第十一章 白花妃様 2

「少し遅くなっちまったな」


「上級妃の宮には朱茘様から連絡してあるそうだから、大丈夫だとは思うけど」


 気持ちは焦るが、走って転んで料理をぶちまけてしまうわけにはいかない。

 早足で、でも台車が揺れないよう気をつけながら、慎重に料理を運んでいく。

 そして白花妃の宮へ着くと、入り口でいつものように桃美が待っていた。


「あっ、お二人とも、ごくろうさまですぅ」


「遅くなり申し訳ございません」


 春蘭が詫びると、いえいえ、といつも通りの穏やかな表情で答える。どうやら問題はなさそうだ。

桃美についていきながら、普段より少し早足で台車を運ぶ。

 すると奥の間へと続く通路の途中に、女性が何人か立っているのが見えた。


「あっ……」 


 その女性たちを見て、春蘭が声を上げる。

 そこに立っていたのは、二人の女官と、あの白花妃だった。

 帝をお出迎えしていた時よりは薄化粧で、襦裙もゆったりとしたものを着ている。


「あら、やっと夕餉が来たのね」


 白花妃はそう言うと、ため息をついた。その声音には、あきらかに不満が込められていた。


「遅くなり、申し訳ございません」


 姉に似ている白花妃に冷たい言葉を投げかけられた衝撃からか、以前玲玉妃のところで冷遇されていたことを思い出したからか、春蘭は青ざめた顔で謝罪し、深々と頭を下げる。


 私も同じように頭を下げ、またすぐ白花妃に視線を戻す。

 確かに彼女は、顔立ちや体型が少し春蘭に似ている。年頃は春蘭より少し上に見える。きっと春蘭の姉の秋菊に、よく似ているのだろう。


「あの……」


 顔を上げ、勇気を振り絞ったように、春蘭が白花妃に話しかける。


「お初にお目にかかります。尚食局の春蘭と申します。毎日こちらへの配膳を担当させていただいております」


「あら、そうなの。配膳っていつも同じ女官がしていたのね。ご苦労様」


 そんなことも知らなかったらしく、そして特に興味もなかったようで、白花妃はにこりとも笑わず、冷たい声音のままだった。

 それでも春蘭は、さらなる会話を試みる。


「普段の朝餉や夕餉のお味は、いかがでしょうか。ご満足いただけておりますでしょうか」


 春蘭なりに精一杯、会話を広げてみたのだろう。

 自分の姉かどうかを見抜くために。

 しかし白花妃は、そんな春蘭を鼻で笑った。


「ご満足……? まあ、口に合わないことはないわよ。でも普段の料理なんて、たいしたものではないでしょう。宮廷料理人のものとは比べ物にならないわ」


「そうでございましたか……」


 春蘭は悲しそうにうつむく。


「そんなことより、早く奥の間へ料理を運んでちょうだい。いつもより時間も遅れているのだから。あら、今日は焼き魚なの? ちょっと残念」


「申し訳ございません。すぐにご用意いたします」


 春蘭は急いで台車を押して、奥の間へと向かい始めた。私も台車を押し、慌ててついていく。

 しばらくゴロゴロと無言で台車を押し、誰もいない奥の間へと着いた。すると後ろから来た桃美が、そっと声をかけてくれた。


「ごめんなさいねぇ、二人とも。白花妃様は天候の悪い日は、ご機嫌が悪くなりやすいものだから」


「そうだったんすね」


「お料理も遅くなってしまいましたしね。すぐにご用意します」


 私と春蘭はてきぱきと料理を並べ、奥の間を後にした。

 元来た通路を戻ったときには、既にそこに白花妃の姿はなかった。


 白花妃の宮を出て厨房に戻る途中で、それまで黙っていた春蘭が急に立ち止まった。


「ん、どうした」


 その顔はいまにも泣き出しそうに歪んでいた。


「あれは、姉さんじゃ、ない」


「そっか。まあ、そんな感じだったな。あの反応は」


「うん。やっぱりお顔は少し似ていたんだけど……。でも、違う人だと思う」


「そうだな」


「姉さんじゃなくて、残念」


「うん」


「私、姉さんを見つけたくて……。それで白花妃様が少し姉さんに似ていたから、だからちょっと、もしかして姉さんなのかなって、期待しちゃって」


「うん」


「でも、違う人だったわ」


「そうか」


 すると再び、春蘭は台車を押しながら厨房への道を歩き始めた。

 私もそれについていく。


 しばらく歩いてから、ふと思い立って私は言った。


「だけど白花妃様って、根っからのわがままお嬢様って感じだったよな。宮廷料理人の料理とは比べ物にならないとか言っちゃってさあ」


「そうだね……。陛下がいらっしゃることが多くて、その分宮廷料理人の料理を口にする機会が多いからなのかな……」


「なー。だとしても、そう何回も食べたことがあるわけでもないだろうにさ。普段の料理はたいしたことないとか。普通言うかあ?」


 はあーっと深く息を吐く。

 ああいう人間と関わると、胸のあたりが重くなって、気分が悪くなる。


「でもまあ、そんなものなんだよ。妃になるような人は大抵、普通の人とは育ちが違うから」


「やーでも感じ悪いよなあ。あんなんでよく帝に好かれてるよ」


 憂さを晴らすように、私はぐだぐだと白花妃の文句をいい続けた。


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