放課後エンタングルメント

 スクランブル交差点が青に変わる。牛の群れのように進むスーツと制服。楽器背負った奴、頭赤い奴、叫び出す奴。幽霊混じってても気づかない渋谷区は誰もが他人だった。


 欅は今年も葉を落とした。ライトアップの星空は道玄坂をマフラーの百鬼夜行に変えていた。

 奏多と奇花は人波を歩いていた。一緒にいるのは奇花が稀花の胴体ごと去っていくのが耐えがたいからだ。

 一方、奇花は成りすますためだった。


 どこまで成りすつもりか聞いたら、目を閉じて唇をつんと突き出したので奏多の方が慌てたほどだった。



「ねぇ奏多くん、おばけって本当にいると思う?」

 奇花はビルの隙間オリオン座を見上げ、ふうっと白い息を吐いた。


 奏多は口を噤んでいた。奇花のマフラーの下にはツギハギがあった。

「いるもいないも」


「おばけは世界線のバグなんだ。宇宙の本当の姿は『情報』なの。量子もつれや波動関数。奏多くんは誰の子で、誰の友達で、何時何分に私と何をした……素粒子から星々まで全てとの『関係エンタングルメント』の積み重ねで、たった一人の自分、この世のど真ん中、世界線が生じているから、


その情報に不正が起きると……同じ人が二人現れちゃったり、死んだ人が現れたりするんだ」

 まるで奇花自身の出生を解説しているかのようだった。


「もし現れちゃったら?」


「世界線壊れる。嘘ってさ、隠すため雪だるま式に大きくなるじゃない? 稀花が二人がいるって小さな矛盾からいずれ世界線全体にバグが広がって、この世はおばけ屋敷になる。

ま、宇宙からすれば世界線なんて毎秒星の数ほど生まれてるし、壊れたら老廃物として抜け落ちるだけ。それが私たち唯一の世界でも」



「覚えといて。『私と稀花はどちらかしか存在出来ない』こと。同時にいると世界バグること。そんで私の首を落として稀花の首くっつけるより、あなたが稀花を忘れる方が百万倍早いってこと」

 奇花に得意げに覗き込まれ、奏多はむっとした。


「何でおばけは生きてる人の居場所を奪おうとするんだ」

「順序逆。死んだやつから居場所を奪ったから、弱肉強食のこの世に生存してんだ」


 ■



 稀花の首は今も行方不明だった。

 そして12月25日以来、東横線渋谷駅に「首だけおばけ」がいるという都市伝説がSMSで流行していた。


 日を改め二人は渋谷へ向かう東横線の座席に並んでいた。

 奇花が漫画の原画展行きたいって言い出したからだ。今だって神保町で見つけた古い週刊少年漫画誌を捲っていた。


 どうして少年漫画が好きなのと聞いたら「頑張ってる男の子が好き」と珍しく顔が緩んだ。本当に好きらしい。


 だから奏多も少し調子に乗った。

「見せて」


 奏多が活版印刷の誌面を覗くと、奇花は機嫌良くなって奏多を漫画で引っぱたいた。

「人の漫画買った瞬間回し読みしたがるなんておばけかっ。必殺呪滅刃っ!」

「ごめん」

 奏多が謝ると、奇花は照臭そうに頭を掻いた。


「肩を揉んでくれたら内容教えてあげる。ただし朗読で」

 漫画は朗読じゃわからん。そんな意地悪するなんておばけか


 奇花は長髪を揺らし背中を向けた。首筋はツギハギはあれ、子どもみたいに頼りない。奏多が戸惑っていると奇花はふふっと笑った。


「胴体までなら稀花かもよ?」

 なんだよそれ。奏多は悩んだが、奇花の襟足を割ってブレザーの下にある肩に指を押し込んだ。すると奇花は小さく震えた。


「ううっ、きもちいそこ」

「ヘンな声出すなよう!」

 稀花の意識って胴体に入ってるのかな。奏多はツギハギを越えないよう慎重に揉んだ。

「きもちい、猫になるこんなん」


 奇花は「教えてあげる」と古い漫画誌を開いた。日に朽ちた紙のアーモンドのような匂いがふっとした。


「おばけ退治の漫画」

「それ奇花、退治される側だよ!」 

「おばけだぞ~っ、がおがおがおがお~っ!」

 奇花は怪獣の手にして上下させた。


「おばけの癖に、おばけと怪獣の区別つかないのかよ!」

「ふふっ、ふふふっ、ごめんっ、えへへっ」

 奇花は自分でウケて、ころころと笑った。


 現れた経緯以外、奇花は普通だった。だから打ち解けられるはずだった。でも奇花と稀花一人しか存在出来ないなら、おばけはやっぱり嫌いでいなきゃいけない。


 奇花は漫画の中身を隠しながら、口頭で内容を伝え始めた。

「渋谷駅の首子さん」

「ずいぶんタイムリーな」


「首子さんはね。渋谷の病院で死んだ亡霊なの。首しかなくて、同じ年頃の少女が渋谷に来ると、足、腕、胴の順に欲しがり、差し出さないとすり替わられる」


 どう見てもそのおばけ、奇花自身だった。そんな漫画が都合良く描かれているのか。奇花はもう漫画を見ず、そらで喋っていた。


「三人組の少女、一人目はさっさと足を差し出して助かった。二人目も苦渋の選択で腕を差し出した。でも三人目はモタモタしてるうち胴体の番になっちゃって」


「すり替わられた?」 


「主人公が駆けつけて成敗。この怪談、実在の少女がモデルだけど面白おかしく改変されて今。正体は目が四つあるとか、口が裂けて人肉を食べるとか、男子が『首子さんあの世に帰れ』と唱えると消えるとか言いたい放題」


 おばけって事実じゃなくデマの方が本体だからな。


 ――つぎは渋谷、渋谷。

 車内アナウンスの後、吊革の空間が減速し始めた。


 初代首子さんが奇花だとして、じゃあ奇花にすり替わられた二代目首子さんは。

「なあ、今の首子さんって」


 すると奇花はページを捲った。

「ほっとけばいい。おばけは量子と同じ。気づかなきゃ実在しないんだ。シュレイティンガーの猫の『選ばれなかった方の猫』がおばけなら、私と稀花も同じ。奏多くんが選んだ方が本物。


 仮に今の首子さんが稀花だとして。観測したら稀花か私、どちらかを退治することになるんだよ? 本物は二人要らないから」


 奏多は黙り込んだ。

 渋谷に停車する。沢山の背中に紛れ二人も降りる。車内とホームを跨ぐ時、


 隙間に首子さんになった「稀花」が居ないか探した。


 噂は噂。おばけなんていなかった。

 すると奏多はスマホが着信した。奇花が覗き込んでくる。

「誰?」

 奏多は画面を確認し慌ててポケットに戻した。

「ともだち」

 じっとりと汗が滲んでいた。


 

 着信『碧月稀花』

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