第2話 配信オタクの妹

 東京都八王子市郊外に建設された、迷宮対策庁の本部。

 関係者以外の立ち入りを一切禁ずる黒塗りの建物は、その威容と情報の秘匿性の高さから“ブラックボックス”と呼ばれている。


 まあ、関係者からはもっぱら、過酷すぎる労働環境という意味からブラック企業ボックスって揶揄されてるけど。



「午後2時38分、中央区大手前・第三等級迷宮ダンジョン、第一次探索。配信終了」


 場所は、担当した迷宮ダンジョンでの配信を視聴するための個室シアタールーム。


 加速するコメントと、画面の向こうで笑顔を見せる配信者たち。


「死傷者ゼロ。剪定者ガーデナーの痕跡なし。魔物モンスターの出現数は規定値範囲内で安定——これをもって、剪定者ガーデナー城金計の任務完遂を宣言する」


 配信の成功しゅうりょうと共に、俺と並んでソファに体を沈めて配信を眺めていたカグヤが機械的に告げ——ふっと表情筋を緩めた。


「改めてお疲れ様、シロガネ先輩」

「おう、カグヤもお疲れさん」


 今度こそちゃんと労いの心が籠った後輩の言葉に、俺はハイタッチを要求。


「さて、次は二十時間後。港区に一昨日発生した第四等級迷宮ダンジョンの事前調査が割り当てられているな」


 めっちゃスルーされた。


「あのー、カグヤさーん?」

「最優先事項は地形の把握。配信に適さない環境だった場合は即、心臓コアを破壊してとのお達しだ」


 カチ無視したカグヤは次なる任務を事務的に告げる。

 後輩の冷たい態度で俺の心に冬が到来した。

 そんなことより……


「いや、二十時間後って」

「シロガネ先輩にもわかるように計算すると、明日午前10時だ」

「そんくらい俺でも計算できらぁ! これでも小学校は卒業してんだぞ!」


 中学校はの仕事にどっぷりでまともに登校してなかったけどな!


「というか俺、今のところ19連勤なんだけど?」

「私もだ。お互い、今日は久々の午後半休だな」

「労基は今すぐ迷対ウチを監査すべきだろ!」


 ブラック労働が過ぎる。迷宮ダンジョン三昧、残業三昧の日々。

 報告書は山積みだし、挙句、久しぶりの休日は半休ときた。


「……いや待て今日半休!?」


 聞き捨てならない単語に、俺は慌てて部屋の時計を見上げた。

 俺の狼狽ろうばいっぷりに、カグヤが『何言ってんだコイツ』とジト目を向ける。


「そうだが。課長の話を聞いてなかったのか?」

「報告書は!?」

「ログの提出だけでいいそうだ」

「マジか!? いやっほう!!」


 降って湧いた休日に俺の心は有頂天。

 高速で荷物を纏めて退勤の準備を終えた。


 しかし20日ぶりの休日に舞い上がって愚痴を忘れるあたり、俺は飼い慣らされているのかもしれない。


「コホン。ところでシロガネ先輩。せっかく余暇が生まれたことだし、二人で食事にでも」

「そんじゃ俺、帰るわ! カグヤも帰って寝ろよー!」

「行かな、え、ちょ——」

 

