第二章 尚食局の役立たず 4

 二輪草というのはこの天香城の後宮内の隠語であり、女性同士が恋仲の関係であることを指している。二人の女官が寄り添う姿は、まるで可憐な二輪草の花ように見えることからそう呼ばれているらしい。


 ここ後宮では生涯独り身で過ごすことになる女性たちがたくさん暮らしている。その中のほんのごく一部の妃だけは帝と関係を持つことにはなるものの、その他の妃や女官は帝のお姿さえも目にしないままに独り身で生涯を終えることになる。


 だから後宮内ではその寂しさを埋めるように、二輪草の関係を結ぶものが多い。


 二輪草は女性同士のかりそめの夫婦のようなものだ。互いに愛を誓いあい、共に助け合って暮らす。

 そして時にはその愛を、体で確かめ合ったりもするらしい。


「だって今日、見ちゃったのよ。あの二人、庭の掃除をしていたかと思ったら、ふいに身を寄せ合って木陰に隠れて、そして……。あれは多分、唇を重ねていたわね」


 うっとりとした声で、琳琳はそう言った。


「なんで唇を重ねていたなんてわかるんだ。木の実か珍しい虫でも見ていただけかもしれないじゃないか」


 宇晴が雰囲気をぶち壊すようなツッコミを入れたが、琳琳は気にも留めない様子で話し続ける。


「そんなんじゃないわよ……。その後木陰から再び姿をあらわしたとき、瑠璃は頬を赤らめて、ぽーっとした表情になっていたんだから。そしてそんな瑠璃を、奏瑶は愛おしそうに見つめていた……」


「よっぽどその木に止まっていた虫が綺麗だったんだろ。蝶だったのか玉虫だったのか知らないけど。奏瑶も仲のいい瑠璃に珍しい虫を見せられて嬉しかったんだ」


「どーして虫の話にしようとするのよ! やめてちょうだい!」


 琳琳は声を荒げた。でもそれを楽しむように宇晴はつづけた。


「なんでもかんでも色恋の話に変換しちまうほうがどうかしてると思うけどね。たまたまちょっと木陰に二人でいただけで二輪草扱いされたら、たまったもんじゃない」


 ふんっ! と鼻を鳴らし、もういい、と言って琳琳は布団の中に潜り込んだ。


「なんだよ拗ねたのか? このくらいのことで」


「このくらいのことじゃないの!」


 琳琳は甲高い声で叫んだ。だいぶ怒っているみたいだ。


「大体その二人が恋仲だからなんだってんだよ」


「私はその二人の愛に希望を見出していたのよ。なのに宇晴が変な茶々を入れるから……」


 琳琳の声音は弱弱しくなり、次第に震え始めた。


「お、おい、悪かった。ごめんて」


 宇晴はやりすぎたかことに気づいたのか琳琳に詫び始めたが、もう遅い。

 布団にくるまり、鼻を啜りながら琳琳は語り始めた。


「私はねえ、この後宮内で生涯を終えるしかないつまんない人生を少しでも楽しもうと、毎日二輪草探しにいそしんでるの。そうして見つけた二輪草のことを、こうして人に話す時間を生きがいにしているのよ。それだってのに、宇晴はいっつも小ばかにして!」


「いや、人の色恋の噂話を生きがいにするなんて、褒められたことじゃないだろ……」


 まっとうな宇晴はまっとうにそう言ったが、琳琳の鼻を啜る音が部屋に響き続けている。

 ……気まずくて寝れねー。

 うんざりしかけたその時、春蘭が口を開いた。


「ねえ、そんなに二輪草のことが気になるってことは、琳琳にも思い人がいたりするの?」


「へぇっ!?」


 布団の中の琳琳が、恥じらいながら言った。


「い、いないわよ別に! でも……いつか現れたらいいなとは思っているわ……。私と二輪草になってくれる、素敵なお相手がね……」


「そう……。そうなのね」


 春蘭の返事が、ほのかに湿度を持っている。でも琳琳も宇晴も、そのことに気づいている様子はない。


「そんなに二輪草がうらやましいなら、さっさと誰かと恋仲になったらどうなんだ」


 宇晴にそう言われて、琳琳は沈んだ声で答える。


「いくら私だって、相手が誰でもいいってわけじゃないわよ」


 そして……。


「私眠くなってきちゃった。おやすみー」


 そう言うと、琳琳はすやすやと眠り始めてしまった。


「まったく……」


 そんな琳琳にあきれた様子の宇晴も、そのうち寝息を立て始める。

 すると隣の布団で寝ていた春蘭が、もぞもぞと動き始め、布団に横になっている私に身を寄せた。


「ん?」


振り向くと、春蘭は口元に手を当て、こっそり私に耳打ちする。


「あの二人、ちょっと騒がしいけど悪い子たちじゃないよね」


「え、うん……。まあな」


 確かに、宇晴も琳琳も、悪い奴じゃない。

 ちょっと騒がしいけど。


「同じ部屋で暮らすのが、あの二人で良かったのかも」


「まあ、そうかもしれないにゃ……」


「でも」


 すぅ、と春蘭が、息を吸い込む音が聞こえる。


「思月と一番の仲良しは、私、だよね」


「……うん」


 そんなの、言われるまでもなく、そうだよ。

 私と一番仲がいいのは、春蘭に決まっているじゃないか。


 昼間の仕事の疲れもあって、段々眠たくなってきた。

 まぶたを閉じると、耳元で春蘭がささやく。


「おやすみ思月。今日もおつかれさま」


「おや……すみ……」


 そのまま私は眠りの中に落ちていく。

 そしてそんな私の手を、そっと春蘭が握りしめた。


 やっぱり、春蘭は寂しがり屋だ。

 よくこうやって、私の手を握るんだから。


 ……そういえば出会った頃に春蘭が、自分は天涯孤独のようなものだって、言ってたな。

 一体どういう生い立ちなんだろう。

 少し気にかかったけれど、なんとなくまだ、今はたずねようと思えなかった。


 しばらくは、穏やかな気持ちで彼女との日々を過ごしていたいから。


 春蘭に手を握られていたから、なんだかずっと体がポカポカして、その晩はいい夢が見られた。

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