一章11話「幕開けの夜」

 肋が軋みを上げて、赤く変色したミミズ腫れが、ズキズキと痛む。

 直後、振り下ろされる鞭に、体が強張った。


「いや! やめてください!」


 いくら叫んだところで、助けが来ることはない。

 私に跨り、ヘラヘラと笑う男が何度もムチを振るう。


「痛い……。痛いです……!」


 男性アイドルとのオフ会。

 そんなもの、彼氏に内緒で来るんじゃなかった。

 今更後悔したところで、状況は変わらない。


 すると、目の前の男が、私を見下ろす。


 青い髪と瞳、端正な顔立ち。

 画面越しに見ているだけで、幸せだったその表情は、酷く歪み、汚らしく映った。


「……お前さ、反応がワンパターンすぎて、つまんないよ」


 何を言われているのか、理解できなくて黙る私。

 するとサラサラっと髪を靡かせた。


「お前も、もっと楽しめよ。……感情的になってくれよぉ〜! なぁ!」


 言って、腰に装備されたナイフを取り出す。


「……なに、それ」


 ダンジョンモンスターのドロップ品で作られた武器は、固有の能力を持つ場合がある。

 彼の手にしたナイフは、毒々しい紫色。

 私は一目見て、そのナイフが毒の効果を持つものだと悟った。


「やめて! 死にたくない!」

「あはぁ……! そうだろ? ムチじゃ死なないもんな!?」


 言って彼は首元にナイフを近づける。

 私は、縛られた手足で踠きながら、必死に抵抗していた。


「あははは! 楽しいだろ? スリリングだ!」


 下卑た声が木霊している。

 その時、腕にチクっと刺すような痛みが走った。


「……え?」

「あはは! いつまで生きていられるかなぁ?」


 手に持たれたナイフの切先に、赤い液体が付いている。

 ダンジョンに入り始めて半年に満たない私は、判断がつかなかった。

 ナイフがどれだけの毒性を持ち、どうすれば死なないのか。


 そもそも、こうなる前に、私は逃げられなかったのか、と。


 私は溢れる涙を拭うこともできず、彼に懇願する。


「お願い、死にたくない! 死にたくないの! 彼と……、結婚が……」

「あはぁ、無念だろうね。気持ちはわかるよ。……辛いね。苦しいよね」


 言って頬を伝う涙を彼は優しく拭いとる。

 そして慈悲のような優しい笑顔で囁くのだ。


「彼氏と結婚する予定だったのかなぁ? 婚前で亡くなってしまうのは、彼もかわいそうだね」


 泣き喚く私の声が反響して、鼓膜を揺らしている。

 グルグルと回る視界は、跨ったまま優しく声をかける青髪の男を、天使だと錯覚させた。


「助けて、お願い。死にたくないんです」

「そうだよね、死ぬのは怖いよ。でもさ……」


 言って彼は顔を俯かせた。


「──婚前にぃ! 彼氏に内緒でぇ! 男と会うお前が悪いよなぁ! ギャハハ」


 生温かい涙が、地面に溢れてシミを作る。

 そうだ、全て私が悪いのだ。

 死んでしまっても、仕方がないのかもしれない。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 彼は笑いながら何度も、そのナイフで私を突き刺す。

 血が滲むほど拳を握る。痛みを感じることを彼はきっと許さない。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 謝ることしか、私には許されていない。

 助けて欲しいと願うこと、死にたくないと思うことも許さない。

 彼氏への贖罪だけが、私に許された言葉なのだと知った。


「ごめん、なさい……」


 眼前の青髪天使は、笑いかけて言う。


「……これだから身勝手な女は嫌いだ」


 私が人生最後に見たのは、そう吐き捨てて立ち上がった男に、トドメを刺される。その光景だった。

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