第8話 彷徨える水子
「こっくりさん、こっくりさん、おいでください。おいでくださいましたら、『はい』へお進みください」
手帳を見ながら、一言一句、セリフを間違えることなく同時に読み上げる。
「もう一回やろう」
「こっくりさん、こっくりさん、おいでください。おいでくださいましたら、「はい」へお進みください」
しばらく経つが何も反応は示さない。だが、私たちの指が、赤い鳥居の上に置かれた10円玉にぴったりと吸い取られる感覚があった。
『ポト……』
「え? 雨?」
何か硬いものが画用紙を叩く音が響いた。良く見てみると、「はい」の部分にビー玉くらいの黒く濁った水滴が付いていた。
「そういうパターン?」
「ねぇ……指、離れないよ。まるで接着剤でくっついてるみたい……」
「無理やり離しちゃダメ。乱暴な態度取ったら怒られる」
今までとは全く違ったやり方でコンタクトを取ってきたため内心混乱したが、とにかく質問し続けなければいけなかった。
「あなたは人? いくつなの?」
『ポト……ポト……』
「はい」と、数字の「零」に雫が垂れる。霊は女性で、年齢は0才。喋れないのも当然、水子の霊だったのだ。長い間この世に留まっているから、ある程度の言葉を理解できるようになったのだろう。しかし、人の霊であるのに達也に聞こえなかったのは何故なのだろうか。
「このまま続けたら紙が汚れるし、回数が多くなるとどこに落ちたか分からなくなるんじゃないのか?」
「できるだけ短く済むようにするから」
「大丈夫なの?」
「マジやべーよ……」
私は3人がパニックに陥り始めているのをなんとなく感じていた。だが、『ソレ』の気配を感じている私は冷静に対処できた。
「あなたは何を伝えたいの? 私に幻覚を見せたのはあなた?」
『ポト……(いいえ)』
「他にもいるの?」
『ポト……(はい)』
どうやら、ここには複数の水子の霊がいるらしく、質問に答えているのは私に怪異を引き起こしたものではなさそうだ。
「じゃあ、肝心な質問にいこうか……。『籠女』という化け物を知ってますか?」
「…… …… …… ……」
「そんな簡単に答えてくれるわけないか……」
『ポト……ポト……(いる)』
「え……」
しばらく間を開けて反応があった。その雫は初めて50音の平仮名が書かれた場所に落ちた。籠女が存在していること。そして、それはすぐ近くにいることを警告してくれた。
『ポト………ポト………ポト………(うしろ)』
「うしろ?」
『バサバサバサッ』
その直後、強い風が背後から私の背中を叩きつけてきた。紙が風に煽られ捲り上がる。
『チャリンッ』
10円玉が吹き飛ばされ、私たちの指が離れてしまった。その直後、紙は鬱蒼とした茂みの中へ消えてしまった。
「どうしよう、紙を見つけないと後始末できないわ」
突然明美が無表情で立ち上がり、ゆらゆら歩き始めた。
「おい! 明美! どこ行くんだよ!」
「これって……まさか……。達也!」
「無理に引き戻すのは危険だ。見失わないように追うぞ!すまないが久は紙を探してくれ」
「マジかよ……分かった。明美を頼む」
明美はゆっくりとしたスピードで坂を降り始めた。その先には海がある。微かに磯の香りが漂ってきた。あの怪異で現れた匂いと同じものだった。
「達也がいるのにどうして……」
「それだけ怨念が強いということだろうな。俺の能力だけじゃ太刀打ちできなかったか……」
しばらくして海岸が見えてきた。明美はまだ海がある方向に歩き続ける。
「か……ごめ、かごめ……。籠の中の鳥は……、いついつ出会う……、夜明けの晩に……、鶴と亀が滑った……うしろの正面だぁれ……」
その歌声は明美のものではなかった。少し大人びていて若干低い声であった。
