第6話
何十年ぶりにお説教というものを受けてしまった。
……いや問題はそこではない。
我が家、すなわち術商い
座敷の状態を目にして大音声の一喝を発した飯綱さまであったが、そのあとすぐさま冷静にお戻りになったのはさすがであった。
まず彼は、なぜこうなってしまったのか、心当たりをお尋ねになった。
「ウウン理由……ひとつ確かなことを申し上げますと」
店の奥の机で差し向かいになってこんな話をしていると、なんだか学校時代を思い出すナァ……
「この座敷は、越してきたときからずっとこうなのです」
「なんですって……?」
信じがたい、とでも言いたげに口元を覆っておられるが、なんでもなにもそれが事実なのである。
事情としてはこうだ。
私がこの長屋造りの貸家で術商いをはじめたのは、およそ十五年程前、母が亡くなったあとだ。それより遡ること五年、今からだと二十年前に父が亡くなり、まずは借財の返済のため、実家の家屋敷を手放した。
母は父の弟という人を頼り一連の手続きを行ったのだが、当時私は京都で学生生活を送っており、父の葬儀を終えた後の家計の仔細を把握していない。
とにかく叔父の勧めに従い、屋敷と家財を売り払い返済に充てたものの、家財の方にはほとんど価値がつかなかったのだそうだ。
確かに私の生まれた頃、登路の家は素封家と言われていたが、その資産は術遣いであった父が一代で築いたものだ。つまり、屋敷は父母の婚儀の際に建てられたものだし、先祖伝来の家宝だの骨董だのの類はまったくなかった。
そして父は、私に比べるとずっと研究者気質の強い人物で、洋の東西を問わず古今の魔術絡みの資料を広く収集していた。その中には売ってそれなりの対価の得られるものも多少あったようだが、ほとんどは無価値と判断された。
私はその後ほどなく学業を終えて東京に戻り、母の借りた家に同居し始めた。母は父の残した大量の研究資料(父自身が執筆したものを含む)に埋もれて、小さな借家で狭苦しく暮らしていたのだ。
しかも、もともと丈夫なたちではなかった母が身体を壊し、ますます窮乏に陥った。私は看護で働きに出るのもままならず、たまに術遣いの臨時雇いで稼ぎを得ても、ほとんどを返済に回さざるを得なかった。
この時期は、人生の中でも最も苦しい時代として記憶に刻まれている。どうやって暮らしていたかと言えば、わずかに残っていた自分や母の着物を売ったり、さらに高利の怪しい金融からやむを得ず少額借りるなどして凌いだものだ。術を駆使して借金取りから隠れたこともある。
母の死後は借家を引き払って、更に家賃の安い今の店を借りることにした。このとき、売っても価値がないとはいえ捨てるに忍びない、父の残した資料もそのまま運び込まれたのだ……
「成程……」
この魔術省のエリートである殿方に、こんな貧窮話を聞かせてよかったものだろうか?
「事情はわかりました。いつかは確認せねばと思っておりましたが、ここまでとは。これは早急に……」
語尾が小さくなってよく聞こえない。不穏だ。
「しかしながら」
飯綱さまは顔を上げ、きっぱりと言った。
「お父上の形見を処分しがたいといっても、このような乱雑な扱いでは、偲ぶものも偲べやしない。まして先日のように室内に虫が出るとあっては……!」
ウグッ、痛いところをお突きになる。
例のヤツは、実のところ我が家では常連であり、顔を見るのも最早慣れっこと言える……飯綱さまには絶対に知られてはいけないが。
「しかもこれでは、満足に体を休めることも出来ないではありませんか。よく休養してこそ、術も冴えるのですよ。術遣いたるもの、常に調子を維持する努力を怠ってはなりません」
「ハイ……」
一から十までおっしゃる通りで、グウの音もでない。
「いいですか、
確かにその件が全ての発端、いい加減やってしまわねば。
「次に。本当は、貴女の財政状況の改善に取り組もうと思っていたのです。しかしもっと急がねばならないことがある。……幸いにして明後日は丁度土曜、半ドンですから」
お役所はそうね。私は普段、家にいる限りなんとなくだらだらと店を開けてしまうのだけど。
「明後日の午後より、この座敷の片付けを行います」
ンッ?!
