命のうた

大澤涼(Unknown)

本編

 目が覚めると、俺は薄暗い洞窟の中にいた。


「ここは、どこだ……。俺は何を……?」


 体を起こして立ち上がり、目を擦りながら、小さい声で呟く。俺には戸惑いしかない。

 ──俺はステージ4の膵臓癌で入院していた25歳の休職中のサラリーマン。昨日は普通に病院のベッドで寝たはずだが、俺は見知らぬ洞窟にいる……。

 まさか誰かに誘拐されたのか?

 周りを見渡してみると老若男女を問わず様々な人たちが洞窟の中にいる。ここは広いようだ。ちなみに気温は高い。体感的には35℃前後だろうか。正直とても暑い上に湿度が高くてジメジメしている。

 そして不思議な事に癌による体の痛みは全くなかった。


「意味が分からない……」


 とりあえず家族に連絡を取ろうと思い、ポケットを漁るが、スマホは入っていない。

 困った俺は、1番近くでタバコを吸っていたチャラい風貌の青年(20代前半に見える)に声をかけてみる事にした。


「あの、すみません」

「ん?」

「ここはどこですか? 気付いたら、僕はここにいたんです……」

「ここ? ここは親父の精巣だよ」

「せ、せいそう?」

「金玉だよ、金玉」

「……」


 頭の理解が追いつかなくて、俺はフリーズしてしまった。


「あんた、新入りみたいだな。なら気が動転しても仕方ない。簡単に説明するよ。俺たちは“精子”だ。そしてここは親父の金玉。“生まれ変わり”のチャンスを掴む為の場所なんだ。ここにいる奴らは、みんな親父の“発射”を今か今かと待っている」

「え、生まれ変わり? ……じゃあ、俺はもう、一旦死んでるって事ですか?」

「ああ。理由は知らんけど、あんたは死んで、ここに来たんだ。俺だってそうだ。俺は不慮のバイク事故で死んだ。あんたは?」

「俺は、膵臓のステージ4の癌です。多分寝てる間に病状が急激に悪化して死んだんだと思う」

「癌かー、辛かったろ?」

「辛かったですね。でもあなたのバイク事故だって痛かったでしょう?」

「マジで痛かったよ。死ぬかと思った。まあ死んだんだけどね。ははは!」


 青年は、他人事のように快活に笑いながらタバコの煙を吐き出した。

 そして携帯灰皿の中に短くなった吸い殻を捨てて、青年は笑顔でこう言った。


「そんな事よりあんたラッキーだな! 今日は発射のチャンスがあるかもしれないぜ」

「それって、つまり……」

「そう。今日は親父が嫁とセ●クスする可能性が極めて高い。いつも土曜日は必ずやってるからな。そして今日は土曜日だ。いつ発射のタイミングが来るか分からねえ。だから俺もあんたも心の準備を──」


 その瞬間、バタン! と人が倒れた音がした。青年と俺から数メートル離れた場所に立っていたはずの老人が倒れている。

 青年は目の色を変えて老人に向かって走った。俺もそれに続く。


「おいジジイ! ジジイ! 目を覚ませ!」


 青年はそう言って老人の両肩を揺する。

 俺は老人の手首を持ち上げて静かに触った。もうすでに冷たくなっていて、脈が止まっている。


「駄目だ。脈が止まってる。このおじいさん、もう死んでるみたいです」


 すると青年は、少し悲しそうな声色で呟いた。


「このジジイはさ、もう20時間もここで生きてたんだ。かなり長生きした方だったけど、駄目だったな……」

「精巣の中の精子は、何時間くらい生きるのが普通なんですか?」

「精巣内に限れば、大体3〜4時間ってところだ。24時間以内には、ここにいる全員が死んでるはずだ」

「俺が思っていた以上に、金玉の中は過酷な世界みたいですね」

「ああ。ここは戦場みたいなもんだよ。卵子に向かって数億人全員が走るが、卵子にゴールできるのは1人か、多くて2人だけ。3つ子として着床するケースも無くはないが、まずあり得ないと思った方がいいな。俺らはたった1つの椅子を争うんだ」

