第2話 やさぐれた修道女の自分語り
その店はバーである。名前はまだ無い(募集中)。
様々な異世界の中に姿を現すその店は、一人の幼女が切り盛りし、一匹の狼が特に何もせず居座るヘンテコ空間だ。
この夜もまた、店の扉が静かに開いた。扉の動きに身を任せた鈴が鳴る。
入ってきたのは、黒基調の清貧な衣装に身を包み、綺麗な姿勢でたたずむ、少しだけほうれい線の見える淑女であった。妙齢のシスター……と言ったところだろうか。
「何ですか……? この店は」
シスターは、眉間にしわを寄せ、店主の想像するシスターが見せなさそうな訝しげな目で店を見渡した。
「いらっしゃいませ。好きな席にどうぞ」
「好きな席って……椅子が二つしかないじゃないですか」
「ええ。お好きな方におかけください」
「…………はあ」
なんだか気難しそうな印象の女性だ……が、この店に来る客は大体こんなもんである。なにせ、自分語りがしたくてしょうがない、ある種やっかいな者の前にしか店の扉は開かれない。
そんなシスターの足元に、純白の狼がすり寄った。尻尾が左右に高速で振れていて、風が吹いた。
この狼の懐く基準は誰にもよく分からない。スケベな狼なのかと思えば、くたびれた中年冒険者にも尻尾を振る。
「何ですかこの子は……フフっ、くすぐったいですよ」
シスターは絶世の美貌を持っているわけではないが、10人が見れば9人が「普通にキレイ」という感想を抱きそうなくらいには整っていた。眉間にしわを寄せるのがもったいなく感じるな……と店主は思う。
「この店では、私の提供する飲み物を片手に、お客様の好きなように自分語りをしていただいております」
「……何をおっしゃっているか理解しかねます。まず、あなたの様な幼い少女がお酒を扱っていいわけがないでしょう」
「この店で扱うのはお酒ではないので、心配には及びません」
「ますます怪し――あっちょっと、どこを舐めてるんですか!」
どこを舐めているのか詳しく聞きたかった店主だが、聞くわけにもいかなかったので、スケベ狼を頑張って店の隅っこに追いやった。店主が触ると狼は吠える吠える。
「それで、お酒はないんですね?」
「はい。ございませんよ」
「……なんだ、期待外れですね」
「……え?」
シスターが思わぬ言葉を吐き捨てたので、驚いてしまう店主。
「おかしいですか? 酒場の扉が目の前に現れたと思ったから、期待して入ったんですよ? 酔って色んなことを忘れてやろうって」
「いえ……ただあの……あなたは修道女なのでは?」
「はい。そうですが」
はいじゃないが……と店主は半分呆れた。でも、宗教により異なるだろうが、修道女は別に飲酒を禁止されてはいない。ましてや異世界の宗教の教えなど、店主は当然把握していない。
まあ、酩酊しなければ問題ないのかもしれないなと店主は考えた。
「先ほど、この店では客の自分語りを聞く、と言いましたね」
「言いましたね」
「それじゃあ、勝手に語らせてもらいます。聞いてください」
そんな昭和の歌謡曲みたいな入りから、シスターの自分語りが始まった。大体の客は、女神汁を飲んでからじゃないと自分語りをしないのだが……このシスターにはよっぽど語りたいものがあるようだった。
店主が唯一作れるドリンク「
一見変な薬が入ってそうな女神汁だが、実際に変な薬が入っている。
この薬の中身はまさに、女神のみぞ知ると言ったところだ。店主もよく知らないし、作者もよく考えていない。
ともあれ、店主は転生時に女神よりこの女神汁を作る能力などを授かったのだ。
とりあえず、店主はシスターのめんどくさそうな話を聞き流しながらも女神汁を作ることにした。
いつも通り、目を閉じてそれっぽい顔をしながら、素人がイメージするシェイクの要領で変な薬液を混ぜた。
「なんだか下手な手つきでしたね……まあいいでしょう。それで、同僚の修道女と修道院長が一夜を共にしたところまでは話しましたね」
「え」
なんだか面白そうなところを聞き逃してしまった。まさかこの話のサビに当たる部分じゃなかろうな……。店主は女神汁を作ってる場合じゃなかったと、後悔に苛まれた。
シスターは女神汁に目を細め、理科の授業で見た方法で匂いを嗅ぎ、しばらくした後に口に運んだ。女神汁は今まで味にケチを付けられたことが無い。どうやら、シスターの口にもあったようだった。
女神汁は酒ではないが、飲むと酒を飲んだ時と同じように酔ってしまう。シスターはその清らかな体の内に様々な感情を押し込めていたが、酔った事で堰が外れてしまった。
「聖職者ともあろう者が、なんともまあ汚らわしい行為をしたものです! 私たちは世の中に救いがあると信じて、清く正しくあるべきではなかったのですか!?」
酒に溺れようとした者の主張と考えると、ちょっと説得力に欠けるように思える。が、店主は卓越したスルースキルで沈黙を貫いた。
それに、シスターの自分語りの部分はとうに終わって、ただの愚痴になっている。
「はあ~……。子供に言うのもどうかとは思いますが……結局、人間はみんな醜い獣なのかもしれませんね」
「どうでしょう……私の様な幼い身空では分かりかねます」
想像通り、話のサビは既に通り過ぎたようであった。聖職者の不貞など、こんな面白そうな話はなかなか聞けないというのに。
「店主さんは、信仰って何だと思いますか?」
「信仰……ですか。あいにくと宗教に縁がないものでして」
店主の脳裏に自身を転生させた女神が浮かんだが、一旦置いておいた。別に信仰しているわけではないからである。
