第2話
「今日は高等冊子を用いて授業をします。」
「忘れた方は隣の人に見せてもらってください。」
「それでは、12頁の『処女的シンボルの解体あるいは治療』を黙読してください。」
暇なので教室の隅に目を向ける。
頸部が少し欠けている花瓶には数本の薔薇が挿さっている。
割れ目からは濁った水が胴の丸みに沿うように滴っていた。
「あからさま。」
私は苦笑気味に呟いた。
「出席番号二五番の人。質問です。」
(あぁ、私だ。)
仕方なく冊子を開き、頬杖をつきながら、億劫そうに欠伸をする。
「13頁5行目の『詩における裸体表象の置換作用は秩序ではなく、発作的な言語サラダとイメージの近似性からなる。』という記述についての質問です。」
「総評には『発狂の構造化』と述べられていますが、裸体表象に対峙する際、現実的にどのような『発狂』が起こるでしょうか。貴方の意見を聞かせてください。」
咄嗟に目を伏せた。
(裸体表象とは、つまりキメラ的妄想に肉付けをすることだ。)
先生は私の酸っぱい顔を見るためにこんな質問をしたのだろうか。
(性根が腐ってやがる。)
私は喧嘩を買うことしか考えていなかった。開口一番に皮肉を交えて答える。
「私は裸体表象というものを見たことがありません。」
「先生は見たことがあるようですが、生徒以外にはあるのですか?」
煽った口調で罠を仕掛けるかのように問いかける。
(さぁ。挑発に乗るか。)
「裸体表象は視覚的な妄想ではなく、あくまでも内的な比較です。」
「例えば、月。私達が見ているのは光ですが、イメージされるのはモノとしての月です。」
「イメージ、つまり想像上の月を起点に裸体との近似を図ります。」
「これは自由に操作された言葉遊びであり、目の裏に直接作用する体験なのです。」
「そのため、イメージは結果的に自己の枠内にとどまり続けます。」
「外側、つまりモノ自体とは無関係に増殖し続けるため、その質問は意味がありません。」
「分かりましたか?」
妙に整った顔は私の神経を逆撫でする。
冊子に目を落としたまま、前を向くことは当分できなかった。
「はい、先生。」
苦し紛れに答える。間違えを認めたわけではない。
マホガニーの滑らかな肌をした机は、冷や汗で濃く斑点を作っていく。
心なしか下着も湿ってきたように感じる。
恐る恐るマスクを外すと、甘酸っぱく香ばしい臭いが漂っていた。
例えるなら、ベビーパウダーとお酢の混合物のようだ。
「くっ…」
クラスメートの視線は四方八方に分散していたが、私には彼らの思惑が分かる。
年頃の女生徒を気遣う態度は称賛ものだが、あからさまなのは嫌いだ。
だったら、嘲笑ってもらったほうがありがたい。
「先生。あの、少し、お手洗いに行ってきてもいいですか。」
戦略的撤退の喇叭が鳴る。
水分を求め、机の脚によじ登る蟻も音に驚き、次々と落下していく。
額から溢れんばかりの汗を垂らし、深刻そうな顔をしながら、教室を飛び出る。
「つめたっ。」
月冴ゆる季節。セラミック製の便座に身を震わせる。
私は呼吸を整え、凍えた人差し指と中指を口に含む。
唾と口腔の熱によって出来上がった細い指を杏のように赤く火照った秘部に挿れる。
ちょうど第二関節辺りまで入ったら、正面方向に指を鉤型にして、膣壁を刺激する。
恍惚の最中、私は聖テレジアのイメージが頭から離れなかった。
コッドピースを嵌った矜持と滑稽に挟まれた空間において、後光的放射が目を覆うのは容易いことだった。それは、西欧風磨硝子の奇怪な模様を通過して、明暗の差異を演出していた。光は一層眩しく輝き、淡い残留光は何よりも希望の合図だった。
「神様だ。」
もはや現実は言語という名の不純物が剥がれ落ちていき、〈あるがままのもの〉として光を放ちながら、いや瞬間と瞬間の間に確信と忘却を点滅するかのように繰り返しながら、意識は語るのか、はたまた沈黙に徹するのか、判断がつかない状態になっている。
「もう、『何も知ることはできない』のだ。」
眼前にあるのは拭い切れない「現実そのもの」であり、「絶対的リアリティ」だ。
私は自慰の手を止めて、天井を見上げる。
天井は透き通った青色が球面を描くように、立体物と平面の交錯によって織り成していた。
交差する点の集合体は視界を歪め、素粒子の彼方には、遥か無限が広がっている。
私は啓示を受けた、と思った。そう思わざるを得なかった。
立ち上がり、天を仰ぐ。舞い上がる埃が明星の星々として、反射し、また反射する。
瞬きの間、それは大天使の純白の羽根に変わり、祝福のモティーフが私を支配する。
「これは、言葉遊びだ。」
私は気がついた。
「これはダンテの『神曲』だ。」
「天上界ならぬ天井界、ってわけか。」
私はゆっくりと下着とスカートを履き直す。
手を石鹸で洗った後、スンスンと匂いを確認し、教室へ向かう。
ドアの溝に手をかけた瞬間、チャイムが鳴った。
「おぉ、神よ。」
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