君の手のひらで踊る

第1話 屋上




「あーあ、駄目なんだよ、入ったら」

 背中からかけられた声にびっくりして、ぱっと振り返る。大きな茶色い瞳に、真っ白な肌が目に飛び込んでくる。

「あ……あの」

「先生かと思った?」

 彼女は目を細めて、わずかに微笑んだ。透き通る声だった。

「……うん、少し」

 彼女は、隣のクラスの吉川美波よしかわみなみさん。黙っていても人が集まってくる人気者で、僕とは真反対の人間。

「ふふ、ばーか」

 彼女は軽やかに僕のところまで近づいて、肩を二本の指でトンと押した。そのままスカートを小さく翻して僕を追い抜いて屋上に出た。あははと楽しそうに笑う。

 思わず目で追ってしまうほど、彼女は綺麗だった。吉川さんはくるりと振り返ると、僕を見た。

「ねえ、名前は?」

「…………宮野蒼弥みやのそうや

 吸い込まれそうになる瞳で僕を見るから、咄嗟に言葉が出てこなかった。

「どうして来たの?」

 真っ直ぐ視線が向けられる。

「……え」

「屋上」

 彼女から感じる圧力に、思わず「なんとなく」と返事をした。

「へえ」

 吉川さんは、途端に興味を失ったようにドアの反対側へ進んでいった。

 一人取り残されて、扉を閉めて消えた彼女を追う。

 吉川さんは給水塔の日陰で、持ってきた炭酸水をぐびぐびと飲んでいた。隙間からこぼれる陽射しが炭酸の気泡をきらりと光らせる。

 僕に気づいた吉川さんが「何? 飲みたいの?」飲みかけの炭酸水を僕の方へ差し出した。

「いや、違います」

 僕がそう言うと「そっか」と屈託のない笑みを向けた。

「あの、実はなんとなく来たんじゃなくて」

「うん」

 吉川さんが僕の心を見透かすような眼差しを向ける。

「……あの……少し、教室から抜け出したくなったっていうか、なんか自分でもあんまり分かんないんですけど」

「ふぅん……そうなんだ」

 彼女は一言そう言って青空を見上げるように炭酸水を飲み干した。空になったペットボトルをぐしゃりと握りしめて、こちらに笑みを向ける。

「蒼弥、また来てもいいよ」

 ポケットから取り出したストラップ付きの鍵をくるっと回して見せて、僕に背を向けた。

「あっ、鍵」

「ふふ、内緒ね」

 彼女を追って、施錠するところを見る。

「それ、どうしたんですか?」

「これ?」

 吉川さんはストラップを指でなぞって、目を伏せた。

 予鈴のチャイムが鳴る。

「秘密」

 吉川さんはそう言うと、ぶっきらぼうに鍵をポケットに入れて、振り返らずにふわりと階段を降りて行ってしまった。

 再び取り残された僕も、少し軽くなった足取りで彼女を追いかけるように階段を駆け下りた。

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