神仰知能ARTS = ARTificial Spirituality
イッセンタイジュ
序章 第01話 | 逢条 陽 vs いびつな世界
5月1日 18:07
新たな世界で、波の音(なみのね)が響いてる。
まるで、いつの日か胎内で聞いていた、穏やかな子守唄のような。
あるいは、歴史が始まる前からいきづく、大いなる存在の呼吸のような。
そんな、波の響き。
ここは「融合宇宙」と呼ばれる世界。
その世界に拡がる岸辺を、トボトボ孤独に歩いてる。
足下には、貝殻や石ころで満ちた砂浜と、そこに押し寄せる暖かい海水。
頭上には、だだっ広い空を、紅々と染め上げる巨大な夕日。
空を燃やす、夕焼けの光。
その光を映し出す、茫洋たる大海。
寄せては返す、紅(くれない)と橙(だいだい)に染まった波。
新たな世界に、拡がる風景。
それは、とても美しい。
思わず、息を呑むほどに。
しかし、妙なことが一つある。
夕日が、水平線の向こうではなく、その手前に落ちていくのだ。
つまりは、水面(みなも)を目がけ、真っすぐ夕日が沈んでいくということ。
海に直接、夕日が沈む。
シュール・レアリスムの絵画みたいに、奇天烈にして、奇想天外。
しかし、どうやらそれが、この世界の法則らしい。
見慣れた世界で、夕日が西に落ちるのと同様に。
太陽と、海。
その接触と、交わり。
そこから生まれた子供のように、空に拡がっていく夕闇。
しかし、何より奇妙であるものは-
その闇の誕生を、あたかも祝福するかのように、海のほとりで両手を掲げる、人の形をした何か。
掲げた両手に持っているのは、邪悪な見た目をした剣(つるぎ)。
人のような。
あるいは、それとは別の何かのような。
奇異なる形相をしたそれは、やがて、ある標的を見定める。
標的。
それは、この自分。
一歩。
そして、また一歩。
海に夕日が沈みゆく中、こちらに歩みを進めるそれは、無慈悲に独房に歩み寄る、死刑執行人を思わせる。
いや-
それは、本当に死刑執行人と呼べるのかもしれない。
融合宇宙。
それは、生身の体で入場し、五感で捉える仮想世界。
進化の果て、現実と隔たりをなくした非現実世界。
すなわち、「まこと」と「まぼろし」がまざりあった世界。
それ故に。
ここで受ける太刀は「痛み」をもたらし、運が悪かった場合「死」すらもたらす。
そう、「死」すらも。
絶景からの、奇景。
奇景からの、危険。
闇の岸辺を歩み抜き、自分のもとへと到った「それ」が、何の迷いや躊躇もなしに、大きく剣(つるぎ)を振りかぶる。
その瞬間。
大量の思い出が、走馬灯のように頭を駆け抜ける。
細切れになった18年の軌跡が、右から左に流れてく。
それは、まるで、前衛的なセルフ・ドキュメンタリー映像。
そして、映像の終わりに待っていようは、無慈悲なまでのバッドエンド。
逢条 陽(あいじょう よう)。
18歳の若さで、死亡。
死因は、融合宇宙での死刑執行。
いやいや。
いくら何でも、そんな最期はあんまりだ。
やはり、逃げれば良かったのだ。
あんな契約を交わしてしまう前に。
-ドサリ
そこで、波の音(なみのね)がピタリと止んだ。
その3週間前-
4月9日 13:59
「・・・あいじょう」
ルネサンス音楽が響く中、石造りの地面を、見慣れぬ人々が歩いてる。
明るい色の毛髪と、彫り深い顔立ち。
ローブのようなものを身に纏った、異形なる出で立ち。
その見た目が彷彿とさせるのは、賢者、もしくは魔法使い。
「あいじょう!」
恐らく、その時代は数百年前。
言うなれば、パケット・データの代わりに、伝書鳩を飛ばして遠くとやり取りしているような。
そんな、異世代にして異国の住人が、自分の名前を呼んでいる。
これは一体、どういうことだ?