例えるなら、そう――雇用主と従業員の関係なのだ。しかも、勝手に労働契約を結ばれていた。信仰などするはずもない。
「それもそうですね……年端も行かない子に何を聞いてるんだか」
「お気になさらず。吐き出したいものを吐き出していただくのがこの店ですので」
「そうですか。私は……信じる事で裏切られるんじゃないかと思い始めてきました。
迷える民や孤児院の子供たちはいつまで祈っても報われないのに、その裏では私腹を肥やす聖職者もいる……。なんなんでしょうね」
結構、深刻な悩みだ。こういう悩みを聞くのって、立場が逆なんじゃないかと思えてならない。
「信じる事で裏切られる、ですか」
「この世には、人の純粋な想いを食い物にする大人がいるんです。あなたも注意しなくちゃいけませんよ」
「それは怖いですね」
世の中に悪徳な宗教団体が
何かを信じる事が空しい結果しか生まないというのは……違うんじゃないか、と店主は思った。今宵も、店主は“それっぽい事”を口にする。
「お客さんは、信じる事と期待する事って何が違うと思いますか?」
「……難しいことを聞きますね。そうですね……信じると言うのは相手がどうであれ受け止めるけど、期待するというのは何か見返りを求める点で違う……ですかね」
「あなたの先ほどの話では、あなたは聖職者や信仰対象に、何か『期待』をしているのではないかという印象を受けました。祈れば救われる、自分も正しくあろうとしているのだから、他の人も同じようにあるはずだ……と」
「……」
シスターは店主の目を見ながら話を聞いていたが、やがて目線が下がり……一点を見つめだした。何か物思いにふけっている様だった。
「私は、信じる対象がいること自体が悪い事には思いませんよ。信じる事で裏切られるというのは……悲しい考え方だと思います。
見返りを求める欲望が、あなたを悩ませている一因かもしれませんよ」
「それでは、期待する事は悪なのでしょうか……。何にも期待しなければ、こんな気持ちを抱えなくて済んだのでしょうか」
「難しい話ですが、期待に添わないからといって憤ってしまうなら、よい事とは言い難いでしょうね。でも、私は期待の先に信頼や信用が産まれる事だってあると思いますよ」
「――あなたは、不思議な子供ですね。そのように考えたことはありませんでした。……!?」
シスターが何か足元を気にするそぶりを見せたと思ったら、スケベ狼がシスターの足にすり寄り、ペロペロと舐めていた。
「動物が人に懐くのは、信じているからなのか期待しているからなのか……どちらなんでしょうね」
「……それも難しい話ですね。私には、動物の心は分かりませんので」
少なくともこのスケベ狼は、美女に撫でられることを期待しているように思える。
「そのどちらであっても、この子は可愛いからそれでいい気がしてきました」
「……もう一杯、いかがです? 膿は出せるうちに出した方がいいですよ」
「……いただきます。今日は酔いしれます」
もう一杯の女神汁を堪能し、シスターの自分語りは加速した。
幼少期に好意を寄せていた男の子がいて、その子が既に結婚していたことを最近知った事。数年前まで好意を寄せられることが多かったが、最近は減ってきた事。最近涙もろくなってきた事や、孤児院を出た子から手紙が届いて大泣きした事。
――そして、この店に入る前は修道院を出る事を考えていたが、今は思い直した事を。
幼い店主はその話に適当な相槌を打ってもてなした。色々と話しているうちに、仏頂面が崩れて表情豊かに笑うシスターを見て、店主も笑みをこぼした。
この店では別に、客の悩みに芯食った回答を提供できるわけではない。明日を生きるために、その足で歩いていくために、のしかかった重荷を下ろす場所を提供しているのだ。
店主がシスターに語ったことが全てでは断じてない。これからも聖職者の不貞という面白イベントは発生し、その度にこのシスターは憤るだろう。救われない子供に対し、歯がゆい思いしかできない事もあるだろう。
シスターが修道院を出た方が本人の為だった可能性も否定できない。何も、特に解消されていないのである。
それでも、荷物を下ろせる場所があると知っていれば、いくらか気分がマシになる。この日の出会いが、シスターにとって良い事である事を祈るばかりだ。
「それでは、お邪魔しました。……なんだか恥ずかしいところを見せてしまいましたが、この店に来てよかったです」
「それはよかった。また、自分語りがしたくなったらお越しください」
扉がまたシスターの前に現れるかは分からない……が、それは今言わなくともいい事だ。
「ええ。いずれあなたと本当のお酒が飲んでみたいものです。……それでは、さようなら」
凛とした淑女を見送り、店に再び静寂が訪れた。なんだかこの狼の顔が悲しげに見える。
「犬って結構表情があるよね……君は狼だけど」
「クゥン……」
「君が私に懐かないくせに、この店から出ていく素振りが無いのは……実は私を『信用』してくれているからなのかな?」
「ハッ……」
なんだか、鼻で笑われた気がした。地味にショックを受ける店主。
「まあ、なんだっていいけど」
グラスを洗い、机を吹き、次の客を迎え入れる準備をする。次はどんな厄介な客が来るのだろうか。店主の接客録はまだ続く……。
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