意味があるように思えない言葉。それは彼のものではなく、誰のものでもなく──


「海斗! いつまで休んでいるの! さっさと帰るわよ!」


「待ってくれよ、土踏つちふまずが痛くて」


 私は彼のところまで戻ると、その手を引いて歩き始めた。その間、耳元の声はずっと続いている。


 しばらく歩いてから、ふと気配を感じて振り返った。もう境内けいだい周辺の道は脱したが、人影が五つほど私たちの後ろを付いてきている。


 その人影は生きている人間には見えなかった。それぞれ形からして、少しずつおかしい。


「なんだよ、そんなに焦って」


「海斗。振り返って後ろを見てごらん」


「後ろ?」


 彼が振り返る。


「──いるでしょ?」


「なにが?」


「変な人影が五つ」


「いや、誰もいないけど?」


「そんなわけ──」


 私はまた振り返り、そしてを確認した。しかし同じものを見ているはずの彼はきょとんとしている。


「まさか、あれが見えていないの?」


「いや、なにが?」


「もういい!」


 私は彼の手を引いたまま、早足でコインパーキングまで歩いた。



***



 車に乗る。しかしその場所も安全ではなかった。


 後部座席には見知らぬ三人の子供たちがお行儀良く並んで座っている。ボンネットには死体をバラバラにしてからくっつけ直したような肉塊が転がっていて、ルームミラーもサイドミラーも知らない誰かの顔を映っている。


 サイドウインドウには顔、顔、顔。


 パニックを起こしていてもおかしくない状況。しかし脳みそが非現実すぎる状況を処理し切れていないせいか、錯乱せずに済んでいた。


「海斗。あなたには見えていないのね」


「今は──見えている」


 彼は後部座席を気にしているようだった。


「なにがいる?」


「髪の長い女性」


「子供は?」


「いない」


「──見えていないじゃない。もう、とにかく帰りましょう。ほら、早く発進して」


 彼はコインパーキングから車を出し、車道に出る。しかしなんでもないところで急ブレーキをかけ、あわや後続車に追突を受けるところだった。


 後続車から文句の代わりに激しくクラクションを鳴らされるが、彼はそれどころではない様子で正面を見つめ続けていた。


「冬美。運転、無理だ」


「なんで」


「急にフロントガラスに人が張り付いて、前が見えない」


 フロントガラスに人?


 私にはは見えていない。しかし顔を真っ青にしている彼が嘘をいているとも思えず、ますます状況が分からなくなってくる。


「もういい、代わりなさい」


 シートベルトを外し、彼と強引に位置を入れ替える。運転席に座った私は、魑魅魍魎ちみもうりょうに視界の大部分を塞がれる中、なんとか車を発進させる。


 とても家まで運転し続けることはできず、一番近くの駅に着くと駐車場に車をめた。その後、私は電車を乗り継いで自宅のマンションまで帰った。



***



 家に着いても、そいつらは私に付きまとった。


 視界のどこかには必ずいるし、鏡越しにも映る。老若男女問わず──それすらも分からないものも、私の部屋にみついている。耳元ではずっと誰かがささやいている。


 居ても立ってもいられずに外出するが、コンビニに行こうが喫茶店に行こうが彼らはぞろぞろと付いてきて、私を取り囲んだ。


 気が狂いそうになる。しかし危険性はないのだろうと──死ぬような場所を紙村は教えないだろうという勘もあって、なんとか耐えることができていた。


 しかし夜になっても心霊現象がおさまらず、いつまで続くのだろうと不安になる。そこで私は火曜日に友達登録したばかりの紙村弥生にLINEで通話をかけた。


『はい、紙村です』


「紙村さん。あなたねぇ、とんでもないことをしてくれたじゃない……」

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