「おい、起きろ!逢条!!」
その呼び声が、怒号のような叫び声に変わった瞬間。
後頭部をグイと引っ張られ、頭に装着していたメカニカルな何かが、不快な摩擦音と共に奪い取られた。
途端、強引な終止符が打たれた、ルネサンス音楽。
出し抜けに、異国の物語に下りた幕。
「んん・・・」
左斜め、後方。
ぼやける視界の真ん中に居るのは、中世ヨーロッパの賢者、ではない。
間晋経政(かんしんけいせい)高校-
の中年歴史教師、木成 裕司(きなり ゆうじ)だ。
木成が右手に握っているのは、自分の頭からぶん取った、ヘッドマウント・ディスプレイ。
そうか-さっきまでこれで、歴史の教育ビデオを見させられていたのだ。
「やあっと、起きたか?」
巨大な窓にかかるブラインドが引き上げられたみたいに、溢れる陽光が、世界の輪郭を露わにしていく。
さして見たくもない、世界の輪郭を。
「逢条。お前、最近寝てばかりじゃないか。今の問題、答えてみろ」
「・・・えあ?」
「えあ?じゃないだろ。たった今、私が皆に出した問題。答えは何だ」
褐色の肌。
大きな目と、低い鼻。
くるっくるの天然パーマ。
前からぼんやり思っていたが、木成 裕司の顔立ちは、石器時代に作られていた、ある「人形」を思わせる。
だから、いまだボヤける意識のもとで、そんな素直な印象が、ポツリと口からこぼれ出た。
「・・・縄文土偶」
まるで、ボタンを押しても動かない、不良電化製品を眺めるような表情を浮かべる木成。
「縄文土偶か。すると、お前は日本史の話をしているわけだな?でもなあ、今は世界史の授業なんだよ」
「せかいし」
「そう。せ・か・い・の・れ・き・し。答えは、アレキサンダー大王だ」
うっすらと聞こえてくる、クラスメイトたちの失笑。
それが、茫漠とした春の光と溶け合い、まどろみの中に消えていくのを感じた。
4月9日 14:31
「・・・いじょう」
「・・・あいじょう!」
「おい!起きろよ、逢条!」
呆れた声を出しながら、自分の肩をゆするのは、中世ヨーロッパの賢者でもなく、縄文人でもなく、木成 裕司でもない。
同級生であり旧友の、柏木 興介(かしわぎ きょうすけ)だ。
「・・・んお」
「んお、じゃないよ。お前、結局授業中ずっと寝てたんだぞ」
「・・・うも、大王も」
「何言ってる?」
「縄文土偶も、アレキサンダー大王も。日本史も、世界史も。どっちだっていいんだよ、俺にとっては」
「はあ、分かったよ。ところでお前さ、今夜何してんだ?久しぶりに、ウチに来てゲームでもやんねーか?」
「・・・ゲーム」
「お前、そういうのまだ興味あるか分かんないけど」
「・・・何で?今もゲームは嫌いじゃないけど」
「いや最近、下の不良グループとつるんでるみたいだからさ。やっぱ不良は、ゲームに熱中すんのとかダサいと思ってんじゃないの?」
「別に、不良やってるつもりはねえよ」
「いや、ここ「特進課」だぜ?下の不良と絡んだり、授業中に寝てるのなんて、お前くらいしかいないよ。皆、お前がグレちまったと思ってる」
「はっ。なーんも分かってねえ奴らの思うことなんかアテにすんなよ」
「うん・・・そしたら、ゲームはどうする?不良じゃないってんなら、ウチで思う存分ゲームやろうぜ。ちなみに、まだ発売されてない、ホログラムのやつだぞ」
「ほう。ホロゲーねえ」
「悪くないだろ?」
「悪くないけど。ただ今日は、結月(ゆづき)ん家に行くかもなんだよ」
「お。アイドルみてえな彼女と、ラブラブなひと時っすか」
「ラブラブ、というお前のワードチョイスもどうかと思うけどな」
「照れんなよ。行くとしたら何時だ?」
「まだ分かんない」
「ん?今夜の話なのに、まだ分かんないの?」
「いや、返信がないんよね。都合聞いたの、一昨日なんだけど。やたらと返信遅くてさ、最近」
「・・・それ、関係大丈夫か?」
「大丈夫じゃないかもな」
「・・・まあ、分かった。とりあえず、予定流れたらウチに来いよ。お前、剣道部辞めたし、時間あるじゃん?お前以上のゲームの相手は、居ないんだよ」