 カグヤが何かを言っていた気がしたが、退勤の二文字しか頭に無かった俺は気にも留めずシアタールームを飛び出した。



◆◆◆



「……はあ。期待した私が馬鹿だった」


 ただ一人、シアタールームにポツンと取り残された岸海輝夜はそんな恨み言を吐き、隠す相手もいないのに愛用のタブレットで口元を覆い隠した。


「先輩のばーか。鈍感野郎」


 彼女の恨み節はシアタールームの防音仕様に遮られ、誰にも届かなかった。



◆◆◆



 突然だが、俺がこの仕事に就いた経緯について話そうと思う。

 それに際して、ひとつ。迷宮ダンジョン出現と共に人類へと現れた変化について説明しなくてはならない。


 と言っても、大きな変化ではあるが説明に手間がかかるものではない。

 ただちょっと、生まれつき、あるいは後天的に不思議な力を使えるようになった奴らが出てきたってだけだ。


 魔法のような力を使えたり、超人的な肉体を得たり。

 ——迷宮ダンジョンという災害に抗うべくしたような存在が各地で出現したってだけだ。


 かく言う俺もその一人。

 病気の妹の治療費を稼ぐため、俺は生まれ持った才能を駆使して配信の裏側にこの身を捧げると決めたのだ。


 たった一人の大切な肉親を守るために。



◆◆◆



花蓮かれん〜! お兄ちゃんがお見舞いに来ったよ〜〜!」


 個室の扉を開け放ち、愛しの妹へ愛を叫ぶ。

 跳ねるように病室へ飛び込むと——目の前に、飛来する目覚まし時計。


「ふげぶっ!?」

「うっさい馬鹿兄貴! 配信聞こえなくなるでしょ!!」


 ベッドのヘッドボードにもたれながらでも見事なオーバースローで俺の顔面に目覚まし時計をクリーンヒットさせた我が愛しの妹、城金しろがね花蓮かれん17歳。

 重度の迷宮配信オタクである彼女は、盛大な顔面着地スライディングを強制された俺へと、鼻息荒く語気を強めた。


「というか! 三週間もなにしてたのよ! 前、来週また来るって言ったじゃん!」

「ま、マジですまん……」

「五体投地で謝っても許さないから」


 ご立腹の妹

 立ち上がった俺は、買ってきた大福を取り出して個包装を剥がした。


「ほ、ほら。大福買ってきたから機嫌直してくれ」

「食べ物で釣ろうって、その手にはもぐもぐ……」


 大福を咥えた花蓮は、それでも不服そうに薄目で俺を睨んだ。

 なんか、最近やたらと睨まれているような気がする。


「……美味しかった」

「そりゃよかった。あと二つあるから、賞味期限切れる前に食べろよ」

「定期補給に来るなら許す」


 意訳、これからはもうちょっと見舞いに来い。

 妹の可愛い要求に、俺はしっかり頷いた。


「わかった。お前のためだからな」


 クソ親二人が蒸発してから、俺たちは互いに唯一の肉親なんだから。


「来なかったら嫌いになる」

「ガハッ……!?」


 “嫌い”という単語に心臓を撃ち抜かれてその場に蹲った。今の俺にとって何よりも辛い一言。想像するだけで生きた心地がしなかった。


「わ、わかった……絶対に休み取るから……」

「うん。約束ね」


 指切りをすると、ようやく花蓮の表情から怒りが抜けた。

 ひとまず安堵した俺は、無音量のまま垂れ流されるパソコンの配信画面に目を向けた。


「そういえば、配信は見なくていいのか?」

「見どころ薄かったし、後で切り抜きで見る。それに……」


 パソコンを閉じた花蓮は、わかりやすく期待に満ちた表情で、ワクワクと胸躍らせる。


「明日は私の最推しの配信だから、万全の状態で見ないと!」

「最推し……ああ、〈無色マルチカラー〉か」

「そう! ヒナミ様! 神奈川の第三等級迷宮ダンジョンに挑むって!」


 頬を紅潮させ、咳き込むのも構わずに花蓮は〈無色マルチカラー〉ヒナミの素晴らしさを語る。


「まだトップの人たちには届かないけどさ、いつか絶対に届くと思うの! それに戦いに華があっていいし!」

「最近登録者も伸びてきるしな」

「最古参としてしっかり応援しないと!」


 それにね、と。

 花蓮は憧れるように目を輝かせる。


「ヒナミ様、小さい頃は病弱だったんだって。それが今では15万人の登録者を抱える配信者になってさ。ヒナミ様見てると、『私も頑張るぞ〜!』って元気出るの!」

「……そうか」

「兄貴ってさ、配信関連の仕事やってるんだよね? ヒナミ様と知り合いだったりしない?」

「妹の期待に応えるのが兄貴の務めだが……」


 花蓮は俺の仕事の詳細を知らない。部外者だからってのはあるが、配信に勇気づけられている彼女にその裏側を話すのを俺が嫌ったからだ。

 期待の眼差しを受ける俺だったが、力なくかぶりを振った。


「そっかー。まあ仕方ないね」

「期待に添えなくてごめんな」

「ううん。元から期待してないし大丈夫」

「お兄ちゃん心が砕けそう」


 ——さて、と。

 俺は椅子から立ち上がり、転がってる目覚まし時計を定位置に戻した。


「それじゃ、兄ちゃんそろそろ行くな」

「約束、忘れないでね」

「ああ、今度は守るよ。お前もちゃんと休むんだぞ」


 多分、要らない忠告だけど。


「もちろん! ヒナミ様の配信は私基準万全の状態で見ないと!」

「だな。——それじゃ、また来週」



◆◆◆



 翌朝、早い時間からブラックボックス内部には忙しない空気が充満していた。


「なんかあったのか? あ、カグヤー!」

「ん? ああ、シロガネ先輩か」


 ロビーで仕事仲間と合流。

 オフィスに向かう最中、俺は慌ただしさの理由を聞いた。


「神奈川の第三等級迷宮ダンジョン魔物モンスターの異常発生があったらしい。その対応に追われてるそうだ」

「——!」


 ちょっと、血の気が引いた。


「待てカグヤ。その迷宮ダンジョン、今日配信が予定されてるんじゃ」

「よくわかったな、先輩の割に頭の回転が早いぞ」


 カグヤの憎まれ口は、俺の耳には届かない。


「そこは〈無色マルチカラー〉ヒナミが攻略予定だった迷宮ダンジョンらし……って、シロガネ先輩どこに」


 気がつけば、俺の足は課長の下へと向かっていた。

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