第十三章 本当の名前で呼んで 2

「わーもう。靴が雪で濡れてぐちゃぐちゃだよぉ。足の先の感覚ないよぉ」


 思わず泣きごとをもらしながら台車を押す。すると春蘭が私をなぐさめるように言った。


「朝餉を届け終わって休憩時間になったら、お湯を沸かして足湯でもしようよ」


「うう……。白花妃様の宮への道のりが、いつもの十倍くらい遠く感じる……」


 本当は急がなければならないが、途中で転んで台車を倒しでもしたら、また厨房へ戻って運びなおさなければならない上、ますます配膳が遅くなる。だから滑ったり倒れたりしないように、慎重に台車を押していかなければならない。


 しかしその道のりも春蘭にとってはさほど苦ではないのか、台車を押しながらあたりの雪景色を眺めたりしている。


「よく平気だね。春蘭だって、足が凍りそうなんでしょ?」


「まあ、そうだけど。なんだかこうして後宮で思月と一緒に雪の中を歩いているのが、不思議だなって思って」


「今さら?」


「まるで夢の中にいるみたいだよ」


「どうして?」


 すると春蘭は私の顔を見て、言った。


「今、楽しいから。楽しい気持ちで生きる日が来るなんて、思わなかったから」


「……そう」


 これで楽しいとか、今までどれだけ不幸だったんだろう。

 とは思ったけれど、言わずにおいた。

 幸福に水を差すと、よくないから。


 でも言われてみれば私も、足が冷たいのと台車を押すのが面倒くさいこと以外は、結構幸せかもしれなかった。


「姉さんはどうしてるかな。雪だからしばらく占いに来る人もいないかもね。その間に少しは休めているといいんだけど」


「そんなことより自分が寒さで風邪をひかないか、心配した方がいいと思うけどね」


「まあね」


 寒さのせいで、春蘭の頬は赤く染まっている。私の頬も、たぶんそうなっているんだろう。

 もう手とか顔の皮膚の感覚もなくなってきた。寒い。鼻水出る。

 春蘭は空を見上げながら言った。


「結局、姉さんの任務を手伝いたくても、呪術師なんて見つけようがないなあ。私には姉さんと違って、そういう人を見抜く能力がないし。思月にもないもんね」


「まあそうだな。私はただ、人を魅了できるだけだ」


「怪しい人でもいれば、まずはそこからでも調べて行きたいけど。そもそも誰が怪しいのかさえもわからないし」


 そう言ってため息をつく春蘭を見て、私はなんとか春蘭を助けたいと思った。

 それで、ない知恵を振り絞って考えてみた。


「まー、私たちが関わっている人のなかで一番怪しいのは白花妃様じゃないか?」


「え?」


 春蘭は驚いたような顔をする。


「だって、毎日料理を配膳している私たちと、なるべく顔を合わせないようにしているみたいだし。それに帝からも、他の妃から見て不公平なくらいに良くしてもらってるんだろ?」


「まあ、確かに」


「白花妃様を魅了して、色々聞き出すのもいいかもしれないな」


「また、そんな。むやみに魅了したら、思月が化け猫だって、周りの人にバレちゃうよ」


「まあ、むやみやたらには、やらないつもりだけどさ」


 そんな話をしているうちに、私たちは白花妃の宮へとなんとかたどり着いた。

 白花妃の宮ではいつも出迎えてくれる桃美だけではなく、他の女官たちも総出で庭の雪かきをしていた。


「あ! お二人ともご苦労様ですー!」


 私たちを見つけた桃美が、待ってましたとばかりに満面の笑みで駆けつけてくれた。

 たぶん彼女が心待ちにしていたのは、私たちではなく朝餉のほうだろう。


「すみませんお待たせして。その上、今日の朝餉は簡単なものなんですが」


「いえいえ、この大雪の中、無事に朝餉にありつけるとは思ってもみませんでしたよ! さあ、早く中に運びましょう! 私もできる範囲でお手伝いしますから」


 桃美は早足で私たちを先導し、奥の間へと連れていった。


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