「散る」ということ
三角海域
「散る」ということ
桜が咲いていたころ。近所の市営公園を散歩しながら、散り始めの桜を見ていた。
風が強い日が続いていた。ほとんどの花を散らしてしまっている木もあった。
ぐるりと公園を一周し、広場にあるベンチで休む。
広場には若者たちがいて、なにやら楽しそうに話をしている。
しばらくすると、若者のうち二人が隣のベンチに腰かけた。
「散ってるね」
「ね」
「ずっと咲いてればいいのにね」
「それだと桜っぽくなくない?」
「かな。綺麗なもんはずっとあったほうがよくない?」
そんな会話をしている。春の陽気に合った、明るい声色だ。
散らない桜。枯れないとは言わない気がする。桜は散る。だから特別に感じられるのかもしれない。
散ることが個性。永遠と真逆。刹那という個性。
人は儚さを好むのかもしれない。
若者ふたりは集まりへと戻っていった。
その時、強い風が吹き、舞い上がった桜がひらひらと優雅に落ちてきた。
若者たちは喜びながらその中ではしゃいでいる。
地に落ちた花弁をひとつ拾う。
土がこびれつき、汚れている。先ほどまで空を舞っていたものと、地に落ちたもの。同じ桜の花なのに、どうしてこうも違って見えるのだろう。
散り、地に落ちた花弁からは、桜の美しさが抜け出てしまったように見える。
桜が咲く春はすでに過ぎ去り、秋の名残を残しつつ、いつのまにか季節は冬へとかわった。
季節は巡る。
過ぎるからこそ美しい。
散るからこそ美しい。
散る、というだけではない。
見上げた星空が綺麗だと思う。けれど、それはその瞬間のもので、たとえ星の位置が同じだとしても、「同じ星空」ではない。
夕焼けもそうだろう。ふとした時に美しいと思う。しかし、次の日も同じように感じるとは限らない。
ありとあらゆる美しさは、「過ぎる」からこそ成り立っている部分がある。
永遠の中には、美しさは宿らないのだろうか。僕らは無意識に、儚さに美を感じているのかもしれない。
そんなことを考えた。
「散る」ということ 三角海域 @sankakukaiiki
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