悲観と現実性の狭間で

神田(kanda)

第一編

何かしらの物事に熱中したいが、どんなことにも熱中することが出来ずにいて、どうしようもない感覚に襲われたとき、思い出すべきことは一つである。何事にも熱中しないこと、自分の行うあらゆる行動は片手間の作業である。常に呼吸をし続けて生きているという本業で精一杯であったことを忘れてはいけない。


何事にも意味はないと分かっているのだから、重要なのは意味を考えることではなくて、意味のないことをなぜするのかということだが、意味のないことにはもちろん意味がないのだから、その思考すら無駄なのである。とすれば、残るのは感情あるいは衝動的な欲求だけである。


感情と衝動によって構成される私。私は私を外から眺めていて、都合の良いときだけ、私と同化する。


私の人生において、今のところ最も苦痛に満ち溢れていたのは高校生という期間だった。将来の選択。これはつまるところ、どのようにして死んでいくのかを決めるということだ。生きることに多少でも慣れてしまった私にはもう出来ない所業。社会という未知を前にしてどのように死んでいくかを想像し、選択をする。まさしく狂気的な選択。


正論を言われて耳が痛いのは、正論が正しいからである。ただし、正論は正しいというだけであって、私には何の恩恵も与えない。正論は事実の側面に過ぎないからだ。無価値な正論。それならば、価値のある無根拠な理論の方がまだましではないか。

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