第十章 配膳係の仕事

第十章 配膳係の仕事 1

 ある日いつものように仕事をしていると、厨房の上級女官から声をかけられた。


「春蘭。それから思月も。話があるからこちらに来なさい」


「はい」


「うぃーす」


 春蘭と私はすぐに作業をやめ、手を洗うと、上級女官の後に続いて厨房を出た。


 ……私と春蘭を呼び出すなんて、一体なんの用事だあ?

 内心、焦りを覚える。

 まさか私が化け猫なのがバレたわけじゃないだろうなあ。


 だが、バレるわけがないかと思い直す。

 なにせ私はこの姿になったあの晩からもう、猫の姿に戻ったことが一度もないのだ。

 これではもう、化け猫というより人間に生まれ変わったようなものだ。

 変な「魅了」という力を持っちまってることを別にすれば。


 上級女官は私たち二人を厨房とは別の書斎へと連れて来た。ここは尚食局の上級女官たちが事務的な作業を行う場所で、女官たちのお給金や仕入れた食材の記録をした書簡や木簡が、棚に大量に並んでいる。


 この部屋に入るのは初めてのことだなあ、と部屋の中をきょろきょろ見まわしていると、上級女官は「こほん」と咳払いした。こちらに集中しろ、ということだろう。


「一体、どのようなご用でしょうか」


 さっそく春蘭がたずねる。すると上級女官は言った。


「あなたたち、配膳係に就きたいんですってね」


「はい、そうです」


 春蘭がこくりとうなずく。私も慌てて、うんうん、と首を縦に振る。


「そっす」


 すると私の言葉遣いが気になったのか、上級女官は眉をひそめ、私を一睨みした。ひえっと思わず首をすくめる。


「あなたたちがどうしても配膳係をやりたいというのなら、その願いを叶えてやることもできます。ただし、条件付きですが」


「どんな条件です?」


 真剣なまなざしで春蘭がたずねると、上級女官は言った。


白花妃はくかひの宮への配膳を担当することが条件です」


「なるほど……」


 ふう、と春蘭は深いため息をついた。


 尚食局に勤めるようになって約半年。私たちは厨房で働きながらも、様々な妃たちの噂話をよく耳にし、情報を得るようになっていた。


 白花妃は白太監はくたいかんという権力のある宦官の親族出身の妃で、今後宮で最も帝の寵愛を受けており、また悪女として、最も後宮で嫌われている妃でもある。


 白花妃が悪女と言われるのには理由がある。

 

 元々帝は皇后のみに特別に愛情を注いでおられ、後宮の妃と皇后を明確に区別して接していたそうだ。後宮はあくまで皇族の血を絶やさぬために存在する場所であり、そのお渡りについても、権力を持つ家系の妃の元にのみ赴いており、実質現在の後宮の大部分は代々受け継がれた伝統を残す形で存在しているだけの、負の遺産のような体となっている。


 その帝が特別にご寵愛なさっている皇后というのは、古くから光瞬国の皇族を支えてきたという夏一族出身の夏娟妃かけんひというお方で、帝は夏家が権力を持つ一族だからという理由で、帝は夏娟妃を初めから特別な待遇で迎えたらしかった。


こ れにより、多くの後宮の妃にとって後宮は退屈で夢のない場所と化したが、無駄な諍いが起きなくなり、貴族同士の権力争いもおさまり、宮廷内が以前より平穏になったらしい。


 ただ皇后である夏娟妃は体が弱く、その太子もまだ幼いものの、やはり同様に病弱らしいと噂されており、そのことだけが唯一、宮廷内の貴族たちの関係を不安定にさせる要素となっていた。

 夏娟妃や太子にもしものことがあれば、結局はその後また、貴族同士の権力争いが過熱することになるからだ。


 だが結局はそれも、有力貴族たちにしか関わりのない話。後宮のほとんどの妃やそのお側仕えの女官たちは、自分たちには権力争いなど関係のない話だと高をくくっていた。


 しかし白花妃が現れてからというもの、その状況が次第に変化していった。


 そもそも白一族というのは、元々それほどいい家柄でもなかった。だが現在宮廷に勤める白太監という宦官が有能であったため、宮廷内の宦官を統率する長官にまで昇進し、一気に宮廷内でも権力を持つようになった。


 その白太監の強い希望により、白花妃は後宮へやって来た。

 するとすぐさま、白花妃の宮へ帝のお渡りがあった。


 最初の一回の時には後宮内の誰もが「陛下は政治的な理由から白花妃の元へ訪れただけだろう」と考えていた。

 だがその後もあまり間を開けずに、帝は白花妃の元へ通うようになった。

 そこで「これはおかしい」と宮廷内がざわつき始めたのだ。


 今まで帝はご自身の女性の好みに関わらず、ただ自身の役割を果たすために後宮へ来ていた。

 だが白花妃は明らかに帝の寵愛を受けており、他の妃と比べてもそのお渡りの頻度の均衡がとれていない。

 こんなことは、初めてのことだった。


 今年の中元節に体の弱っている皇后が出席したのも、実は白花妃の様子を見に来たのだと言われている。ご自身の立場は既に確実なものとなっているが、それでも帝が愛する妃がどのような者なのか、その目で確認したかったのだろう。

 その時の様子を中元節の日の夜に、琳琳はこう話していた。


「皇后様ったら、やせ細って青白い顔をして、せっかくの宴の御膳も、褒めたたえはするもののほんの少ししか食べられず、じーっと悲しそうな顔で白花妃様のほうを見つめていたのよ」


 その姿はとても痛ましく見えたそうで、後宮中の妃や女官たちが皇后に同情した。


「素晴らしい料理だと朱茘様をお褒めくださっていたけれど、愛月湯をほんの一口すすっただけよ。弱弱しく咳き込んで、あの様子では普段からろくにお食事をとれていないんでしょうね。そんなにも体が弱っている時に、今まで皇后様を特別大事にしてくださっていた陛下が他の妃に夢中になっているのを見たら……。ご心痛で病が余計に悪化してしまうわ」


 一方の白花妃はというと、病弱な皇后様とは違って派手な化粧を施して、高く結った髪に重たそうな金釵きんさいをいくつも挿して、これでもかというほど華やかな装いだったのだという。


「陛下が話しかけると長いじゅの裾で顔をかくしながらクスクスと笑って、いかにも楽しげだった。陛下も白花妃様に対してだけ、特別な感情を寄せていらっしゃるご様子だったわ」


 そう語ると、琳琳は気に食わなそうにフン、と鼻を鳴らした。


「陛下が白花妃様だけを妃として迎えて、恋に落ちた二人が愛を育んでいるというのなら、応援する気にもなれるけれど……。今まで皇后様を特別大事になさってきて、他の妃たちも誰かをひいきなさることもなくやってこられたのに……。白花妃様は陛下の信念を揺るがせた悪女だと、みんな言っていたわ。これまで平穏だった宮廷内も、白花妃様のせいで今後はどうなるやら」


 確かに宮廷内の治安が悪化するのは後宮の妃や女官たちにとって恐ろしいことだ。

 下手をすれば自分の生死にも関わる。

 そうしたことから後宮内の妃も女官も、白花妃を嫌うようになっていた。

 平穏な日常を壊す存在が現れたのだから、誰だってそうするだろう。


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