視写はときに冒涜を犯す

沼津平成

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 法の無知は許さず、だ。視写や引用を始めたばかりの『見よう見まね』の方に散見されるこれは、見るたびに沼津平成は顔をしかめる。 

 本人は何らかのこだわりを持ってやっているらしいが、これは実はこだわり以前の問題なのだ。


                  *


 文章や詩を視写や引用をするときに、ひらがなを漢字表記に直すことはないだろうか。

 本人はそれが善行だと思っているらしいが、どう考えてもそれは悪行だ。

 いや、かなり古い作品で、「古い漢字表記を新しい漢字表記に改めました」——というもののことを言っているのではない。

 視写に慣れていない私たちは、つい、たとえば「お花がさきました。」とあったら「お花が咲きました。」に改めてしまう。

 もしこれが我が子の作文で、我が子に「ここは漢字に直した方がいいか?」と質問した上、許諾を得てその行為をやっているのならば、違う話なのだが、たとえばその作者に気軽に会えない場合だ。某有名詩人であるとか、故人であるとか。

 その場合、「あえて」ひらがなや片仮名にしている場合もあるのだ。それをいまさら漢字にするのは作者の意を反しており、明らかに冒涜だ。

 視写や引用ををする場合、当たり前だがそのまま写すことだ。そしておかしな文を公表してしまったらどうなるか。

 視写はそんな行為に出ることはないだろう。しかし引用の場合、そのおかしな文つきの何かを発表して、それでお金を稼いだら違法だ。

 このことからも分かる通り、視写はときに冒涜を犯すことがある。酷さによってはそれが違法になることがある。

 だから、とりあえず何もこだわらずに視写した方がはるかにマシだ。これを沼津平成は声を大にして叫びたい。

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