第6話 次はミカンを満載に

リアと合流してから、ビットの船に案内してもらう。



「……男爵様の紹介なら」



と、造船ギルドの親方も腰を上げ、ついて来てくれた。


受付のエラは目を丸くして、それから「良かったわね」と肘タッチしてくれる。


その様子を見て、ビットに不信感丸出しだったリアの表情もいくぶん和らいだ。



港のいちばん端に係留されてたビットの船。



――想像してたより、ずっと立派。



青空を突き刺すように聳える4本の帆柱。きれいに折りたたまれてる真っ白な帆。


船首はたかく尖り、黄金にかがやく鷹の像が翼をひろげている。



そして――、デカい。



いつも荷積みと荷下ろしで忙しそうな港で、仕事の邪魔になってはいけないと、そこまで船に近付いてみることはなかった。


けど、間近で見上げると、市街地の建物よりもはるかに高くて前後に長い。


たしかに、この船をつくるのには1年かかりそうだし、こんな船を持ってるビットの身なりもいいはずだわ。



「ミカンなら200樽は載ると思うよ~?」



と、自慢げな表情のビットが案内してくれた船倉はたしかに広い。


これならロッサマーレで収穫できるミカンが、ほとんど載せられるはず。


手入れも行き届いている雰囲気で、申し分ない。


ひと通り船内を見せてもらい、



――これは、ビルかマンションを買うのと変わらないな。



と、興奮しつつ最後に案内されたのは、なんと貴賓室。


緋色の絨毯はふかふかで、椅子もテーブルも意匠が豪華。柱には精巧な彫刻がほどこしてあって、プチ宮殿といってもいい趣きのある空間。


ビットと親方に向かい合って座り、ロッサマーレの地図を広げた。



「……たしかに天然の良港だねぇ」



と、うなるビットに、親方もうなずいた。


専門家が見てもそうなら間違いない。



「ただ、桟橋もなにもないのよ……」


「そりゃそうだろうね。……じゃあ、桟橋をつくれる職人を、資材と一緒に積んで行こう」


「……えっ?」



ビットが驚くわたしの顔をみて、ニコッと微笑んだ。



「なあに、カーニャ?」


「それも手配してくれる……ってこと?」


「うん、もちろん。だって、船だけ買っても仕方ないでしょ?」


「それは、そうだけど……」


「あたらしい航路が開かれることは、シエナロッソ全体の利益になるからね~」


「それは、男爵様の仰るとおりですな」



と、親方もわたしの目を見てうなずいた。


早速、リアにビットと価格交渉してもらい、



「予算内です」



と、リアが力強くうなずいた。


この顔は、わたしたちが考えてたより、だいぶ安くついたな。わたしから重ねての交渉は必要ないという表情だ。


わたしも、うんうんと頷く。


そして、ビットが眉を掻きながら、わたしを見た。



「支払いは、ロッサマーレに行って、ミカンを積んで帰って来てからでいいよ」


「え? ……どうして?」


「ははっ。僕と親方がグルの詐欺師だったらどうするのさ?」


「……はあ?」


「それは冗談だけど……、船員の手配、職人の手配、ぜんぶ僕が請け負うのに、持ち逃げされる心配はないでしょ?」


「……そう言われたら、そうだけど」


「僕もね、船を譲る以上は、この航海には成功してほしいし……」


「うん」


「なにより、またカーニャに会えるでしょ?」



と、ビットはいつもの軽薄な笑顔をわたしに向けた。


息をするより簡単に口説いてくるビット。


だけど、これはそうじゃない。


わたしがビットの好意を受け取りやすいようにと軽口を叩いてくれているのが、さすがに分かる。


ありがたく受け入れることにして、ビットに深々と頭をさげた。



「交渉成立だね。ふつうは握手を交わすところだけど、ここは僕たちの特別な関係を祝してキスでどう?」


「通例通り、握手がいいわね」



と、わたしが、イッとにくまれ笑いを返したら、ビットは立ち上がり堅い握手を交わした。



「美しきお方よ、よき航海を!」



   Ψ



トントン拍子に話が進んで、うれしくてたまらないわたしは宿を引き払い「カーニャ号」と名付けた船に移った。


お母様がわたしを呼んでくれてた愛称、カーニャ。


ビットにも呼ばせてしまったけど、お母様のミカンを運ぶのに、これ以上の名前が思い付かなかった。


船主用の部屋は、船室らしく手狭ではあったけど快適で「自分の城」だと思うと、なおのこと興奮がこみ上げてくる。


といっても、ビットが諸々準備の手配をしてくれていて、すぐに出港できる訳ではない。


ただ〈わたしの船〉に、ずっと乗っていたかっただけだ。


リアには呆れられたけど、フェルスタインから連れて来た護衛も一緒にという条件で許してもらった。



3日ほどして、ビットが小麦色の肌をした小柄な女性を連れてきた。


金糸で縁取られた黒い男物の上着のしたは真っ白なチューブトップ。下は濃い緑色で幅広のズボン。


帽子の両脇と後ろが折り返してあって、いわゆるトリコーンの三角帽子。孔雀の羽根飾りもついている。


まるで――、



「カーニャ号の船長をつとめてくれる、ルチアだよぉ~」



と、まさにイメージ通りの女船長さんを、ビットが紹介してくれた。


ニカッと白い歯を見せたルチアさんが手を伸ばす。



「ルチア・ビアンキです。お役にたてれば光栄です」


「カロリーナ・シュタールです。お世話になります」



と、握手を交わした。


