ソルシエールの不択手段
卯月まるめろ
第1話
無機質な檻の中からでも、雨音はするみたい。わたしはゆっくりと身を起こした。日が届かない『家』の外では、暗雲が立ち込め、空が涙をながしているのでしょうね。
わたしの目の前には、どうやっても抜け出せそうにない『柵』の向こうには、石畳の階段を挟んだ先にわたしと同様、檻の中の『同類』がため息を漏らしていた。『同類』は一人だけではない。そいつの右隣にも左隣にも。壁を隔てて一人ずつ檻の中に閉じ込められている。
わたしの手首を縛り付けている鎖がジャラリと鳴った。脆い天井からは雨が漏れてきて、わたしの頬を濡らした。
「あーあ。かったりぃなぁ。ソルシエール、あんたの魔術なんだっけ? 雨をあがらせる魔術? あーら、今こそ使いどきじゃない? きゃはははは」
耳に障るキンキンとした声が壁を挟んで隣から耳に届く。嫌味な言い方はいつも通り。
チッと軽く舌打ちしたわたしは、左側の壁を穴が空くほど睨んだ。
「あんたみたいな、人の心を惑わせる魔術に比べたらよっぽどマシよ、フォレッタ」
わたしはそう返す。人には攻撃してくる癖に、自分のガードが弱いフォレッタのことだから、壁の向こうで唇を噛んでいるでしょうね、きっと。
見えてもいない相手の表情を想像してほくそ笑んでいる、わたしの性格の悪さは地を這っている。でもこうでもしないと、永遠と変わらないこの時間を潰せないの。
ひんやりとした檻の床に辛うじて敷いてある、チクチクとした藁が手のひらを刺す。すると、前方の柵と柵の間から固い物体が投げ入れられ、こつんと小気味よい音を立ててわたしの頭に当たった。
「……」
固い、鉄よりも固いかと思うようなパンだった。見上げると、布の制服と鉄でできた胸当てをした兵士が軽蔑の目で見下ろしていた。手には赤々と燃える松明を持っていて、それを目にした途端、呼吸が荒くなる。胸を押さえたわたしを貶すように兵士は鼻で笑った。
「フン。今日は静かだったじゃねえか。ほら、餌だ」
餌とは、きっとこの固いパンのことね。食べ物がもらえるかどうかは、檻の中で静かにしていたかどうかで決まるから。
さらに追加で来た松明を持った兵士たちはわたしたちが収監されている檻の前に一人ずつ立って、わたしと同様に同類たちの檻にも固いパンを投げ入れる。
「ちょっと! 汚い床にパンを落とさないでって、いつも言っているでしょ⁉」
隣のフォレッタが叫んだけれど、兵士はニヤリと笑ってフォレッタの檻に松明を近づける。
「ほらほら。騒いだらただじゃ置かねぇ」
「や、やめ……火、は……」
燃える赤が近づいたフォレッタは、急に弱弱しい声を出す。
でも、男たちはわたしたちに飽きたのか、一人、また一人と牢を出ていった。最後の一人が出ていくとき、そいつはくるっと振り向き、わたしたちに言った。
「まあ、楽しい時間を過ごせよ、不幸をもたらす魔女たち」
この男は、ドルミール王国の兵士。そしてわたしたちは、ドルミール王国の貴族たちが出来心で生み出した、禁忌の魔女だ。
食べなくても、眠らなくても生きていける。永遠の命を持ち、この世の全ての魔術を使える……わたしたち魔女は人々にとって欲しいものを全て持っている存在だった。
でも、魔女などおとぎ話の中の生き物。世界中のどこを探してもいなかった。だから、ドルミール王国の女性貴族を束ねる、シュエット公爵夫人が禁書を使って魔女を生み出したの。魔女は美しい十代の女の容姿をした生き物で、その姿は一生変わることはない。魔女の血を取り込めば、自分も老いに悩まされずに済む……そう考えた夫人は魔女を下僕とし、都合よく使って、要らなくなったら傷つけ、殺そうとした。
そうしたら……どうなったと思う? 魔女の返り討ちにあい、夫人は魔女の手によって死んだの。
魔女が危険な生き物だと世間に知らされたときは、もう遅かった。公爵夫人の真似をして魔女を生み出した貴族のご夫人方がたくさんいて、伯爵夫人、子爵夫人、辺境伯夫人……ドルミール王国のたくさんの貴族女性が魔女の手にかけられた。
人間を殺した魔女は火炙りの刑で処分された。まだ殺していなかった魔女は魔女の魔術の基本、杖を火で焼かれて、海をまたいだ孤島、魔術島の中に作った牢に閉じ込められた。魔女がこれほどまでに火を恐れるようになったのは、これが最初。
人間は、わたしたちを勝手に生み出した上に、危険だと分かったら小さな島に押し込んだ。残りの百人の魔女を殺さなかったのも、冷戦状態になっている隣国と戦争になったときに魔女を傭兵として使いたいだけじゃないの?
まったく、虫が良すぎる話ね。人間は魔女よりも冷酷でしたたかな生き物なのよ。そう思わない?
杖を奪われたわたしたちは魔法が使えない。人間に復讐したくても海を渡れないし、この手首の鎖さえ解けない。魔女は、人間より常に勝っているべきよ。
ああ、ここから解放される日は来るのかしら?
でもね、一つだけ魔女が人間に劣っていることがあるの。認めたくないけどね。
それは、『愛』よ。『家族愛』、『友人愛』、『仲間愛』……。
人間の欲望のままに生まれたわたしたちは愛を知らない。
そんなの、違いも分からないし、知ってはいけないと思うの。
だって知ったって無駄じゃない?
愛は、身を滅ぼすもの。
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