一章19話「悪役ロールプレイング」
地獄のような光景に、虎雄は目を見開く。
オークションの参加者たちは、あちこちで倒れている。そしてそれを蹂躙しているのは池袋ダンジョンのボスモンスター。
魔窟の王『赤竜』だったのだ。
「日夏さん! どこです?!」
虎雄の頭の中は、日夏が無事か否かしか、なかった。
(死んでないでくれ……、頼む……!)
その時、魔窟の王の怒号が飛ぶ。
グオオオオオオ──!
轟音に耳を塞ぐ虎雄の目には、禍々しい形の杖を持つリクと木製の仮面をつける赤いメッシュの男、そして青い髪の男が映る。
「どうする? リーダー。どうやってずらかる?」
「おい、ソラ、よさないか。……ほんっとうにガサツなやつだな」
「おおん? やんのか、こら!」
言って赤いメッシュの男が、青髪の男につかみかかった。
するとリクが止めに入る。
「おい、みっともないからやめてくれよ。僕らはレイヴ。──あのお方の御使だ、そんな野蛮なことはしないでくれ」
リクの言葉にしょんぼりとして肩を落とす二人。
(……あのお方? ……御使?)
それさえもブラフ、見ていることを分かった上での演技の可能性もある。
しかし、無視することはできない。
ダンジョンの闇の正体に手が届くかもしれないからだ。
そんな時、虎雄とリクの視線が交わる。
「……ふふ。いいのかい? 赤城虎雄、あっちでボロボロのヒナを助けなくて」
「良くねぇよ、今から行くんだ!」
そして虎雄は『
“がんばれ!”
“ヒナちゃんを助けてくれ!”
“さっきのジジイみたいに倒しちゃえ!”
そこには、虎雄を蔑むコメントは一つもない。
あるのは視聴者の願い。希望をかけるデッドマンに向けた応援だった。
虎雄は、反応に困る。
今まで、嘲笑を含むような、『ま、せいぜいがんばれ』と言った内容はもらっても、期待を受けるようなコメントはもらったことがなかった。
涙が出そうだ。
目頭が熱くなる感覚が襲う。
「そうだよ、君のコメントも応援しているだろう?」
言いながらこちらに怪しげな笑みを浮かべるリク。相変わらずなにを考えているのかわからない男だった。
「赤竜の時もそうだろ? 君はただ巻き込まれただけ……、本当に運が良かっただけで生き延びたんだ。違うかい?」
「……なにが言いたいのか、わからない」
虎雄は、応援コメントで埋め尽くされる視界の中で、リクを見据える。
「俺はデッドマン。誰のことを言ってるんだ」
赤城虎雄とバレてはいけない。
自分自身が肯定するまでは、疑惑は疑惑のままだ。そう信じたい。
大多野と交わした約束だけは、なにがなんでも守らないとダメだ。
「──アッハハハハハ!! 君の配信を見ている視聴者がそこまで馬鹿だと思っているのか? 赤城虎雄は、ダンジョンを救った英雄だよ。赤竜によって蹂躙されたダンジョン下層を救ったヒーローだ。それが君だ、赤城虎雄」
“俺はずっと信じてたぞ!”
“ギルドの偏向報道とか、まじゴミ”
“探索者を殺したんじゃなくて、救ってたのか?”
“英雄の誕生ってことだな!”
違う、そうじゃない。英雄なんかじゃない。
虎雄の額を汗が伝う。
金髪を靡かせるリクは、そのまま言葉を続けていく。
「君はずっと苦しめられてきただろ? 周囲からの軽蔑の視線に、人殺しの汚名に。でも……もう気にすることはない。全部僕が、話してあげよう。単純明快に、正直に。なにもかも全てを!」
このまま、全部言われても構わないんじゃないか? 虎雄はそんなことを心の内で思う。
結果的に『ユニークスキル:大炎上』で悪意を消化できていた。
それ以前はどうだったのか。
◇ ◇ ◇
幼かった虎雄は、近所にある公園の遊具で、夜を過ごすことが多かった。
それは母との約束事だったから。
『お客さんがいる時は、お家に帰ってきたらダメよ? お邪魔になってしまうから』
小さい頃は、その言葉を言葉通りに受け取った。
しかし、大きくなって理解した。
黄ばんだ白い壁の五階建て。団地の三○四号室。ペンキが剥がれた緑色のドアの向こうから聞こえてくる、知らない男の人の声。
そして今までに聞いたことのない母の甲高い声。
邪魔になる、ではなく、邪魔だから、と言うのが正解なのだと。
しかし、虎雄が小学六年生になると、来客はパタリと途絶えた。
それから、母はだんだんとおかしくなっていく。
虎雄が家にいるのと、正反対に、家を空けることが増えた。
と言うより、週に一度、着替えをとりに帰るだけになったのだ。
『……これで、ご飯は済ませなさい』
着替えを済ませてカバンに詰めると、テーブルの上に一万円だけを置いて、再び家を空ける。
