メメントの穴

野守

第1話

 この世界には穴がある。どこにと聞かれたら、そこら中にとしか言いようがない。それは横断歩道の上だったり、階段の下だったり、踏切の中だったり。雨上がりの川や海、工事現場の近くにもよくある。そしてたまに運悪く穴に落ちてしまう人がいて、急に周りを悲しませたりするのだ。



 朝のホームルームで先生が言った。


「落ち着いて聞いてください。昨日、長谷川君が」


目元を淡く赤色に染め、声の揺らぎを頑張って抑えているのが分かった。

 長谷川が穴に落ちたらしい。帰宅途中に道を歩いていたところ、後ろから自転車がぶつかってきて穴に落とされたのだという。防犯カメラに逃げる人影が写っていたそうだ。

 クラス内にビシッと音を立てるような緊張が走った。生徒たちが突然の悲報を飲み込むのに数秒かかって、それから後ろの方がざわざわし始めた。


「先生、畠山さんが苦しそうです」

「早く保健室に」


過呼吸だろうか。本人は隠しているつもりだったようだが、彼女が長谷川のことを好きだというのは周知の事実だった。これからひとしきり泣いて、なぜこんなことにとか、ちゃんと告白しておけばよかったとか、たっぷり後悔するのだろう。



 午後は臨時休校になり、俺は人の減った教室でパンを齧り始めた。来る途中で買ってきてしまった高カロリーのコロッケパン。ソースとマヨネーズの体に悪そうな美味さを堪能していたら、斜め前の席でも弁当が広げられるのが見えた。


「笹本、帰んないの?」

「んー」


箸をくわえたまま振り向いた笹本の胸で、宝石みたいなピアスのついたリボンが揺れた。太陽光を反射したキツい光線が目に刺さる。


「お弁当持ってきちゃったから」

「家で食えば」

「せっかく持ってきたのを無意味に持ち帰るって、何か嫌じゃない?」


ちょっと分かる。


「千葉君は食べたら直帰?」

「その辺ぶらぶらするかも」

「ふうん」


そのまま居心地悪く会話が途切れた。話しかけておいて何だが、別にこれと言った話題があるわけでもない。それは笹本も同じようで、すました顔で箸を動かしつつも、視線は話題を探して彷徨っている。でもこんな日だ。自然と目が留まる場所は決まっていた。


「長谷川君、気の毒にね」

「ああ」


空の席には早々に花瓶入りの花が置かれ、菓子類やペットボトルが積まれていた。さっき俺も飴を一粒置いた。


「男子連中、長谷川君ちに行くんだって。一緒に行かないの」

「バスケ部員の話だろ。他の奴まで一度に押しかけても迷惑だよ」

「そう」


 味わうことなく詰め込んだだけ、といったスピードで箸が置かれた。食べ終わった弁当箱が畳まれるが、その中にミニトマトが二つ残ったままなのを俺は見逃さない。


「何よ」

「別に」


 バッグを手に立ち上がった笹本が見下ろしてくる。決闘でも申し込んできそうな威圧感に身構えたら、思ったより小さな声が言った。


「暇なら、ちょっと付き合ってくれない」

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