わたしより小柄なルチアさんは、手もちいさかったけど、腕は引き締まっているし腹筋も割れている。


ビットがルチアさんの両肩に手を置いた。



「ルチアは若くて女性だけど、経験豊富な船長なんだ。お姫様が船主の航海にはピッタリでしょ?」


「ええ。航海の間はいわば密室状態になるのでしょうから、ありがたいですわ」



と、リアが真面目な顔でうなずいた。



「でしょ~? 船員も女性を中心に集めてるから、もう少し待ってね」


「さすがはビット男爵。女性に顔がお広いのですね」


「侍女さん。そんな、僕のことを女好きみたいに言わないでよ~」


「……違うのですか?」



あごに手をやり真顔で尋ねたリアに、わたしとルチアさんが思わず吹きだした。


それから互いに目を見あわせて、笑い合った。



――海の女、



らしく、ケラケラと爽やかな笑い方に好感が持てる。


ルチアさんとも仲良くできそうで、ホッとした。



   Ψ



船員さんたちも徐々に集まり始め、船のなかは出港準備で慌ただしくなってくる。


彼女たちが何をしているか、わたしにはほとんど分からないのだけど、激励してまわる。


みんな気さくなお姉さまたちばかり。


いよいよ、ロッサマーレへの航海が現実味を帯びてきて、わたしとリアは、ミカンの販路開拓に乗り出した。


運び込んでも販売先がないのでは、どうしようもない。


けど、それも――、



「ええ~っ!? さすがにそれは僕の商会で扱わせてよ~っ!」



というビットに「それもそうね」と、うなずいた。


早速、ビットの商会から支配人がやってきてリアと価格交渉をはじめる。


黒髪の支配人はまだ若いけど、落ち着いた雰囲気で、支配人というより執事といった感じ。


仕事ぶりもテキパキとしていて、見るからに有能そう。


ビットの商会を仕切っているとは思えない。



「おおむねこの価格幅で、あとは実物の出来を拝見させていただいてから……、という線でいかがでしょうか?」


「それでは、そのように」



と、澄まし顔で返答したリアが振り向くと、過去最高に悪い笑顔を浮かべていた。


しかし、無理もない。


ゾンダーガウ商会に卸す価格の10倍を超えている。出来が良ければ15倍近い価格になるはずだ。



――ボロ儲けじゃあ!!



と、リアの顔いっぱいに描いてある。


農家のヤンに適正価格を支払っても、帆船カーニャ号の航海にかかる経費は充分に賄える。


いや、経費どころか購入費用まで賄えそうな勢いだ。


ヴィンケンブルク王国の関税がいかに高いか。改めて思い知った。


日本の故郷でならった北前船。


明治の中頃に廃れたのは、通信手段が発達して各地の〈価格差〉が簡単に手に入るようになったからだという。


大阪と北海道を一往復するだけで約1億円もの利益を生んでいたのは、北前船の船頭が独占していた〈価格情報〉。その差額を利用していたのだ。


いま、わたしはそれを実感していた。


自分が〈悪い笑顔〉になってないか不安で、そっと顔を窓のほうに向けた。



――守れる。これなら、お母様のミカン畑を守れる。



と自分に言い聞かせ、初めて訪れた「ボロ儲けじゃあ!!」という昂ぶりを必死に押さえ込んだ。


そして、公爵令嬢にふさわしい微笑みで、黒髪の支配人に礼を述べた。



   Ψ



「ギリギリで嵐の多くなるシーズン前に、準備が整ったね」



と、ビットが笑った。


購入の商談が成立してから約1ヶ月。


夏の真っ盛りに、カーニャ号の出港準備は整った。


順調に航海がすすめば、船はしばらくロッサマーレで待機になる。


けれど、初めての航路でなにが起きるか分からない。嵐を避ける意味でも、はやめに出港すべきと船長ルチアさんの判断だ。


スルスルスルと、真っ白な帆がおろされていく。



「ビット。なにからなにまで、本当にありがとう」



わたしが微笑むと、ビットは「ん~?」と眉をあげて軽薄な笑みを浮かべた。



「お礼はキスでいいよ?」


「無事に航海を終えたら、支払いと一緒にねっ!」



と、ベッと舌を出してやった。


公爵令嬢に転生してから初めてする顔だったし、母国の王都では絶対見せられない顔だけど、


乙女の唇を気軽に求めすぎである。


その表情も素敵だねみたいな顔して、わたしを見ないでほしい。まったく。


でも、本当にありがとう。ビット。



ルチアさんの掛け声に女船員さんたちが応え、カーニャ号が離岸してゆく。


気持ちのいい港町、シエナロッソ。


次はわたしの船にミカンを満載にして訪れるぞ。


ロッサマーレのミカンが好きだと言ってくれた食堂のおかみさん。喜んでくれるかな?


ずいぶん高く買ってもらえるけど、それでもヴィンケンブルク王国経由よりは安く手にしてもらえるはずだ。


ロッサマーレの農家ヤンにも、


シエナロッソの皆さんにも、


その先のラヴェンナーノ帝国の皆さんにも、


お母様の遺したミカンで喜んでもらえるなら、はるばる足を運んだ甲斐があるというものだ。


幸せな想像で胸がいっぱいになって、視線を大海原に移す。


蒸気船ですらない、風がたよりの帆船。



――どんな航海が待ち受けているんだろう?



と、微笑みながら船室にもどろうとして、わたしの表情が固まった。



「ビット? ……なんで乗ってるの?」

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