電灯守
未了
電灯守
変な広告を見つけた。
単発アルバイトの募集サイトに掲示されたそれは、監視員バイトの求人だった。真っ暗な路地を、ぽつと照らす街灯の写真が添付されている。
「路上監視員募集!」
都内某住宅街にて監視業務。詳細は、勤務確定した方にご説明いたします。
求人にはそれだけの文言しかない。他の求人が華々しく仕事の楽さなどのメリットを謳いあげる中、この求人のそっけなさは一際異彩を放っていた。しかし、唯一かつ絶対的に見ているこちらを引きつけるのは、給与欄に記載された金額である。時給二万円。普通の日雇いの倍はある。
払いのいい、奇妙なバイト。
いわゆる、闇バイトの類が反射的に浮かんだことは、名誉のために言っておきたい。死体さらいや、麻薬の運び屋なんて、都市伝説的なアルバイト。そうした話の末路が大抵碌なものではないことも知っていた。しかし、胡散臭さは百点満点だが、話のタネとしても花丸だ。自分だけは大丈夫、と思い込むのは人の常ではなかろうか。今更ながらの話ではあるが、いかにも、暇を持て余した深夜の大学生並みの思考である。
スキマバイトアプリ、というものがある。平たく言えば単発バイトの求人サービスで広告主側はピーク時や忙しい時など、一日限りの求人を出し、利用者は好きな業種、好きな時間を選んで働けるというものである。利用者層は学生からフリーターまで様々。広告主も利用者も、気軽に短期の労働契約が結べることが魅力だ。特に、シフトの融通が効かない就活生にとっては使い勝手が良くて、かくいう僕も気分転換がてらに利用しており、今回の求人もそのアプリに掲載されていたものだった。
応募ボタンを押せば、すぐに勤務確定のメールが届いた。届いた詳細には、都内の中心地からは少し外れた、閑静な住宅街の住所が勤務地として記載されていた。
【電灯守】
件名:ご応募ありがとうございます。
この度はアルバイトへのご応募ありがとうございました。勤務のための詳細情報をお伝えさせていただきます。
【勤務詳細】
勤務地:東京都新宿区許斐3丁目1-21にある電灯の下
仕事内容:とある家の監視。
勤務日時:8/21深夜2:00~3:00
時給:2万円。勤務後支給。
【勤務にあたっての注意】
・勤務中は家の前にある電灯の光の中にいること。
・勤務している間、誰とも会話をしないこと。一言も発さないこと。
話しかけられた場合、即座にその場から離れること。なお、2:40頃に現れる黒髪の人間に関してはこれに含まない。きちんと挨拶してください。
・服装は上下黒。靴も黒いものを着用。ワンポイント不可。
・勤務報告以外のスマートフォンなどの使用禁止。
・このアルバイトに関する一切の他言を禁じます。
【当日の流れ】
・勤務開始時、勤務終了時に、勤務場所で、あなたの写真を撮って送ってください。
・勤務開始後は、定位置に立って外から家の中の監視をお願いいたします。
・確認が取れ次第、勤務完了手続きをこちらから行い、アプリを経由して給与をお支払いいたします。
なお、このアルバイトのキャンセルは原則不可とさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。
長篠
受け取ったメッセージを見て沸き上がったのは、まず第一に「これはやばいのがきたぞ」という純粋な恐怖だった。頭から文末まで、異質さが濃縮されたような内容だった。素直に理解できる文言が一つもない。やばいバイト、の文字列が、確信を持って、より明確な形で僕の中で輪郭を帯び始めていた。家の中の監視を行うバイト。監視されるに足るだけの理由があるのだろう。例えばありがちな話だが、家に住んでいる人間に何か問題があって、監視対象になっているとか、あとは家自体に──例えば、オカルト的なゆえんがあるとか。なんにせよ、見ておかないといけない理由はあるのだろう、多分。一瞬尻込みしたものの、怖いもの見たさ、という動機が僕を持ちなおさせた。「こういうの」を期待して、応募したのだ。好奇心と、ちょっとした冒険心を満たす要素としては百点を軽々と超えた。たった、一時間のことなのだから。もしもまずそうであれば、逃げてきてしまえばいい。そう自分に言い聞かせ、時間まで仮眠をとることにした。