「そいつは光栄だね」
「それに、ホロゲーは早くやっといた方がいいぞ。あれは、未来の象徴だ。これから、あらゆる物事がホロゲーに取り込まれてくんだぜ?」
「そうなの?」
「ああ。俺の親父がそう言ってる」
そう豪語する柏木は、大手ゲームメーカーにディレクターとして勤める父を持つ、生粋のゲームマニア。
小学校の頃なんかは、よく家出して、柏木家で未発売ゲームに興じさせてもらったものだ。
「まあ、考えとくよ」
そんな柏木とも、クラスや部活や交友関係の違いから、数年疎遠になっていた。
さて、今夜はどうなるか。
返事もろくに寄こさない彼女との、不透明な計画が成立するのか。
それとも、古き友人との語らいが、計画の不成立による空白を補完するのか。
4月9日 14:33
「はああ、まったく」
職員室に戻るなり、深いため息をつきながら、ヘッドマウント・ディスプレイを自身の机にドカッと放る、木成教員。
「どうしました?木成先生。精密機械はそんな風に扱わない方がいいですよ。ヘルメットじゃないんだから」
それを横目で見ながら話すのは、同僚であり、間晋経政高校IT教師の、伊原 正次(いはら まさつぐ)教員である。
「いやあ、逢条ですよ。最近あいつ、歴史の授業中に寝てましてね。起こすとこう、反抗的な態度を取るわけです。で、それをたしなめても、再び寝だす」
「私の授業のときもそうですよ。面倒なので、起こしてませんけどね」
「あ、伊原先生のときもですか。てっきり私だけなのかと。私、逢条とはちょっと確執がありますもんで」
「ほう、確執」
「しかし、何だ。縄文土偶ってのは?まさか、私のことじゃないだろうな?」
「縄文土偶?」
「ああ、いえ・・・こちらの話です」
「ふむ」
「しかし、良くありませんわ。ああいうのが一人出ると、他の生徒も影響されますから。伊原先生、「割れ窓理論」はご存知ですか」
「とある建物の、たった一つの割れ窓が、街全体の治安崩壊の引き金を引いた」
「ほう、ご存知でしたか」
「あなたから、二度も聞きましたから」
「あれ・・・まあ、とにかく割れ窓理論ですよ。一つの割れ窓を放置したら、それが「他の窓が割れててもいいだろ」という、悪しき発想を引き起こす」
「ええ」
「すると、割れ窓だらけの荒廃的な風景が、街に生まれていくわけです」
「でしょうね」
「で、次に何が起こると思います?」
「その荒廃ぶりを見た悪人が「この街は取り締まりが行き届いてないんだ」と見なし、やりたい放題やり始める」
「完璧じゃないですか」
「三度目ですから」
「・・・まあ、それで、しまいには街の治安が崩壊するわけですよ。ちなみに、その街には「管理者」がいる。最大の被害者とも言えるでしょうね。誰か、ご存知ですか」
「さあ?誰ですか」
「わ・た・し・ですよ。街の管理者であり、最大の被害者は。伊原先生だって、管理者の一人でしょう。何せ、逢条の担任をされてるんですから」
「まあ、確かにね。実際、逢条のことは警戒してますよ。いつか大きな問題を起こすんじゃないかと」
「もう起こしてますよ。大きな問題」
「ほう。どこで?」
「剣道部」
「なるほど。木成先生、剣道部でも逢条を見てますもんね」
「"見てた"ですよ。過去形。あいつには、辞めてもらいましたから。剣道部」
「辞めてもらった?その「大きな問題」が原因ですか」
「ええ。試合に負けたことが原因で、他の部員と諍いになったんですわ。まあ、転校生の金堂となんですけども」
「ほう、金堂と」
「ええ。で、諍いの末、逢条が金堂に怪我を負わせてしまったんです」
「暴力沙汰じゃないですか。危険分子ですね、逢条は」
「おっしゃる通り。だから、辞めてもらったんですよ。もともと、暴力沙汰起こしたら強制退部っていうルールもあるんでね」
「それが、さっき言ってた「確執」ですか」
「そういうことです。しっかし、首席を争うくらい優秀で、文武両道だった逢条が、堕ちたもんすわ」
