首だけ奇花と、首なし稀花~Ghost Entanglement~

あづま乳業

ヒロインの頭がすり替わってるんだが

 高校1年生、奏多の好きな女子には頭がなかった。

 正しくは、別の女子の頭がツギハギでくっついていた。

 

 頭の方を「奇花(きか)」といった。

 胴体、元々この教室にいた方を「稀花(きか)」といった。


 奇花は美人だった。それに明るくて優しいから、内気な「稀花(きか)」の頭がすり替わってるなんて、先生も友達も気づかなかったんだろう。でも奏多だけは稀花がこの教室にいないと気づいた。稀花のことが好きだったから。


 放課後、廊下には窓の影が格子のように連なっていた。玄関のガラスの向こう果実のような夕陽が落ち、校舎はどこも宝石のように朱く染まっていた。奇花はすのこを鳴らし上履きを脱ぐと、陰の溜まった下駄箱に収めた。


「ねえ奏多くん。帰り道玄坂で漫画読んでこうよ」

 奇花は長髪に手櫛を入れて微笑んだ。睫毛に縁取られた少し透き通る瞳、健康的な口元、ブレザーの制服がよく似合った。


 この頃は奏多さえ「元の稀花なんて本当にいたのだろうか」と思うことがある。故人は声、顔、感触、味、匂いの順で消えてゆくらしいけど、もう稀花の顔を絵に描けるほど覚えていなかった。


 でも感触は覚えていた。

 稀花の手は、夕方になると風邪を引いたみたいにあたたかくなった。元の稀花なんてこの空の下どこにもいないのに、空っぽの手がまだその熱を覚えていた。

 いつからだろう。稀花が「おばけが見える」と言い始めたのは。――幽霊なんていねえよ。死んだら炭素になるんだ――無限ループの話題に音を上げて突き放したそれが最後の会話になった。


 稀花は今年12月25日、半蔵門線に転落した。


 その翌日から、奇花は学校に現れた。

 即死事故そのものがなかったことになっていた。スマホの写真を見返しても奇花にすり替わっていた。事実がなくなっても奏多は「稀花を半分殺したのは自分」と思ってた。半蔵門線に突き落としたわけじゃないが、SOSを無視して間接的に殺した。


 奇花は玄関に下ろした革靴を履き始めた。さらさらと垂れる襟足から白いうなじが漏れる。そこには産毛とツギハギがはっきりあった。

 奏多は奇花に言った。


「お前が稀花を追い詰めたおばけなのか?」

 奇花はむっとして眉を顰めた。

「何度も言うけど稀花は私なんだ。奏多くんだけが知ってる『元の稀花』なんて存在しない」

 奇花は奏多を恨めしげに睨んだ。


「仲直りしよ。幽霊か試してみて」

 奇花は右手を差し伸べた。幽霊ならすり抜けて握れないらしい。それはかつて稀花だった手、奏多をいつも内気にさせる手だった。


 奇花は稀花の生活を継続している。奏多さえ今まで通りその手を取れば、事件は今にも存在しないことになった。これから奇花と出会う人にとっては奇花の方が本物で、目を背けても日を追うごとに奇花は真実になっていくから。

 でも。


「俺はお前を認めないからな」

 元の稀花が毎日好きだった。元の稀花はちゃんと存在していた。日に日に遠のく感情だけがこの怪奇現象に抵抗するダイイング・メッセージだった。


 奇花は背中を向けた。

「私だって大嫌い」


 ――奇花は、おばけなんだ。

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