てん・わん
良かった、助かった。そう安堵しながら朝振りの佐藤さんを堪能する。ペロペロと顔周りを舐めてしまうのは、ごめんなさい、犬の本能的に止められない。
まさかこの犬の姿だと階段を降りられない、だなんて思わなかったんだ。
「寂しかっただろう。お留守番、ありがとうな。」
寂しい……そうか、あの空虚感は『寂しい』だったのか。佐藤さんの言葉のおかげで、今日一日中感じていたよく分からない感情に名前がついた。
うん、寂しかった。佐藤さんがいなくて、すごく寂しかった。
その言葉がストンと自分の中に落とし込まれ、佐藤さんがいなかった寂しさと、今佐藤さんに触れられている嬉しさをしみじみと感じていた。
ああ、今、感情の波に呑まれて泣いてしまいそうだ。
「ねぇ~、そろそろ俺を紹介してくれよ~」
ハッ、なんか聞き覚えのない声が聞こえた気がする。そのことに警戒と緊張をし、今の今まで感じていた感情の波がピタリと止まった。
「サキちゃん、はじめまして。俺楓真の幼馴染の山葵田 糀だよ。そうそう、今日はね、こいつのスマホの壁紙見て、嫌われ体質なのに君を保護したって聞いて、これほど面白そうなことは無いよねって思って着いてきちゃった! よろしく~」
そう言って楽しげに笑う山葵田さん。真面目そうな佐藤さんとは性格が反対っぽいけど、案外そうだからこそ仲良くできるのかもしれない。だなんて勝手に推測して納得する。
それにしても動物に嫌われ体質って本当のことだったんだ。佐藤さん、そんなに怖いとは思わないんだけどなあ。ほら、今僕を撫でている手もすごく優しいし。
今もまさに撫でられているが、その気持ちよさに思わず目が細くなる。
「っ……! か、可愛いっ! 楓真、この子頂戴!」
「無理」
山葵田さんの言葉を一刀両断する佐藤さん。その顔はとてもとても不機嫌だ。
僕としても飼ってくれるなら佐藤さんの方が良いと思っているので、佐藤さんの断りの言葉に『そうだそうだー!』『いけー!』『僕は佐藤さんが良いんだー!』と応援の言葉を脳内でかける。
──楓真side
サキちゃんの可愛さを見たら誰だって自分の子にしたいに決まっている! だからこいつには、こいつだけには見せたくなかったんだ!!
確かに無愛想で動物嫌われ体質の俺よりも、表情豊かで柔らかい雰囲気を持つこいつの方がサキちゃんへ好意を伝えやすいし、サキちゃんも幸せになるのかもしれない。
それでも、俺はサキちゃんを誰にも渡すつもりがない。
初めて俺を怖がらなかったから、というのも理由の一つではあるけれども、それ以上に俺が撫でた時の嬉しそうな顔を見たら、誰かじゃなくて俺がサキちゃんを幸せにしたいと思ったのだ。
「クゥン?」
そんな不安を読み取ったかのように、サキちゃんは俺をジッと見つめてくる。それも首を傾げるオプション付き。可愛い。
あ、サキちゃんを抱っこしているから写真撮れない。くっ、仕方ない。脳内のサキちゃんメモリアルにだけ保存しておこう。
「くっ……」
可愛いの流れ弾に当たったらしい山葵田も胸を抑えてしゃがみ込んだ。分かるぞ、可愛いの過剰摂取で倒れそうになる気持ち。
「楓真……サキちゃん……頂戴……」
「家から追い出すぞ。」
「ごめんなさいもう言いませんのでサキちゃんを眺めさせてくれください」
まだ食い下がる山葵田に最終奥義を出すと、早口で謝ってきた。それ程サキちゃんとお近づきになりたいのだろう。まったく、サキちゃんは魔性だな。
…………
あれからもしばらくの間山葵田は家に居座った。が、さすがに遅い時間にもなったので先程ようやく帰って行った。
また来る、と言い残してだが。勿論、もう来るなと軽口の応酬を繰り広げたのは余談だ。
「サキちゃん、ご飯にしようか。」
「キャン!」
山葵田が帰ったことでサキちゃんを盗られる心配が無くなったから、サキちゃんを床に降ろしてやる。
そしてご飯にしようと提案すると、それはそれは嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねながら俺の後をついてきた。あー可愛い。可愛いが過ぎるぞサキちゃん。
内心サキちゃんの可愛さに悶えながらも、ご飯を作る手は止めない。脳内が煩悩塗れでも手が動くくらい料理に慣れていて良かったと自分を褒めながら。
勿論、味もそれなりに良いものが出来た。サキちゃんも美味しそうに尻尾を振りながらハグハグと食べていて、動画にその様子を撮ってみたりしたりもした。
着々とサキちゃんの写真や動画でスマホの中が満たされていくサマを見て、すごく満たされた気持ちになったのだった。
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