「なら、あなたと俺も、争う事になるんでしょうか?」

「そうだな。ライバルだ。ははは」


 青年の笑顔につられて、俺も笑った。

 正直な事を言うと、俺は別に生まれ変わりたいと思っているわけではない。前世、つまりここに来る前の俺の人生は、とても地味なものだった。友達や恋人もいなくて、家庭環境にも問題があって、大人になってからはアパートと会社の往復だけの毎日だった。灰色の日々。そして挙げ句の果てに癌で苦しんで死んだ。

 生きてても良いことなんて、あまり無かった。

 だから、また人生をやり直したいかと聞かれると、素直に「はい」とは言えない。


「実は……俺はな──」


 と、青年が神妙に呟く。


「──俺はな、もう金玉に生まれてから17時間も経過してる。だからあの爺さんみたいに、いつ死んでもおかしくねえんだ」

「えっ、そんな……!」

「本音を言えば、俺はもう諦めてるんだ。きっと俺はここで死ぬ。欲を言えば、俺はあんたに卵子に辿り着いてほしい。だって、俺がここに来て、初めて仲良くなったのがあんたなんだ」

「……じゃあ、一緒に卵子にゴールしましょうよ。そして双子として生まれ変わるんだ。俺はあなたがここで死ぬなんて見過ごせない。最期まで諦めちゃ駄目だ」


 そう言うと青年は笑った。


「……そうだな。俺はやっぱり諦めねえ。絶対、双子として生まれようぜ」

「うん。約束だよ」


 俺と青年はがっちりと握手を交わした。

 双子として生まれるには俺たち2人が同時に卵子にゴールしなければならない。それはきっと難しい事だが、やってみないと分からない。

 やがて青年が俺に言った。


「聞くのを忘れてた。ところであんた、名前は?」

「俺は高橋優太です。あなたは?」

「俺は、阿部翔太」


 ◆


 互いに名前を名乗り合い、俺たちが握手をしていた、その瞬間の事であった。

 突然、俺たちのいる金玉の中に地鳴りのような轟音が響いて、大きな地震のように揺れ始めたのである。

 そして彼は言った。


「おい! ついに親父が嫁とセ●クスを始めた! 優太! 全力で走れ!!」

「ど、どこに!?」

「嫁の卵子に決まってんだろ! とにかく卵子に向かって走れ!!!!!」


 俺たちだけでは無く、ここにいた老若男女の全員が全力で走り始めた。

 そして周りの喧騒がうるさい。


「うおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「全軍突撃じゃああああああ!!!!!」

「どりゃあああああああ!!!!!!」

「きゃー! 押さないで!!!」

「トップは俺だー!!!!!!!!」

「トップは私なんだから!!!!」

「全員、卵子に向かえーーー!!!!!!」

「祭りじゃーーーー!!!!!!」

「行くぞおおおおおおおおおおおおお!」

「いええええええええええええ!!!!」

「うぇーい!!!!!!!」


 みんなのテンションが最高潮に達して、金玉の中はとんでもない事になっている。

 翔太と俺は、この中では2人とも足が早かったようで、どんどん他の精子たちを追い抜いていく。それでも前方には無数の精子たちがいる。

 そして、ここで俺はふと思った。

 もし親父がコンドームを装着していた場合、俺たちは絶対に卵子に辿り着くことができないではないか。コンドームをつけていた場合、そこで行き止まり。俺たちは全員死んでしまう。

 俺は翔太に言った。


「ねえ、もし親父がコンドームしてたらどうしよう!?」

「今そんなこと考えるな! 今は前を向いて全力で走れ!!!!!!」


 俺は翔太の言葉に納得した。そうだ。ネガティブになるな。親父はきっとコンドームなんて装着してない。最期まで希望を捨てるな!


 ◆


 翔太と俺が卵子に向かって必死に走り続けていると、そのうち、後ろから大波が迫ってくるような音がした。振り返ると、それは真っ白い液体だった。親父がついに発射したようである。


「おい優太! 親父がエクスタシーに達した! ラストスパートだ! うまく波に乗れ! 膣の中に入るぞ!!!!!!」

「うん!」


 俺たちは着実に出口に向かって走っている。そして白い波に乗って、さらに加速した。

 周りの精子たちも波に乗って一気に加速していく。


 ◆


「おい! 見ろ! 今日はゴムしてない! ここは女の膣だ! やったぜ!!!」


 翔太が叫ぶ。

 俺たちは波に乗って洞窟から出て、また新しい洞窟に入ったようだ。ここは女性の中らしい。

 前方には俺たちよりも先に入った精子たちがいる。くそ、どうやったらあいつらに追いつけるんだ!?

