社会不適合者日記
@Tarnu
社会不適合者日記
はじめに
これは現代小説に見せかけたただの作者の戯言です。面白い展開もなければワクワクドキドキするフィクション丸出し事件も起きません。それどころか、後半はキモい心理学崩れを素人が語っています、拙い文章で申し訳ないですがどうかよろしくお願い致します…
私は学校が嫌いだ。変に騒ぐ陽キャ、私に同じものを感じたのか何故か話しかけてくる陰キャ、私のような生徒には目を向けようとしない教師、こんな場所を誰が好きになるものか。常日頃こんなことを考えている私が一番中途半端で世間的に好かれない人間なのだと思う。しかし考えてしまうものは考えてしまう、というわけで私は不登校になった。文脈がおかしいと感じる人もいるかもしれないがその通りだ、私は唐突に不登校になった。ただ不登校と言っても学校に行っていた頃の友人はいる、そんな友人達は私にこんなことを言ってくる。「なんで休んでるの?」「休んでる間何してるの?」これが不快なのだ。「なんで休んでるの?」と聞かれたら「なんでと言われても…」となり、答えることはできないし。「休んでる間なにしてるの?」と聞かれても「別にスマホ見てるだけだしな…」となり返答に困る。不登校になってもやはり自分は中途半端な人間だった。(まぁ中途半端だから不登校なのだが)そんな不快な質問に嫌気がさした私は、登校を再開した。また文脈に違和感を覚える人が現れた気がするがまあそうだろう、私は唐突に登校を始めたのだ。
ここまでざっくりと話しすぎたので細かく話すことにしよう。私は中一の二学期まで普通の中学生として過ごしていた、しかしどこか学校に不快感を抱くようになりモヤモヤとしていた、説明できぬ気持ちを抱いたまま、中一の三学期、不登校になった。初めの一週間程度は友達から連絡が来ていた。「体調悪いの?」「ずっと休んでるけど大丈夫そ?」「そろそろ学校来ないの〜?」まあまあ来ていた。しかし二週間もすれば連絡は落ち着き、スマホが震えることは無くなった。「あぁ、私は本当に不登校になっているんだ」こんな事を思っても不快感が増えるだけだが今の狭い部屋でできるのは自分の心を観察するのとスマホを覗くことだけだ。唐突に不登校になった私だが不思議と不安や恐怖はなかった。まあ中学一年生のうちだ、まだそこまで将来のことも考えていなかったのだろう。そんなこんなで私の中学校生活一年目は自分の部屋の中で終わった。
中学校一年前期、不登校になる前はまあ調子のいい生活だった。部活はバドミントン部に所属していた、自分で言うのも何だがクラスでも一軍と言える位置に居たのではないだろうか、まず部活だが、運動部に所属していたのはかなり大きい、やはり運動は大事だし、今後に控えている不登校ライフもこの運動経験のお陰で比較的健康に過ごせたのだ。部活では男女共に仲が良かったし先輩もできた、バドミントン部の所属が私の中一の主な柱と言っても過言ではない。そしてクラスでの位置だ。今では見る影もないが、まあまあ中心にいるような人間だったのではと、思っている。中学生というのは自分を主人公だと勘違いする時期があるがまさにこれだ。ある種、厨二病期と言ってもいいかもしれない。ここまで話したがそうだ、私の中学校生活はそこそこ充実していた、そう“不登校になるまでは”
ここからは暗黒の不登校初年度だ、中一の不登校期間は割ときついものがあった。先ほどの説明では、「不安や恐怖は感じていなかった」などと言ったが、半分は嘘だ。恐怖というものに関していえばなかったが、不安はあった。今までが充実していたが故に現実に不安を感じていた、友人や親の反応もそうだ、普段の会話からどことなく気まずい空気を感じたり、自分の状況は異質なんだということを改めて痛感させられた。勉強面でもそうだ、自分は元々勉強ができるタイプではなかったが、やはりするとしないとでは話がまるで別物だ、勉強の話になると周りが未知の言語を話し始める感覚に陥る、授業に至っては異国のテーマパークかなんかにブチ込まれた幼児のような状態だ、学校が何かヤバい施設のようにしか見えない。まあ不登校なんて皆内心焦りまくっている、妙なまとめ方になったが、今不登校の君も存分に焦りを楽しもう。