「行います」
私の顔を見て、飯綱さまは重ねて言った。
「行います、とおっしゃいましたか……?やりなさい、ではなく」
一応確かめてみる。
「行 い ま す」
さらに重ねられた。それはもう重々しく。
◇◇◇
翌日の夕刻、査察に改めて取り掛かった。
今度は滞りなくあっさりと、売り物にする予定であった愛玩人形の見本をつくり終え、おそらく問題なかろうとのお墨付きをいただいた。例のヤツも姿を見せなかった。
査察の前後には、うちの座敷の片付けなどに飯綱さまのお手を煩わせるわけにはゆかない、と説得を試みたのだが、こちらは徒労に終わった。
魅了の術は依然として極めて強い効果を保っているようだ……
そうして今現在、土曜の昼時。
モタモタしていると飯綱さまが来てしまうので、用事は早くに済ませねばと、午前は何かとばたばたしていた。
例えば八百常さんから頂いた妖退治の報酬でもってお米や味噌を買いに行ったり、銭湯に出かけたりなどだ。
まとまった額の収入は久しぶりで、これでしばらく飢えずに済みそうで安心している。おまけに恒久的に八百常さんでお値引きしていただける約束もある。苦手と厭わず引き受けて本当に良かった。
今は、もとより狭いお台所の、さらに長持に追いやられた片隅で、ぬか床に先日お土産に持たせてもらったお茄子を漬けているところだ。
お野菜を色々頂いたから、食べきれぬ分は早いうちに天日に干したり漬けたりなどしてしまわねば。この暑さで傷んではことである。
こんな風に所帯じみた日常の用事をこなしている間も、ずっと考えていることがある。言うまでもない、飯綱さまにかかったままの魅了の術をどうするかだ。
どういうわけか術者たる私の手によって
けれど、この数日の飯綱さまのご様子を見るに、いつになるかわからない術の自然な散逸を待つなどという悠長な対処では、とうてい許されまい。彼には魔術省でのお立場もあるし、妻はいないと仰っていたが他にご家族なりおられるのではないか。
ほんとうなら、術
だが、思いつく範囲で、私一人の力で可能なことは既に試し尽くしていた。
何か、ほかに取れる手立てはないものか……そう、天眼通の術者に依頼して、あの日の術力の流れを視てもらうのはどうだろう?
他人の使った術を
天眼通も高名な術者だとその点は同様であるものの、術解きそのものを依頼するよりは多少安く済むと記憶していた。あの時何が起きたのかはっきりしたら、自分で
借財が更に増えてしまうが、この依頼料を飯綱さまに持たせる訳にはいかない。あの方は十中八九、自分で払うと仰るだろうが、さすがに私にも譲れぬ一線というものがある。
予め借りるなどして代金を用立てておき、払ってしまってから天眼通にお連れするのが良いかも知れない。
なかなかに良い案がまとまった。
問題は魅了の術を
「おおい顕ヲさん、いるのかい」
飯綱さまが片付けに来られるのを止められないのであれば、多少でもましな状況にしておかねばと、虫避けの術を家の要所に施してまわっていた時だ。
「アラ、
表から聞こえた声に土間へ出たところ、店の中を見回していたのは耶麻井さまだ。
「先般は失礼いたしました。今日は何かお求め?」
耶麻井さまはこの店の数少ない常連のお客さま。前回お越しになったのはそう、我が家の虫に恐れをなした飯綱さまをおうちに帰した直後だっけ。
「いやなに……何をどうという話でもないのですけどね。あれからどうしたかと気になって」
「どうしたか、でございますか?」
矢ッ張り欲しい物があったわけではないのかしら。
「ホラ、あれ、あれですよ。例の、役人に因縁をつけられたとかいう……」
「因縁などつけておりません」
ヒェ!
店の戸口、一見無表情のお顔で立っておられるのはもちろん飯綱さまであった。
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