全世界「おばけ屋敷」現象
水曜の昼休み。校舎の外の販売機、奏多はホット緑茶を買った。
がたん。
取出し口に手を入れると。
――生暖かいものにぬっと手を掴まれた。
手を抜くと、問題なく緑茶が握られていた。
奏多は重く溜息を吐いた。
あれ以来、世界線のバグとも気のせいともつかないボーダーラインの怪奇が身の回りに増えていた。
原因は分かってる。
スマホから稀花の声がする。
『奏多君、またおばけ見えたの? 私心配だよ』
8945578431057……異常な着信番号。本物の稀花である保証などなかった。
稀花の声ってこんなだっけ、と思うほど記憶は風化していた。
でも嘘でいいから稀花と話したくて、着信を取ってしまった。
『奏多君が苦しいなら私のこと忘れていいんだよ。私と奇花さんどっちか消えないと、世界が矛盾で狂う。私をいなかった事にすれば、世界はまた時計みたいに正しく動くから』
稀花に励まされる度、心のモヤモヤは消えた。同時に稀花がおばけで苦しんでいた時、なぜ同じ言葉をかけられなかったのかとも。
「ごめんよ。俺が稀花をそんな風にしたんだ」
すると。
「よう、奏多」
クラスメイトAが販売機に小銭を入れていた。
「ああ、A」
奏多は恐る恐るその横顔を覗いた。
Aの顔はピカソの画のように変形していた。そして今朝から誰も変形に気づかないのだ。A自身さえ。
世界線なんてとうにバグってる。怖ろしいのはこの症状が病気のように進行すること。昨日より今日の方が確実にストレンジだった。このままではいつか気が狂って、稀花のように東横線に飛び込む。
Aが去ると、スマホから稀花の声がした。
『私を選ぶなら、奇花さんを殺すことになる。覚悟が決まったら方法を教える』
奏多に厭な汗が滲んだ。
奇花を殺す。その方法が線路に突き落とすにしても、魔法で消えるにしても、同意なく消滅させるなら「殺す」に違いなかった。「頑張ってる男の子が好き」微笑む奇花がふと思い出された。
「大丈夫? 顔色悪いよ」
振り向くと奇花が心配そうに覗き込んでいた。本当に心配そうだから思わず目を背けた。
「奇花には関係ない」
「その電話、本当に稀花なの?」
奇花にスマホを一瞥され、奏多はぎくりとした。
「稀花の言い分なら怪しくても聞くんだね。私のは聞いてくれないのに」
奇花の首にはツギハギがあった。正直もう迷いたくなかった。奇花の方を消すと決めたから、もう奇花の言い分は聞きたくない。
奏多は拳を握って拒絶した。
「人の胴体を盗んだモンスターの言い分が正しいわけない。そうやって稀花を諦めさせて本物にすり替わろうとしてんだろ。奇花は目が四つあって人肉を食べる首子さんなんだ」
すると奇花の瞳にふうっと涙が浮かんた。
奏多は動揺した。奇花はおばけと言われても泣かなかった。でもこれは本当に傷つける言葉だったんだ。
奇花は呼吸を荒くし、必死で涙を堪えていた。耳の先まで真っ赤だった。
「奏多くんは稀花しか見てないね。すり替わったって私の居場所なんか、もうどこにもないんだ」
うわのそらの授業。チョーク。椅子。上履き。
窓という窓の空が澄んでいた。
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