中学校二年に入る。私は薄暗く狭い部屋に退屈していたのでそろそろ学校でもいくか、なんて考えていた。実際始業式には行った、しかしそこで地獄を見た。クラス替え発表の用紙を見て手と心が震えた。一年のクラスはそこまで悪いものではなかった、話せる友達は居たし、そこまで嫌いな人もいなかった、しかしこのクラスはどうだ、話せる人、いない。嫌いな人、多い。先生、陽キャと遊ぶタイプ。私の中の無理が三拍子で揃っている。そもそも私は人見知りだ、知らない人だらけの教室に嫌悪感MAXだった。ほどなくして私は不登校になった。今回は正統派不登校だ、別にいじめられていたわけでもないけれど。とはいえ出席日数0ではない。一学期頭の頃はポツポツ行っていた。何かと話しかけてくれる陽キャ女さんのお陰でクラスで死ぬことはなかった。しかし私の精神状況がカスすぎた、昼夜逆転生活に始まり、ほどなくして週2登校が当たり前になり、日に日に出席日数は落ち込んでいき、二学期も終盤になると不登校に逆戻りだ。ここまで順調な不登校落ちも珍しい。こうしてこのまま、私の中学二年生は終わった。まあ中二の不登校ライフはまあまあ充実したものだったからよしとしよう…
そんな充実した不登校という矛盾したものを解説しよう。まず中二で私はインターネットに深くハマった「インターネットにハマっている不登校」と言う部分を切り抜くとただの引きこもりだが、まあ話を続けさせて欲しい。最初はネットサーフィンで済んでいたが、次第に、ネットを通じて人と関わりたくなった、もちろんネットリテラシーについてはよく知っていたし、普通の中学生よりかは理解があると自負していた。ある日私はとあるインターネットのコミュニティを見つけた。そのサイトは通話やチャットを通して、人と関われるという典型的なネットコミュニティだった。私はそのサイトのとあるグループに参加をし、人と触れ合った。初めはインターネットで知らない人と通話をするドキドキや恐怖はあったが、次第に慣れた。そこは私と同じく不登校の人も多くいたため、話は合った。その期間はネットとはいえ人とよく話したので、それは精神衛生上良いことだったと今でも思う。通話をしながら散歩をしたり、行動を起こすことだってあった。時には料理をしたり、時には筋トレに凝ってみたり、ゲームにハマったり。客観的に見たら「ちょっと動き始めた不登校」でしかないのだが、私にとっては大きな進歩でもあった、ここで名言を一つ残そう。
『人類にとっては小さな一歩だが不登校にとっては偉大な一歩だ』
さて、そんな中二を過ごし、中三の一学期、あいも変わらず不登校、ここがかなり不味かった。中三と言えばそう、受験戦争である。学力的な話で言えば、今から全力で勉強すればそこそこ低い偏差値の高校なら行けたかもしれない、しかし受験には成績という高い壁があった。一学期もほとんど行っていない私は当然成績がつかず、(そうオール1どころか成績表に斜線が入るのだ)受験に必要な成績が二学期だけの内申点では厳しくなっていた。偏差値が低い高校を目指し、なおかつ試験の内容が良ければまだいけるが、それでも他の受験者に比べれば不利であろう。そんな私は夏休みに入り、少しずつ心境に変化が出ていた。