「ま、家庭も複雑ですからね、逢条は。打ち込むものも失って、グレちゃったんじゃないですか?別に、珍しい話じゃないでしょう」
「確か、父親が不在なんでしたっけね?」
「小さい頃に父親がパクられたんですよ。覚せい剤の密輸やら、製造やらで。懲役10年くらい食らって、今も塀の中らしいです」
「流石、お詳しいですな。担任だけあって」
「もっとも、その辺りのケアなど、我々の仕事ではありませんがね」
「そりゃあ、勿論です。我々は、彼らの保護者じゃありませんから」
「そうですよ。仕事は効率的に進めないと。「しなくてもいい仕事」をするのは、効率的じゃない」
歴史教師、兼、剣道部顧問の木成教員。
IT教師、兼、3年C組担任の伊原教員。
彼らは、そうしたドライな行動基準と、「ある楽しみ」を同時に共有する仲間。
彼らにとっての教員生活とは、「しなくてもいい仕事」を徹底回避しながら、時折、乾いた教員生活に水を与える「ある楽しみ」に耽ること。
間違っても、「しなくてもいい仕事の象徴、そして巣窟」と彼らが見なす「生徒の心の問題」に、首を突っ込むことではない。
「しかし逢条も、その内授業をサボって、居眠り姿も見せなくなりそうですよ。そうなると余計、他の生徒に悪影響ですわ」
「どうでしょうね。「割れ窓」が姿を見せなくなるんなら、むしろ好都合じゃないですか?」
割れ窓理論になぞらえた伊原教員の見解に、ふむと相槌を打った後、しばし何かを考え込む木成教員。
「割れ窓が姿を見せなくなる・・・ね」
それは、長きにわたる思索の結実なのか。
それとも、伊原教員の一言が、たまたまもたらした閃きなのか。
突如、ある考えが、木成教員のぶ厚い頭に降り立った。
「ん?どうされました?」
「分かった・・・伊原先生、分かりましたよ!割れ窓への、対処の仕方」
「割れ窓の直し方が分かったと?」
「いや、そうじゃない。割れ窓を直すには、時間と労力がかかるでしょう。それに、仮に直ったとして、その窓がまた割れたらどうするんです?」
「・・・ほう?」
「割れた窓はね、取り払ってしまえばいいんですよ。そしたら、二度と割れることはない」
「取り払う?どうやって?高校っていう壁にくっついてんだから、そんなに簡単な話でもないでしょう」
「いーい考えが、浮かんだんです」
すると、シミで汚れた木成教員の顔に、あこぎな儲け話を閃いた悪代官のような表情が拡がった。
インスピレーションは、高潔な賢者にも、悪代官にも、平等に訪れるらしい。
思いがけず、伊原教員はそんな事実を学んだ。
「ちょっと、伊原先生のITスキルをお借りする形になりますがねえ」
「・・・なるほど?伺いましょうか」
「ふふふ、ふふふふ」
やがて、木成教員の顔の左右に、小さな引力が生まれたかの如く、両の目尻が垂れ下がり、唇の両端が持ち上がっていく。
汚い笑顔だ。
ここまで汚い笑顔は、そうそう見ないかもしれない。
木成教員による「いーい考え」に耳を傾けながら、伊原教員は密かにそう思った。
しかし、その考えを一通り聞き終わった後で、ふとこうも思った。
今まさに、自分も同じような笑顔を浮かべているではないか、と。
4月9日 21:11
「いやー、こう言っちゃ何だけど、結月ちゃんとの予定が流れてくれて良かったよ。やっぱ、友達とゲームすんのって最っ高」
「・・・ああ」
昔から、ゲームは嫌いではない。
少なくともゲームに興じている間は、現実から逃避できるからだ。
だから、今夜も逃避している。
ずっと育てていた花が、咲かないことが分かったような。
この虚しく、哀しい現実から。
「結月ちゃん、何で返事くれないんだろうな?」
「まあ、愛想尽かされたのかもな。剣道は辞めるし、成績はダダ下がりだし、不良の仲間入りしたようにも見えるし」
「ふーん・・・てかお前、何で剣道辞めちゃったの?中学の頃とか、凄かったじゃん?ウチの高校も、剣道強いから入ったんだろ?」
「ちょっと、色々あってさ」
柏木家のゲーム室。