 と思いながら走っていると、俺の視界の先に、ぶっ倒れて死にまくっている無数の精子たちの遺体が映った。

 あまりに残酷な光景に、俺と翔太は思わず足を止めてしまう。

 そして翔太が呟く。


「おい優太、なんで精子がみんなここで死んでるんだよ……」

「わ、わからないよ……」


 唖然と立ち尽くしていると、前方から、白いスーツのズボンを履いた男がゆっくり歩いてきた。上半身は裸で、両腕や両肩に和彫りの禍々しい色彩の刺青がギッシリ入っている。そして手には光沢を放つ日本刀を持っている。完全にヤクザの風貌だ。筋骨隆々。頭はスキンヘッドで、真っ黒のサングラスをしている。圧倒的な威圧感だ。


「てめぇ、誰だよ!」


 俺は怯えて声が出なかったが、翔太は毅然とした態度でヤクザっぽい男に向かって叫んだ。

 すると、男はドスの効いた声で言った。


「──俺は白血球だ! ここから先は通さねえ。どうしても膣の奥を目指したいって言うなら、俺を倒してから進め!!!!!」


 どうやらこれだけ多くの精子を虐殺したのは、この白血球らしい。

 俺と翔太は顔を見合わせる。

 こんな強そうな相手に勝てるわけがない。でもあいつを倒さなければ前には進めない。

 俺と翔太はファイティングポーズを取って、白血球に向かって走り、2人同時に渾身のパンチを繰り出した。

 だが、白血球はそれをカウンターするかの如く、いとも簡単に日本刀で翔太と俺を切り裂いた。

 幸い致命傷にはならなかったが、絶対こいつには勝てないということは分かった。


「く、くそ……!」

「一体どうしたら……」


 膝をついて崩れ落ちた俺たちを睥睨して、白血球は笑う。


「フン、雑魚が。お前ら如きが卵子に辿り着こうなんざ、100年早いわ!」


 ◆


「──おい、若造2人。こいつは俺に任せて先に進め」


 突然、俺たちの後ろから、おっさんの渋い声がした。

 振り返ると、そこには普通のサラリーマンっぽいスーツを着た40歳くらいの中年男性がいる。


「そんな! あなただって卵子に辿り着きたいはずです! この白血球と戦ったら、あなたの命はもう!」


 と俺は叫んだ。

 すると男は怒った。


「いいから先に進め! この白血球は俺がここで食い止める!」

「で、でも!」

「口答えするんじゃねえ。俺の寿命は残り5分も無い。なら途中でくたばるより、こいつと戦って死ぬ方がマシだ。ほら、さっさと先に行け!」


 その声を聞き、翔太と俺は気力を振り絞って立ち上がる。


「ありがとな、おっさん!」

「ありがとうございます!」


 男に感謝を述べて、俺たちは走り出す。すると白血球は俺たちに向かって「おい、待ちやがれ!!」と恫喝して日本刀を振り回したが、なんとかギリギリでかわす事ができた。


「おい白血球! お前の相手はこの俺だ!」


 と勇むサラリーマン風のおっさん。


「フン! 良い度胸じゃねえか。気に入ったぜ。じゃあまずはテメェから始末してやらぁ!!!!!」


 そして、おっさんと白血球は戦闘を開始した。俺は命を助けてくれたおっさんに心から感謝しながら、翔太と共にさらに膣の奥へと激走するのであった。


 ◆


「──はぁ、はぁ……やっと卵子に着いたぜ優太。ここが子宮の最深部だ……!」

「こ、これが卵子……!」


 翔太と俺は走り続けて、ようやく卵子の目の前に到達した。息が上がっている。

 卵子はとても神々しくて大きな球体だ。

 だが、卵子には既に何体もの精子たちが続々と侵入している。

 俺は落胆して、呟いた。


「ま、間に合わなかった…………」

「いや違う。卵子は硬い殻で覆われてるんだ。だから殻を溶かすために、何体もの精子が犠牲にならなきゃいけない」

「そうだったんだ……。俺らは、多くの精子の犠牲の上に成り立ってるんだね」

「ああ。さっきのおっさんだって、自分の命を捨ててまで白血球から俺らを守ってくれた。精子みんなに感謝だな」

「うん。仲間全員に感謝だ」