夏休み、例年の夏休みは皆で遊び、充実した、楽しいものだった。しかし中三、受験生にとって夏休みとはそんな優しいものではない、長期休みという名の受験勉強月間になるのだ。しかしここでも私は社会不適合者を発揮してしまった。夏休みという受験勉強チャンスを捨てたのだ。高校見学に行くわけでもなく、提出すべき課題をこなすわけでもなく、ただ漠然と夏休みが過ぎるのを待っていた。今思えば最も愚かで無駄な期間だった。しかし夏休みも後半、ここで心境に変化が生まれる。周りは受験に向け準備を進め、自分もどこか変わらねば、という意識が生まれ始めていた。とはいえ夏休みの間に進化することは無く、中三の二学期に入る。不登校の皆、「何もしない」は悪だ、絶対にやめよう。
さて、二学期だ。ここで何と私は登校を再開したのだ。まず修学旅行だ、夏休みが終わり、すぐさまこのイベントが来るのだが、私は行った。幸い班は全員知り合いだったため乗り切ることができた、ここで修学旅行の話をしてもしょうがないので詳しい内容は飛ばすが、修学旅行というイベントに行けたのは大きいと思う。そして学校が始まる、私はこれにも行った、初めの一ヶ月は休みを挟みつつの登校だったが、九月下旬に入ると、ほとんど休まず、復学に成功した。十月中旬には、勉強面でも変化を起こした、塾に入ったのだ、期末テストに向け、勉強を始め、国語や数学などの比較的得意な教科ではまあまあな得点を取れた。ここまで聞いてお気づきの人もいるかもしれないがそう、二学期に入り私は不登校から普通の生徒に進化を遂げたのであった。
ここまで良くも悪くも様々な変化を遂げた私だが、私は現在受験勉強中だ、やはり不登校の期間が毒のように私の勉強を邪魔しているが、まあ頑張っている。こんな小説もどきを書いているのはまあ受験勉強のストレス発散だと思って許して欲しい。現状のことについては大して書くこともないため、まとめに入ろうと思うが、ここで私の経験からお伝えできることを一つだけ言おう。「不登校だろうがなんだろうが人生なんとかなる。」
さてまとめだ、まず始めに、私は不登校を完全に悪い物だとは思わない。当然学校に行くか行かないかと言われたら行ったほうがいいだろう。しかし学校に行かず自分の部屋に閉じこもってみると、それまで過ごしてきた人生とはまた別の扉を開くことができるかもしれない。私は人との関わり、自分自身を反面教師にした学習の大切さ、健康的に過ごすことの重要性など、さまざまな扉を開いた。俗な言い方をすると、休んだからこそ二歩も三歩も進むコマもあるのだ。それに通常の生徒とは違い、時間が有り余っているのも強みだ、さらに休んでいる間の過ごし方も自由だ。一生懸命勉強したり、運動したり、目標に向かって突き進んだり。事の形はそれぞれだとしても、学校に行っている人と行っていない人、やることはたいして変わらないのだ。始めの方に私は「存分に焦りを楽しもう。」と言った。これも不登校の人向けに言ったわけだが、別に誰だってそうだ。どんな状況だが焦るものは焦るし焦る人はとことん焦る。存分に焦ることを楽しんだ結果私のような亡者も生まれてしまうが、楽しみ方を履き違えなければ立派な人間にもなれる。一生懸命今を生きるということが結局大事なのだ。それは不登校も社会不適合者も健常者も一切関係なく。
おわりに
私は誰かを批判する立場にいないわけだが一つだけ猛烈に批判したいことがある。それは「何もしないこと」正直私は誰を批判しようが誰を褒めようが貶そうがその人の勝手だと思っている(例外として対象者を深く傷つけ命を絶たせてしまうことは論外だとする)しかし「何もしないこと」これはとても罪深い愚かな行為だ。周りに何の好影響もなければ自分のためにも一切ならない。社会が一ミリも変わらない無駄すぎることだ。生きているならば誰しもが自分の生きた証を残してほしいと私は勝手に願っている。そのためにも、まずは自分の手と足を動かし、スマホに小説でも書き込んでみてはいかがだろうか。それが黒歴史になろうとなるまいとそれは社会に、誰かに、何より自分に、何らかの影響を与えるだろう。
社会不適合者日記 @Tarnu
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