深い目鼻立ちの奥に、生気のない眼差しを浮かべるゴブリンが、部屋の真ん中にホログラムで顕現している。
その痩せこけた皺だらけの顔には、斬り倒される宿命を背負った、ゴブリンならではの哀愁が感じられる。
「何だよ、色々って?」
「・・・」
そして天井を見上げ、約半年前の出来事を頭に浮かべる。
「やっと出れた、全日本大会の個人戦トーナメント。1回戦で負けちゃってさ。しかも・・・」
「しかも?」
「・・・」
口をつぐみながら、コントローラーにコマンドを打ち込み、勇者が手に持つ光の剣(つるぎ)で、ゴブリンを斬り倒す。
いかなる敵をも打倒し、前を見据えて冒険を進めていく勇者。
その勇者を操るのが、この敗北感と倦怠感に満ちた自分とは、何とも不釣り合いな構図ではないか。
「くそが・・・死ねよ」
コントローラーを握る手に、ムキになって力を込めて、うつ伏せ状態のゴブリンに、光の剣を突き立てる。
「おい、もうゴブリンはいいだろ。サイド見ろって」
-ブシャリ
途端、全身から棘の生えたモンスターに襲われ、苦悶の声を上げながら、血を流し倒れていく勇者。
その勇者と同じように虚脱しながら、ソファにコントローラーをボトリと転がす。
「・・・逢条?」
勇者がフツリと消えたことで、部屋に生まれた空隙を見つめる。
すると、そこに「つづける」と「やめる」の選択肢が浮かび上がった。
ソファに不時着していたコントローラーを拾い、そこに設けられたボタンの一つに、親指で圧をかけていく。
-やめる
その瞬間、選択肢がフェードアウト。
ゲーム室に灯る、最後の光が奪われた。
真っ暗闇の中、困惑の声を発する柏木。
「おい、やめんのかよ。続けるだろ?」
「・・・続けられなかったんだわ」
「何?」
「あそこには、もう行けない。だから、続けられなかった。続けたくても」
「逢条?」
光なき部屋の中、コントローラーを膝に置き、こちらの表情を覗き込む柏木。
「行けないって、何でだよ?」
「やらかしちまったからだよ」
互いの、沈黙。
光のみならず、言葉も生まれなくなった部屋の中、柏木は察知したようだ。
それが、只ならぬ出来事であることを。
その出来事の中枢にどうやって入ろうか、逡巡しているのか。
それとも、その中枢は堅く閉ざされていると判断したのか。
もしくは、愉快なホロゲーに、突如挿入されたノンフィクションドラマに、単に頭が追いついていないのか。
いずれにせよ、柏木は何の言葉も返さなかった。
沈黙が部屋を支配する中、天井でぐるぐる回る、換気扇の音だけが鳴り響く。
その換気扇を見ていると、映画のリールが回るみたいに、昔の映像が頭に再生された。
「柏木。お前、小学校の頃のこと覚えてるか?俺、お前ん家でよく遊ばせてもらったよな?」
「ああ、覚えてるけど?」
「・・・また、昔みたいに遊びに来ても嫌じゃないか?」
「おいおい、嫌なわけないだろ?お前が最高のゲーム相手って言っただろうが。大歓迎だよ」
「そりゃあ、有難い。どうやら、どっからも歓迎されてないようなんでね」
「・・・そうか」
「ここが俺の、唯一の居場所なのかもな」
その言葉を放った瞬間、真っ暗だった部屋に、綺麗な光が灯った。
いつしか蘇った勇者が、光の剣を構えてる。
ホログラムで創り出された、架空の世界の戦場で。
「ゴメン、勝手に始めちゃったわ。続けるよな、逢条?」
「そうだな・・・続けるか」
しかし柏木は、自分の承諾とは裏腹に、何かが引っかかったように両手を止め、こちらにゆっくりと顔を向けた。
「あのさ」
「え?」
「・・・お前の「唯一の居場所」って、どっちのこと?」
そこで、ホログラムの戦場と、自身の部屋とを交互に指さし、道に迷ったような表情を浮かべる柏木。
「決まってんだろうが。お前の家だよ」
そう言って、架空の世界で光の剣を振り回す。
ありったけの力を、ボタンの上の親指に込めて。
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