――
勤務地は、求人に張られていた写真共に、事前にマップアプリで確認していた。大したことはない、普通の住宅街であった。終電の兼ね合いで、少し早めに家を出て、しばらくは駅前のコンビニのイートインコーナーで時間をつぶした。夜食のカップ麺は、つい掻きこみすぎてしまい、食べ終わった後も長々と居座ることになったが、時間もあってイートインに陣取る客などそういなかった。ガラスに映った自分は頭かつま先まで真っ黒だ。強盗か葬式の参列者でもなければ、こんな色合いで外をうろつくこともない。表情はいつになく固かったし、この分では強盗らしさのほうが強そうであった。誰が見ているわけではないとわかっていたが、なんとなく十分前には指定の場所にいた。あたりはしんと静まり返っている。古い家が多いようだった。家々の中に明かりは一つもなかった。不気味なほどだ。それは、監視対象の家も同じだ。カーテンがかけられており、中を見ることはできない。しかしこの家は比較的新しいようだ。白い壁の、どこの住宅街にもありそうな庭付きの戸建てである。家は胸くらいの高さのフェンスに囲まれていた。玄関前には三輪車が出ていて、小さな子供がいる家族が住んでいるのだろうか。指定された電灯の場所からは、ちょうど一階部分の窓がよく見えた。と言っても、カーテンにさえぎられてしまっているのだが。表札には、ごくありふれた苗字が乗っており、家族の名前らしきものも書かれている。四人家族だった。両親らしき名前と、今風の男女の名前が二つ。こちらは子供たちか。少し家の様子を見て回ったのち、早々に写真を撮り、二時ちょうどに写真を送った。写真を送れば、すぐに「ありがとうございます。よろしくおねがいします」との返信があった。仕事とはいえ、この時間に、即座に反応が返ってくるのがなんとなく気持ち悪かったが、違和感は飲み込むことにした。ケータイの電源を切り、ポケットに押し込んだ。一時間。たった一時間のことなのだ。その間に、何か面白いことが起きればいい、なんて思いはいつの間にか霧散していた。何事もないように、と祈る気持ちの方が不思議と強くなっていた。
最初の十分は、何も変わったことはなかった。暗闇にも静けさにも、だんだんと慣れてきて、街灯の照らす範囲は自分の領域として、気を抜けるようになった。家の中にさしたる変化はなく、ただ固くカーテンは閉ざされている。だが、十分間、じいとよくよく家を観察して、気が付いたことがある。僕が時間までずっと立っているように指定された玄関前から、まっすぐ顔を上げる位置に見えるそれ。周囲の暗さのせいでよく分からないが、玄関ドアに、四角い長方形の紙が貼りつけられていた。それは扉の外ではなく、内側に張られている。大きさは手のひらより少し大きいくらいだ。あえて、安直に発想するのであれば、札。ただし、そうと断ずるには、いささかの疑念が残る。紙には、真ん中にぽっかりと穴があいていたからだ。たとえるなら、1000円札を縦にして、丸の部分だけ向こうを見通せるようにくりぬいたような具合である。札に穴、と聞いてあまりいいような気持ちはしないだろう。仮に穴が開いてしまったとして、玄関にそんなものを張り続けておこうという人間は少ないはずだ。いいや、何よりも、札の真ん中に穴が開く意味も分からない。経年劣化にしたって、違和感のある穴の開き方だ。だから、あれは札なんかじゃない。多分。一度気になってしまえば、視界に妙にそれがちらついた。奇妙な何かの正体を、あれこれと勘ぐってしまうのは、人の性というものだろう。答えなんて、結局、扉を開けなければ分かるはずもないのだが。