道が開け、海が見えた。明美はそこで立ち止まり、ゆっくりと私たちの方へ振り向いた。
「ここで、赤ちゃん死んじゃった……。いっぱい、いっぱい……死んじゃった……」
明美は今にも泣きそうな顔で私の目を見つめていた。
「あなたが籠女なの?」
「かわいそう……かわいそう……だから……みんな一緒に、くっつけた……」
「くっつけた?」
私は達也と顔を見合わせる。
「あなたも……一緒……。帰ろう……帰ろう……」
そう言うと、明美は私の手を強引に引っ張り始めた。
「いや……いやっ!! 私は違うの! 離して籠女!!」
「恵! おい、やめろ!」
「いやぁぁぁっ!」
達也が腕を掴んで引き剥がそうとすると、明美が悲鳴をあげた。掴まれた明美の腕が赤く爛れた。
「あ……」
達也は自分の手を見つめて唖然としていた。痛みで顔を歪めていた明美は、ギロリと達也を睨みつけた。肩をすくめ、今にも襲い掛かろうとしていた。
「恵、逃げるぞ!」
達也が私の手を引き、明美が見えなくなるまで走り続けた。どのくらい走っただろうか。気がつけば知らない民家が立ち並ぶ場所に辿り着いていた。
「どうするの! 明美置いてきちゃったじゃん!」
「あの目見ただろ! 人間の目じゃない! そんなに遠くまで行かないはずだ。それに、俺らスマホで位置情報を共有してるだろ? 何かあってもすぐに場所が分かるから安心しろ」
複数並ぶ民家のひとつが、まだ明かりがついていた。
『ガラガラガラ』
その民家の玄関から、威厳を放つ白髪頭の高齢男性が出てきた。
「お前達、騒がしいぞ。この時間に何やってるんだ。ん? ここら辺のもんじゃないな? 他所もんか。また海に肝試しに来たんだろ。あれほど行くなと言ってるのに。最近の若者は……。お前たち名前は?」
「嶺岸達也(みねぎし たつや)です」
「我妻恵です……。すみません、すぐに帰りますから……」
「ああ、待て……。中入れ。ここら辺でうろちょろされると亡魂が追っかけてくるぞ。特にお前さんは変な気を持っているな」
「嬉しいんですけど、友達探さなきゃいけないので」
「今のままじゃ無理だ。中から聞いてたが友達が取り憑かれたんだろ? 大丈夫だ。その子が行くところなら分かってる。とりあえず入れ」
そう言われて家の中に上がると茶の間に案内された。男性が緑茶を差し出してくれた。
「申し遅れたな。私は狩野 賢治(かの けんじ)だ。ここに来る子達のことは詳しいから、友達のことは任せておけ」
「あの、明美がどこ行くかなぜ分かるんですか?」
「ここで居なくなる理由と言ったらたかが知れてる。お前たちも知らないうちに呼び寄せたんだろ? ヤツを……。噂を聞きつけてここに来たもんたちが、だいたい1人は憑かれて連れて行かれるんだ。いつも海の近くの洞窟で見つかるよ。その度助けてやってるんだ」
私は異様な喉の渇きを覚え、お茶を口に含んだ。ほろ苦い茶葉の味とともに、何かがスッと背中から抜けていくような感覚を覚えた。
「お茶は除霊に役立つんだ。飲んだら体が軽くなったろ。赤ん坊が憑いてたからね」
「お爺さんも見えるんですか?」
「ああ、子供の頃からな……。ここは、昔村があった場所のすぐ近くなんだ。よく夜中になると子供の泣き声も聞くよ。当時の村の人たちの孫がこの辺りに住んでるんだ。俺の家族も先祖代々住んでたみたいだよ。俺が生まれた頃には……もう焼けて無くなってたけどなぁ……」
「あの……急に申し訳ないのですが、昔その村に住んでた川鵺っていう人を聞いたことありますか?」
狩野さんは目を丸くして驚いた表情をしていた。
「ああ、聞いたことあるな。いくつか家族が疎開してて、戦後何年かして戻ってきたんだよ。川鵺っていうのもその時に聞いたことがあるな。みんな川鵺さんはどこだ、川鵺さんは生きてるのかって心配してて。でも、帰る家もなくてねぇ……。結局みんな出て行っちまったよ」
