彼女の靴

知世

第1話

他人の靴を履いたことがあった。


小学校三年生の冬、公文に遅れそうだった出席番号1番の子が、出席番号2番である私の靴を自分のものと間違えて履いて帰ってしまった。


自分の靴がなくなった私は、先生の助言で彼の靴を履いて帰ることになった。


当時の小学生の間で大流行していた「コーナーで差がつく」という謳い文句のマジックテープのスニーカー。彼も私も同じ色の同じ形のものを履いていた。サイズまで一緒だった。


歩き始めて、履き心地が違うことに気がついた。


彼も同じことを思ったようだった。


「行きは急いでいて気が付かなかったけど、公文が終わって靴に足を入れた時、違和感があって間違いに気がついた」と翌日の教室で話していた。


同じ小学校に通い、全く同じ製品である靴を使っていても、家庭や生活の違いによってその履き心地は異なるものになるのだと思った。


「他人の靴を履いてみる」ということわざがある。英語の定型表現である。「他人の立場に立ってみる」という意味だ。


3年3組1番、おっちょこちょいで三枚目の彼に靴を返してもらってから1年後、私はまた他人の靴を履くことになる。


私は入学からずっと放課後学童クラブに通っていて、同学年は私ともう2人いた。「お前と一緒に帰ると冷やかされるから30メートル離れて歩く」と私に言い放つ、幼馴染で同じ小学校の男子と、背が高くておっとりとしていて、いつも低学年の子にまとわりつかれて歩きにくそうにしている、聾学校に通う女子だった。


私もみんなと一緒で彼女が好きだった。唯一の同性の同級だったし、考えるのより手が早い私と、ゆったりとリズムをとって歩く彼女は正反対でいいコンビだったと思う。


彼女の耳は右と左で聞こえに差があった。読唇術ができるので喋って伝わらないことはあまりなかったが、2、3度聞き返された時は聞こえの良い方に口を近づけ、口の動きを少し大袈裟にし、声を大きめにしてもう一度言うことにしていた。


それはある学童の行事で電車に乗った時のことだった。私と彼女、それとひとつ上の聾学校所属の男女とボックス席に座った。話し初めは全員に発音があって、私もなんとなくみんなの話についていけていたが、盛り上がるにつれて他の3人は口パクに近い状態になっていった。ものすごく早くて手数が多いじゃんけんを見ているようでそれはそれで楽しかったが、少しだけ寂しかった。逐一解説を求めるのも、盛り上がっている会話に水を差すようで申し訳ない気がした。そこで、気がついた。


彼女も大人数で話す時、今思ったことをそのまま感じているかもしれない。


その日から、私は指文字を覚えることにした。


手話と指文字は似ているようで違う。


両方の人差し指を向かい合わせて、指人形がお辞儀をするように曲げると、「こんにちは」の意味の手話になる。これは、ひとつの言語である。


それと違って指文字は、五十音にひとつひとつ手の動きが対応している。グーにした右手の手の甲を自分側に向けて、親指を出すと「あ」親指をしまって小指を立てると「い」小指をしまって人差し指と中指を上げると「う」である。


指文字を使うことによって、彼女が早い発音についていけなくなってわたしの肩を叩いた時、周りの会話のテンポを損ねずに意思疎通できると思った。それに、手話を英語とするなら指文字はローマ字みたいなものなので、指文字の方が覚えるのは簡単だった。


そして、このやり方はとてもうまくいったのだ。と言いたいところなのだが、じつは実際がどうだったのかあまりよく覚えていない。だが、これを書いている今、まだ指文字を喋るのと同じくらいの速さで出力できることを確認できた。「た」と「ち」がたまに逆になってしまう当時の癖も同じで、懐かしくなった。指文字五十音表を見ながら彼女と練習したことや、家のお風呂で好きな曲に合わせて指文字で歌っていたこと、卒業旅行で風呂に入って彼女が補聴器を外した時、指文字が役立ったことなどを次々と思い出した。


彼女とダンスを踊ったことがある。


うちの学童では、夏休みのキャンプファイヤーの時、グループに分かれて火の周りで5分くらい出し物をするのが恒例だった。仮装して寸劇をしたり、たたかいごっこをする子たちが多かった。


小学6年生の時の彼女と私は、私の提案で一曲踊ることにした。私が好きな女性ダンスユニットの有名曲だ。ミシンを使うのが好きだった私は、学童に備え付けられたミシンでお揃いの簡単なミニスカートを作った。彼女はラジカセのスピーカーに顔を寄せてふんふんと曲を覚えた。2人で歌いながら練習した。本番では2人で火の周りをくるくると回りながら踊った。児童たちに好評で、キャンプ後の人気投票で3位になった。景品としてキャラクターのホチキスを貰った。指導員が、私たちが卒業した後女の子たちのグループの間でダンスを踊るのが流行した、と言っていた。


今でも彼女があの歌をどう歌っていたか懐かしく思い出すことができる。当時はそれが当たり前で気が付かなかったが、彼女の歌声の音程をからかう子供も、「違う出し物の方がいいのでは」と気をつかう指導員もいなかった。ただ仲良しの2人組が一緒に歌って踊っているだけだった。


耳が聞こえにくいのも、外遊びが好きなのも、いただきますの時にいつも帽子を脱がないで怒られているのも、学童のなかでは全て同じ特徴のひとつだった。あの場所で私は、他人の靴を沢山履いたように思う。


みんな同じ公園で遊び、同じ家でおやつを食べ、たまにそれぞれの靴を交換しながら過ごしたあの日々。ほろ苦い経験もたくさんあり、良い思い出だけだったとは全く思わないが、それでもなかなか楽しい6年間だった。


このあいだOB会があり、人づてに彼女が結婚したことを聞いた。もしこれから機会があって再会できたら、大人になった2人でお互いの記憶のピースを埋めるように思い出話が出来たら嬉しいな、と思う。


その時はきっと、彼女が私の靴を履いて見た景色を教えてもらえるだろう。

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彼女の靴 知世 @nanako1123

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