20分が経過した。ふと、つま先に何かが触れた。道路と、家の敷地を区切るその境目、一段上がった場所に、小皿が置かれていた。しゃがみ込み、よく見てみると、そこには白い結晶が乗っている。盛り塩だ。一点付け加えるなら、塩が長らく好感されていないということだろう。日中の日で溶けたのか、それとも風で飛ばされたのか、塩は小皿に黒くこびりつく程度になっている。ここ最近の天気は夏にふさわしい酷暑だったし、分からない話ではない。ところで僕は、塩が黒くなるのを、僕はホラー映画でしか見たことが無いのだが。玄関に張られた札らしい何かと、塩を見比べ、僕はいよいよ奇妙な気持ちになった。信心深い家なのだろうか。致命的におかしいわけではない。ただ、比較的新しい白い四角の家と、なんだか微妙に合わないように思えただけで。
思いを巡らせながらも、監視に余念はない。30分が経過する。中で何かおかしいことがあってはいけない。僕の仕事は、家の中を見ることではなく、ここに立っていることだ。立ち続けていることだ。幸いにも、それとも当然のことかもしれないが、さしたる異常はなかった。寝静まっているのだろう。留守にしているのかもしれない。そう考えると少し辻褄もあうかもしれない。長期に留守にしている間の、夜間の家の監視警備。家の中には、実はとんでもなく貴重な宝石か何かがあって、家主はそれが盗まれることを恐れた。絶対にない可能性を、考えることほど無駄なことはない。わかり切った答えを考え直すことも、類して無駄である。
40分が経過した時、遠くから足音が聞こえてきた。そこで僕は初めて家から視線を外した。遠くの方に、ぼうっと影が立っている。直立二足歩行のそれが、概して、人の形であることは認識できた。影、と形容したのは、その人が真っ黒だと思ったからだ。街灯の光がなければ、闇夜に溶けてふと消え去って、こちらからはどうしようもなくなってしまうのだろう。影はゆっくりと近づいてきて、やがて、明確な輪郭を帯び始める。上下に黒いスウェットを着ていた。髪は黒く短い。見る限り、背は大きすぎず小さすぎない。男とも女ともつかぬ体格だ。ゆらゆらと歩いていた。夜の闇に、少しのおそれも抱いていないようだった。三つ先の街頭のところまできて、ようやくその人の顔が見えた。鼻筋とほほ骨の出張った顔だ。いいや、ほほはふっくら丸みがあるから、面長ということはない。やっぱりおでこが広くて、あごはエラが張っているかもしれない。一つ先の街灯までやってきた。表情が見えた。笑っているわけでもない。この手の話によくあるような、無表情すぎるというわけでも、恐ろしい顔もしていない。印象に残らない顔だ。その人は、僕の隣を通り過ぎる前に、ぴったりと立ち止まった。目は夜の闇を落とし込み、ハイライトも瞳孔も、そんなもの、そもそもないのだと、そう思わせるほどくろぐろとしていた。
「こんばんは」
簡単な夜の挨拶。わざわざ立ち止まる必要なんてなかったのに? 広告を思い出す。
・勤務している間、誰とも会話をしないこと。一言も発さないこと。話しかけられた場合、即座にその場から離れること。なお、2:40頃に現れる黒髪の人間に関してはこれに含まない。きちんと挨拶してください。
黒髪の人間、というのはこれのことだ。意味を考える前に、僕は声を出した。
「こんばんは」
言って、僕は頭を下げた。九十度。普通ならやりすぎだと思うだろうが、これは普通ではないのでなんの問題もない。そうあるべきだ。その人は、僕の言葉に会釈すると、まっすぐ僕の隣を抜けて、門を開き、家の扉を開けて中に入っていった。振り向くことはなく、良くも悪くも慣れているようだった。鍵はかかっていなかったし、扉の向こうに貼られていたのは、やっぱり穴の開いた札だった。
「……」
口を開いてはいけないのだ、と思った。何かとんでもないことに巻き込まれている。だが、役目は果たさなければならない。僕の仕事は、3時までここに立ち続けること。そして、“驕捺?繧玖??◆縺”の道を作ってやることなのだから。
そこからおそらく、さらに、10分くらいが経った。真偽は分からない。でもそんな気がした。そういうものだから、という方が正しいかもしれない。かちゃ、と扉が開く音がして、ようやく僕の意識は浮上する。体がやけに重たかった。立ち続けはつらい。必要な挙動以外を許されていないのだから当然だ。立ち続けること。監視すること。必要な時には、挨拶すること。きちんと頭は下げること。全部、あの広告にあった通りにしなければならない。理想の形というものが存在するのだ。