 しばらくすると、卵子を覆う殻がかなり薄くなってきた。

 あと1人、誰かが命を犠牲にして卵子を溶かしてくれたら、翔太と俺は2人で同時に卵子にゴールできそうだ。


 ──だが、なんと、卵子の近くにいる精子は、もう翔太と俺の2人だけだった。


 これが何を意味するか……。

 全てを理解した俺は絶望した。

 最悪だ。

 翔太と俺は沈黙した。


 ◆


 沈黙を破ったのは翔太だ。


「どうやら、俺か優太のどっちかが必ず犠牲にならなきゃいけないみたいだな……。究極の選択だ。全く神様は残酷な事を考えるな」

「くそ……」


 やがて翔太は凛々しい顔つきになり、こう言った。


「ここでお別れだな。おい優太、俺が卵子に特攻して最後の殻を破壊する。そのあとに優太が卵子に入って着床しろ。俺はあんたに生きてほしいんだ」


 俺はその言葉を聞いて、すぐさま反論した。


「そんなの俺は絶対に嫌だ! 翔太と俺は、双子として生まれるんだ! そう約束しただろうが! もし翔太が死ぬんだとしたら、俺も一緒にここで死ぬよ!」


 すると翔太は小さく笑った。


「ふっ、わかったよ。じゃあ“せーの”で2人で卵子に突撃しよう。どっちか1人は死ぬかもしれないけど、運が良ければ2人同時に着床できるかもしれねえ。いや、絶対に着床しような」

「うん! 絶対2人で同時に着床しようぜ! 可能性が僅かだとしても!」


 俺と翔太は自然と手を繋いだ。

 巨大な卵子は目の前にある。


「よし、じゃあ行くぞ。せーの!!!!」


 俺と翔太は助走をつけ、卵子に向かって全力でタックルした。すると、卵子を覆う最後の1枚の殻は、ガシャンとガラスのような大きく音を立てて割れた。そして俺たちはさらに奥へ走る。

 やがて真っ白い光に包まれた。

 それは、とても暖かくて、どこか懐かしくて、優しい光──。

 最後に俺は翔太の目を見た。彼は笑っている。それを見て、俺も笑った。

 そして俺たち2人は固く手を繋ぎながら、内奥の暖かい光に飲み込まれていく。

 
 


 ◆


 ◆


 ◆

 
 


 〜それから10年後〜

 
 


「うわー、だめだ! このボスめっちゃつえー! 勝てねーわ!」


 リビングのコタツに入りながら、俺の双子の兄である“蓮”がニンテンドースイッチのとあるアクションゲームのボスとのバトルに大苦戦している。

 その様子を俺はコタツに入って真横で笑いながら眺めていた。

 俺たち2人は一緒にコタツで並んでゲームしている。

 季節は冬である。

 俺は笑って言った。


「蓮はゲーム下手くそだね。俺だったらこんなのすぐ倒せるのに」

「じゃあ海斗がやってみろよ! こいつクソつえーから!」

「こんな弱いボス楽勝だよ」

「言ったな? じゃあ1回で倒せよ?」

「うん。まかせて」


 俺は蓮からゲーム機を受け取った。

 すると母がキッチンから、


「あんたたち、そろそろ冬休み終わっちゃうよ? ゲームもいいけど、ちゃんと宿題やってるんでしょうね〜?」

「……」

「……」


 蓮と俺は同時に黙って、顔を見合わせた。

 そして、


「やってるー!!」


 と2人同時に言って何食わぬ顔でゲームを再開したのであった。

 ほんとは宿題なんてほとんど手をつけてない。冬休みの宿題なんて最後にまとめてやるのが俺たち双子のいつものパターンだ。

 キッチンからは、おいしそうなカレーの匂いがする。

 ふいに窓の外を見ると、真っ白の雪がしんしんと降り注いでいた。やがて俺の兄の蓮が雪を見ながらハイテンションで言った。

 

「おい海斗、昼ごはん食ったら庭でカマクラと雪だるま作ろうぜ!」

「いいね!」


 俺たち2人がそんな話をしてたら、キッチンでそれを聞いてた母が、


「いや、おまえら宿題やれやー」


 と笑いながら俺らに言った。





 終わり

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