きっと母は、自分と一緒にいるのが嫌なのだ、そう思うようになった。
そんなある日、いつもと違うボサボサの髪と、鼻が曲がるほどの香水、涙で崩れてバケモノみたいになった化粧で、家に帰ってきたのだ。
その時の母は、情緒が不安定で、とても気が立っていた。
小学六年生ともなれば、色恋についてなんとなく察する年頃。母の痛々しい姿に、虎雄は思わず口に出してしまった。
『ママ? どうしたの? 男の人に振られたの?』
我ながら気遣いの足りない言葉だったと、今は思う。
でも小学生の、しかも子供の言葉だ。そこまで考えて言っていない。
『……あんたのせいでしょ!!? あんた……、あんたが、生まれてきたから……あの人は離れて……』
今ならわかる。母の言葉から読み解くと、虎雄の父親は生まれると同時に離れていった。そして、他の男で心の穴を埋める日々が続いて、来客の知らない男のその一人だったのだ。
母は、男がいないと生きていけない女のまま、母になるしかなかった。
そんな母は、半狂乱で台所から包丁を取り出す。それを首に当てたまま、崩れ落ちて泣き始めたのだ。
『ごめんなさい……、ごめんなさい……、ごめん、なさい……』
生まれてきて、なのか。あんなこと言って、なのか。ごめんなさいの前につく言葉がなんだったのか、今はもう覚えていない。
母は泣き顔を隠すこともなく、台所から油のボトルを取り出すと、部屋中に撒き散らし始める。
とても嫌な予感がした。
『やめて! ママ! お願い! ごめんなさい!』
言ってしがみついた虎雄を、母は引き剥がして油を撒き散らし続ける。
ボトルが空になると、二本目を、三本目を。
二人で映る家族写真も、テレビを見ていたソファも、食卓を囲んだダイニングテーブルも。
油で、びちゃびちゃになる。
『虎雄? さあ、こっちにおいで……』
優しい言葉に、虎雄は抗うことができなかった。
その時腕に包まれる暖かさを感じて目を閉じる。
カチッ──。
そして、轟々と燃える炎が周りを包み、息苦しさで目を開いた。
虎雄と母の視線が交わって、母は言うのだ。
『一人じゃ、生きていけないでしょ? あんたを殺してあげる……。あんたなんて産まなければよかった……、死ぬこともなかったのに……』
その後、母は先に意識を失った。
虎雄は近所の人が呼んだ消防隊によって、救出されることになる。
今でも、夢に見る。そしてこびりついて離れない、母の言葉が。
◇ ◇ ◇
「どうした? 感極まっているのか?」
リクの顔、そして地獄が目の前に広がる。
我に帰った虎雄は、目から流れる涙にようやっと気がついた。
と、同時に覚悟は決まった。
「……今は、違うよな。必要としてくれる人たちがちゃんといる。──助けないと!」
マイクも拾わないほど小さい声で呟く決意は、虎雄の瞳に決意の炎を宿す。
その火は強くリクを見つめていた。
「──オレが、英雄? ふざけんな! オレは、赤城虎雄。ダンジョン崩落を招いた大悪党だぜ? 顔も見えないコメントのお前らは、勘違いしてんだよ! オレは全部ぶっ壊すために此処に舞い戻ったんだ!!!」
腰の袋から火炎石を大量に取り出す。
「……なにしてるんだよ」
リクが正気を疑うような目を向けている。
でも虎雄は気にせずに、取り出した火炎石を至る所に設置し始めた。
「ぶっ壊してやるんだよ! 何もかも!」
コメントは荒れ始める。
“は?”
“え?”
“こいつ、とち狂ってる!”
“ダンジョン爆破で全部壊す気か?”
“おいおい、ヒナちゃんが死んじゃうだろ!”
“やめろ、やめてくれ!”
「全員死んじまえ! できるわけないって思ってるだろ? テメェら! コメント叩くだけのゴミども! やってやる、オレがやってやる!!」
手の震えを抑えつけるようにグッと力を込める。
(悪役になりきれ……。日夏さんを助けるためだ……。歯ァ食いしばれ!)
ガントレットに火炎石を装填。そして声高々にリクへ告げる。
「お前らの目論み丸ごとぶっ壊してやる──【
放たれた火砲はリクの頬を掠める。
そして貫く軌道は観客席へ向かい、起爆性の鉱石に直撃。
はじけた赤いカケラがパチパチと音を立てて、近くの鉱石に連鎖を始める。
ババババババババッ──!!!!
何度も何度も爆発する鉱石たち。
やがて燃え広がった地獄を吹き飛ばす爆風を起こした。
オークションホールの壁にヒビが入り、瓦礫が落ちる。
「どうだ! やってやったぞ!」
虎雄はすぐに日夏へ視線を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます