一章9話「赤城虎雄は、覚悟を決める」

 ダンジョンからネットカフェに直行した虎雄は、眠気に抗うことができなかった。

 翌朝、ブルブルと震え続けるスマホのバイブレーションで目を覚ます。


「……え? なんだ」


 寝ぼけ眼を画面に向ける。

 時刻は【09:47】と表示された。


「ヤベェ、寝坊だ……」


 目覚ましに気が付かない。

 普段はそんなことありえないが、初めて自分の意思で魔法を扱った。

 魔力の消費が激しかったとか、そういった理由だろうと、自己完結する。


ブルルルッ──。


 スマホの通知が鳴った。


「さっきからうるさいな……。って、え?」


 虎雄は自分の目を疑う。

 何度となく腕を擦り付けて、スマホ画面を見た。


「痛っ──」


 頬を引っ張ったら、ちゃんと痛い。

 つまり、夢じゃなかった。


【〇〇がフォローしました】


 そんな通知が、スクロールしても、スクロールしても終わらない。

 虎雄は大規模SNSを開いて、トレンドを確認した。


【かえんほうしゃ系犯罪者】

【新人くん】

【赤城虎雄】

【赤トラチャンネル】

【池袋ダンジョン崩落事故】


 といった言葉が並んでいる。

 前日の配信は、百万再生を超えていた。


「どうしよ……本格的に、犯罪者だ」


 バズったことよりも、世間が赤城虎雄は犯罪者だと認定したように、トレンドを見て思う。

 ブルブルと震え続けるスマホを操作して、ヒナにメッセージを打つ。


“助けてください。ほんとの犯罪者になっちゃいます。どうにかしてください“


 そして震える手で送信ボタンを押した。

 すると、返事はすぐに戻ってくる。


“いっそ死んだことにする?“

「はぁ? この女、クソッ!」


 虎雄はすぐさま返信する。


“ふざけないでください! こっちは真剣に相談してるんです!”


 普段から真っ赤な頭を耳まで真っ赤にして、ネットカフェを出る。

 このまま外にいるのは危ないと判断した。

 かといって、家に帰るのは気まずい。


「雪乃、キレてるかな……」


 肩を落としながら、大通りに出る。

 マスクを目一杯引き上げて、フードも顔を覆う勢いで被った。

 虎雄が向かったのは、ギルドの新宿支部。

 新宿駅近くのネットカフェにいたことで、歩いて向かうことができた。


 大企業のような広いロビー、高級そうな絨毯が敷かれたエントランス。

 受付には、モデルのようなルックスの女性が二人、笑顔でこちらに目を向ける。


「あ、あの! ヒナって人の知り合いで」


 焦りすぎたせいで、容量を得ない話し方になってしまう。


「えっと、……います?」


 ニコリと笑いかけると、受付の女性一人が、子機を取ってどこかに連絡していた。


「はい、……ええ。そうなんです。あ、それが、ヒナさんに──」


 電話を終えた受付嬢に、少し待つようにと言われて、待機していると、受付嬢が近寄ってくる。


「あ、すみません。お待たせいたしました。案内いたしますので、こちらへ──」


 言って誘導する受付嬢の後を追い、エレベーターに乗った。

 二十階行きのボタンを押して、扉が開く。


 そこは、エントランスと同じように赤い絨毯が敷かれていた。

 無数の部屋があり、その一つに受付嬢がノックする。


『──いいよ。入って』


 部屋の中から声が聞こえて、受付嬢はゆっくりと扉を開けた。

 鼓動が早くなる。男の声で言われた『入って』という言葉に動悸が止まらなくなる。

 恐る恐る部屋に入ると、広めの応接室だった。


 こちらに背を向けてソファに腰を下ろす男が一人。


 向かいには、ヒナが強張った顔で小さく座っている。

 まるで、親にこっ酷く叱られた子供のように。


「ひなっちゃんの隣でいいよね? ささ、座って」


 言われるがままソファに腰掛けて、正面を見る。


 虎雄は思わず固まった。


「……え、っと」


 白髪混じりの短髪と無精髭は年齢を感じさせるが、内側の筋肉が透けて見えそうなほどがっしりしたスーツ姿。

 男でもウットリしてしまう優しげな眼差しは、それでいて強い信念が感じられる。

 まさか、こんなところで“憧れた男”に会えるとは思いもしなかった。

 唾を飲んで、口を開く。


「あの……剣聖の……」

「あっはは! 剣聖ね、そんなのも会ったね」


 気さくに話し始める。

 こんなの男でも妊娠しちゃう。ダンディな声色は、虎雄にそう思わせた。

 気のいい人を前に、隣はどうして固まっているのか。疑問が湧く。


「じゃあ、一つ自己紹介ね。大多野おおたのつるぎっていいます。新宿の支部長してるんだよ。──そこのひなっちゃんは、俺の部下だから、仲良くしてあげて」


 言って、ニコリとしてから、テーブルに置かれたマグカップに手を伸ばす。


「はい! もちろんです!」


 大多野は、コーヒーの入ったマグを一口飲んで、テーブルに置く。


 瞬間、雰囲気が豹変する。


 ダンジョンに一度でも出入りしたらわかる、圧倒的強者の威圧感。

 ヒナが固まっていた理由を、ようやく理解する。


「じゃあ、フワフワタイムはここでおしまい。……本題だけど、赤城虎雄。お前、やってくれたな?」


 一瞬で終わりを告げたフワフワタイムが、すでに遠い。

 大多野の一言は、幸せを引き剥がして、喉元にナイフを突き立てている。


「……なに、をです、か?」

「これだよ、コレ──」


 言って、スマホの画面を見せる。

 それはどうやら、ヒナの物だったらしく、虎雄との会話履歴が表示されていた。


(ん? 間男的な……?)