この時間に、扉を開けて、人が出てくることも、書いてあった通りだ。形式上人と呼称したが、厳密にはそれは人ではない。名を“驕捺?繧玖??◆縺”という。掘り下げて解説することはできない。それは別に、一定の物ではなく、不定形の物であり、固有名詞ではなく、概念を指す言葉だからだ。“驕捺?繧玖??◆縺”は、家の扉から出てくると、まっすぐ俺の方へと向かってきた。黒い髪、黒い服、黒い瞳。家の内側から見た人間の姿は、きっとさぞかし不気味だったろう。それは薄い唇を開いて、私に言葉をかける。そういえば、声だって、男とも女ともつかない。混ざっているのだろう。目じりをぐんにゃりまげて、口を大きく開いて、心底嬉しそうに声を弾ませて笑う。
「こんばんは」
「ご苦労様です」
「開きました」
「たくさん見てくれたおかげです」
「だから、もういいです」
開いたんだ。ああ、よかった。
――
次に目を覚ました時、僕は病院のベッドに横たわっていた。まったく記憶がないのだが、僕は何でもとある住宅街で保護されたのだという。深夜三時、ひどいかなぎり声をあげて、数分間叫び続け、ぱったりと道端に倒れたのを、近所の住民が見聞きしており、警察に通報されたらしい。まったく記憶にないが。家で日雇いのアルバイトの求人広告を探していたことだけは、覚えている。その後がすっぽり抜けているのだ。警察の人が来て、いろいろと聞かれたが、あいまいな返答しかできなかったのは申し訳なかった。彼らは二三、質問をした。
「どういう経緯で、あの場所に向かったか覚えているか」
「あの家の家族を知っているか?」
「Aという宗教を知っているか?」
当然、いずれも答えはNOだった。聴取にきた刑事は、顔を見合わせ、首を振ると、メモを取るために構えていたペンをポケットにしまって「もう結構です」と会話を打ち切ってしまった。
「しばらくは、また聴取のお願いをすることがあるかもしれません。その時はご助力いただけますか」
「ええ、はい、まあ。あの、なんだか大変な事件なんですか?」
二人の険しい顔が、そう言っているような気がしたのだ。僕が問えば、二人のうちの一人が「いやね」と、頭を掻く。
「あの家の人間、みいんな死んでるんですよ。一週間くらい前かなあ。ふがいないが、何もわかってなくてね」
消えている。家の人間が。
「まあ警察の方でも捜査してるんだけど、事件のちょっと前から、家の周りに怪しい人間がね、特に二時から三時くらいの間に、玄関じっと見て立ってるの見たって。一心不乱に、玄関だけ、穴が開くみたいにじいっと見てるから怖かったって話。実際、家の人間からも何回か通報があったんだよ。現場に駆けつけても、誰もいなかったって話だけど」
「そうそう。家にさあ、盛り塩とかあったの見た? 中には札も貼ってあったんだけどね。よっぽど参ってたんだろうね」
「まあ、もともと、宗教にずっぷりの家だったんだよ。それが、信者間でトラブルがあったらしい。トラブル起こした信者は、その時間別にアリバイがあったから容疑者ってわけではないんだけどね」
話を聞いて、ぞくりと体が震えた。それは殺人の嫌疑をかけられたのかもしれないという実際的な恐怖だったのかもしれないし、それ以外の何かかもしれない。刑事さんは少なくとも、前者の方と解釈したらしい。ヘラと笑って「気にしなくていいよ、多分、きみが捕まるということはないから」と安心させるように言って、帰り支度を始めた。なんの事情かは知らないが、おそらくそれが、ただの慰めではないような気がして、僕もそっと胸をなでおろす。
「ああ、そうだ。最後に一つ聞いてもいいかな」
これで、ほんとに最後の最後。と、去り際に、刑事さんは僕に訪ねた。
「君、驕捺?繧玖??◆縺って知ってる?」
全てが腑に落ちたような気がして、僕はゆっくりとうなずいた。
ああ、よかった。ようやく開いたのだ。
電灯守 未了 @saku_yumemachi
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