「私の祖母もその村の出身なんです。籠女の話を聞かされたことありませんでしたか? よく祖母が話をしてくれたんです」
「俺も、ばあちゃんからうるさいほど聞かされてたよ。子供の頃、友達の間で妙な噂が出ててね。白装束の髪の長い女が籠を抱えて浜辺を歩いてるって。私の赤ちゃん返してって縋ってきたらしい。それが本当なのか確かめに行ってやったんだ。そしたら……いたんだよ。噂と同じ女がな。それから今まで、もう夜中は怖くて海に行けなくなった。そこの海は昔から水難事故が多くてね。あまり深く行くと足取られるぞって脅されてたよ」
達也は仕切りに明美を掴んだ右手をもう片方の手で撫でていた。こちらの話はほとんど聞いてないようにも思える。
「昔間引きされた赤ん坊が、妬ましくて海に引き摺り込むって言われてた。子供は7つまで神の子。海で死んだの、ちょうどその年齢の子供が多かったな。昔の村は貧しくて、人口にうるさくて陰険だったらしい。ばあちゃんから教えてもらったんだが、知らねぇうちに赤ん坊取られて泣き喚く母親もいたんだと。子を亡くす代わりに村を良くしてもらうと、適当な理由つけて殺して海に捨てた。その女も、子供が沈んだ海に身投げしたっていう話だ。そいつらの怨みが溜まってるんだよ、ここら辺一体は……」
「向こうにある祠には何が祀られてるんですか?」
「ああ、あれは祠なんかじゃねぇよ。水子を供養するために、子供を失った村人たちがひっそりと建てた慰霊碑だ。偉いもんにバレないように、水神を祀った社に見せかけたんだ。たまに、流れてくるんだとよ、骨が入った籠が。何人もの赤ん坊の骨が、あの下に埋まってるんだ」
点と点が線で繋がった。あの場所で水子が現れたのは、かつてその祠が間引きされた子供の霊を供養するために建てられていたからであった。あの時、こっくりさんで現れた水子は、何を伝えたかったのだろうか。
「私に憑いてた赤ん坊は、その女性の子供?」
「恐らくそうだろうな。連れて行ってほしいんじゃないか? 母親のところに」
『みんな一緒に……くっつけた』
憑依された明美が放ったこの言葉は、何を意味しているのだろうか。
「間引きされた子供が、海で死んで、戻ってくる……。この言い伝えに心当たりありますか?」
「たまに、人離れした妙に綺麗な女が村にやってきたらしい。誰とでも仲良くなって、変にモテるからすぐに男との間に子供ができるんだけどよ、生まれて間もなくして子供と一緒に消えるらしいんだ。多分その話じゃないか? ばあちゃんも、その女と会ったことがあるらしい。毎回違う女なんだ。どこから来たのかと聞いたら「海の方から」って」
お坊さんが見たという籠を持った女と、子供と一緒に消える女は違う存在。籠女はその存在ではなく、一連の怪異そのものを指すのだろうか。
「明美を探すの……手伝ってくれますか? もしかしたら、彼女に取り憑いてるの水子じゃなくて、言葉では表せない複雑なものなのかも。もしかしたら、私たちだけでは取れない可能性があります」
「いいだろう。もう夜中の2時だ。夜明けまでにその子を元に戻さないと、何が起きるか分からない」
達也は私の顔を見て何か言いたそうにしていた。
「達也は見てるだけでいいから」
「……大丈夫なのか?」
「今は強い味方がいてくれるから、何とかなるよ」
私が気楽そうな顔を見せると、達也もゆっくりと顔の緊張が解けていった。私たちは除霊の準備を整えると、狩野さんの車で祠で待機させている久の元へと向かった。
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