 虎雄が察しようとしたところで、わかるはずもない。


「お前が顔出したら、まずいに決まってるってわかんねぇかな……、はぁ〜。ったくよ……」


 その後、大多野はギルドの本部会で、処分を取り消すように動いたことや、前日の一件で、それが全て無駄になったことを語った。


「本部会から処分命令が出た。晴れて本当に死刑囚ってわけだな」


 呆れ顔で言う大多野。

 マグに再び口をつけると、今度は豪快に飲み干した。


 そこまで聞いて虎雄の頭の理解がようやく追いつく。

 ヒナが病室に来た時の流れとも似ている。


「死んだことにしちゃおうぜ的なことです……?」


 大多野の瞳に、ギラついた殺意が揺れた。


「ひぃ……」


 情けない声が出る。


「ちっげぇよ! タコ! 本当に死刑になるかもね、的なことだ」


 普段なら、ここで大声の一つでも出すところだが、相手が相手なだけに、怖気づく。

 身近に迫らなければ死の恐怖というのは怖くないものだ。

 それでも、足が震えて、手汗が滲む。


「……どうにか、ならないんですか?」


 すると、隣にいたヒナが満を辞して口を開く。

 強い目をして、大多野を見据えて続ける。


「死んだことにするって悪い話じゃないですよね」

「あぁ、だが公共の治安維持組織として、隠蔽だとか、偽装だとか。リスクのある行動を取れねぇんだよ」


 この人たちは何でそこまでして、自分を生かしておきたいのか。

 何をさせたいのか。

 そんな疑問が頭に浮かんだ。


「そんなことバレないように……」

「無理だ。こいつが動く限りバレないことはない」


 逡巡する疑問は、膨らんでいく。

 わからないことが多すぎてこんがらがった虎雄は、口に出していた。


「あ、あの。オレに何をさせたいんですか?」


 ハッとして口を噤む。

 しかし吐き出した言葉をなくすことはできない。

 二人が虎雄を睨みつける。


 大多野は、呆れて言葉を吐く。


「ダンジョンの闇って、知ってるか?」


 池袋ダンジョン崩壊以降、急速に語られ出した都市伝説。

 ダンジョンの闇。それはクリーンイメージを保っていたダンジョンに潜んだ多くの犯罪者のことである。

 ネットの掲示板でもスレッドが立ち、さまざまな陰謀論が生み出されていた。


「知識としては……知ってます」

「まあ、そういう噂が出るくらい、ダンジョンのクリーンなイメージが壊れてきてるだろ?」


 嘆息して大多野は、頭を俯かせる。


「抑止力が欲しい。主に犯罪抑止の力だ。そうだな、漫画の【デッドノート】みたいなやつさ」


 虎雄が息を呑む音が、応接間に響く。

 犯罪者を殺しまくって、犯罪を抑止しろと言っているようだ。


「それって、最後主人公が……」

「そうそう、知ってんなら話が早いわな。要はそういう抑止力になる規格外の力が欲しい。お前の目的はよくわかんねぇけど、バズりたいとかそんな感じだろ?」

「違います……!」


 意外だ、といった様子で目を丸くしてこちらを見つめる大多野。

 彼を見据えて言う。


「犯罪者にはなりたくない」

「お前は抑止力になるんだよ。犯罪者じゃない」

「犯罪者を殺してるヤツなんて、犯罪者以外の何者でもない……ですよ」

「──あっはは!」


 大多野は腹を抱えて笑い始める。

 犯罪者になることのリスクは、ここ二週間で痛いほどに感じた。

 会えてないが、雪乃にも迷惑をかけているかもしれない。


 確かに、人間が一番恐れているのは『死』かもしれないが、それだけじゃないはずだ。


 大多野は笑い声を収めて続ける。


「殺さない抑止力は、存在できないぜ? アマちゃんだな、お前」

「だったら、オレは──命を取らないで殺す抑止力になります」

「おいおい、アマちゃん過ぎるだろ。社会的に殺すってか? 失うものがないやつはこの社会に五万といる。そいつらを晒したところで、何にもならんだろ」


 提案を一蹴する大多野。

 しかし、虎雄の言いたいことは、そうではなかった。


「なりますよ。ダンジョンに一生引き篭もるわけにいかないでしょ、人間なんだから。耐えられなくなって社会に出てきた時に、ソイツは一生、人の目を恐れて生きていくんです」


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