第八章 春蘭の姉 2
「母さん、死んじゃったからね」
「…………」
私はしばらく黙り込んで、考え続けていた。
私は春蘭の事情を細かく知っているわけじゃない。
だけど結果的に春蘭のお母さんが死んでしまったという結末だけで、全てが失敗だったかのような話になるのは違う気がした。
「そのお姉さんの決意って、全部無駄になったわけじゃないと思うけど」
「……そうかな」
「わかんないけど……。例えばお姉さんが後宮へ行くことで作ったお金がなければ、もっとひどいことになってたかもしれない」
「確かにね、姉さんのおかげでお金が入ったから、当時住んでいた家を追われずに済んだし、母さんも薬を買うことができた。そのおかげで、母さんは病の苦しみも減ったと思うし、少し長く生きたかもしれない。それに私も母さんも、食うに困るような生活ではなくなった」
「だったら、無駄じゃなかった」
「うん」
しばらくぼーっと空を見上げて考え込んでから、春蘭は言った。
「幸せと不幸せって、白と黒みたいに決まってるわけじゃないよね。繰り返したり、同時に幸せも不幸せも存在したり、もっと複雑なものだよね」
「そうだねえ」
なんとなく、わかる気がした。
「それになー、春蘭。『幸せになれなかった』はおかしいよ。春蘭の人生はお母さんが亡くなった後も続いてんだし、常に変わり続けていくんだし」
「うん」
春蘭は大きくうなずいて、少し笑顔になった。
「ごめんね思月、私、姉さんのことが心配だったから、悲観的になりすぎてた」
「そゆときもあるだろ」
とにかく春蘭が元気を取り戻してきたならそれでいい。
私はごろりと庭の草の上に寝ころんだ。夏に伸びていた草がいい感じに枯れてきてて、結構寝心地がいい。
「えっ、思月、こんなとこに寝るの? やめなよ、襦裙も体も汚れちゃうよ」
「いいからやってみー。日の光を浴びて寝るのって、気持ちいいから」
「……仕方ないなあ」
苦笑いしながら、春蘭も草の上に寝ころぶ。
「あ、ほんとだ。なんか気持ちいいなあ」
「そうだよ。気持ちいいんだよ。人間ってのはこういうのを忘れがちなんだよなー。頭がいいから、ややこしいことばっかり考えちまうんだろうけどさあ。光を浴びて、食って寝て。それが生きるってことだろ」
「そうだね。そうだった。私、姉さんのおかげで今こうして生きていられるんだった。私、姉さんのおかげでたまに幸せな気持ちになりながら、生きてるね」
「んだんだ」
そんな話をしているうちに、段々本当に眠くなってきてしまった。
くかー。くかー。
「ちょっと思月、本当に寝るのはまずいって! 仕事がまだ残ってるんだよ! 思月、起きて!」
春蘭に激しく体を揺さぶられ、仕方なく私は重い瞼を上げる。
はー。人間、めんどくせー。
たまに猫に戻りたくなる。
夜になり、私たち四人は布団に潜り込む。
みんなが布団に揃ったら、いつものお話の時間が始まる。いつしかそれは約束事のようになっていた。
「で、なんなんだよ琳琳。春蘭のお姉さんに関する情報ってのは」
宇晴が真っ先にそうたずねる。おそらく、そういうことには遠慮がちな春蘭を気遣って、自分から切り出してくれたんだろう。
「うん、実はね、その秋菊さんと五年くらい前に半年ほど一緒に働いていたことがある女官が、二輪草愛好家の中にいたのよ」
「二輪草愛好家の中に……」
二輪草とは、この後宮内で女性同士が夫婦同然の仲となり、愛し合って生きていくことを指す。
そして二輪草愛好家とは、そんな後宮内の二輪草たちを目ざとく見つけ出してその情報を愛好家内で共有し「はああ、やっぱり二輪草は美しいわねえ」とうっとりし、幸福感を得ている者たちを指す。
人の色恋を楽しむなんてちょっと悪趣味な気もするが、この後宮内には楽しみが少ないのだから、仕方ないことなのかもしれない。
「で、その二輪草愛好家の女官はその当時、秋菊さんと一緒に、とあるお妃様のお側仕えとして働いていたんですって」
「へえ」
私は適当に相槌を打ちながら、隣の春蘭の横顔をちらりと見る。
春蘭は食い入るように琳琳を見つめ、真剣に話に耳を傾けていた。
「そのお妃様は位が高いわけでもなく特に目立つこともないお方だったから、帝からお声がかかることは一度もなかったらしいの。でもある日、宴席で秋菊がそのお妃様の隣でお世話をしていた時に、ふと帝が立ち止まられて、一言二言、会話を交わされたんですって」
「へえ、それじゃあそのお妃様は嬉しかったろうね。ここ後宮には妃があんまり多すぎて、帝と会話する機会もそうそうないんだから」
宇晴がそう言うと、琳琳は首を横に振った。
「いいえ。そのお妃様は青白い顔をしてうつむいて、涙を流しながら宴席を後にしたそうよ。そしてその日を境に、秋菊を見かけなくなったんですって」
「……どういうこと?」
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