アンダーグラウンドなる喫茶店

あおば

第1章

プロローグ




「こちら、お食事あとのコーヒーになります」


 御渚學人みなぎがくとは、ウェイターとしてそのパーティー会場にいた。片手で器用にカップがのったソーサーを持ち、なみなみ液体が入れられた銀の保温ポットをかかげ、注ぐ。ホテルのオリジナルブレンドで挽かれた豆の香りがぶわっと広がった。デザートのマカロンを食べ終えた婦人──国民的人気女優である女は、その光景にうっとりとしていた。彼の手つきもそうだが、他のウェイターと同じ白のワイシャツに黒のベスト、パンツにも関わらず、その青年の整った容姿と気品あふれた雰囲気に不覚にも魅せられてしまったのだ。どうぞ、と全てを見透かしたような双眸にどきりとさせられながら、ゆっくりコーヒーを受け取る。


 パーティーには、政治家、会社のCEOや社長、先程のような女優俳優などが参加していた。全員を人質にとろうものなら一つの国の予算がまるまる動くほどの、VIPたちによる宴である。

 優れた洞察力を活かし、ガクトは仕事に回る。ミルクをいれる人間、甘党で砂糖を欲しがっている人間、またはコーヒーではなく紅茶派の人間……まるで一人一人の専属執事がごとく、仕事をこなしていった。


 しばらくして、ビュッフェで使われた皿を片付けようとポットを置いたところに、とある集団がやってくる。それは今宵のパーティーの主役──青原賢希あおばらまさきを取り囲んだものであった。今や総理大臣よりも権力を持つと言われる青原グループのトップで、婿養子だというから余計に注目を集めている。年齢に合わない若く爽やかな笑顔と自然に子供が寄ってきそうな柔らかい雰囲気。

「私たちにも、コーヒーを頂けるかな」

 しかし、いざ存在を目の前にすると、隠せもしない圧倒的なオーラがそこにはあった。

「喜んで」

 営業スマイルを崩さず、ガクトはまた丁寧にコーヒーを淹れる。そこでふと、賢希の隣で始終ごまをすっていた中規模会社のオーナーがメガネをくいっと持ちあげた。

「この青年……以前のパーティーでも見たことあるような気がしますぞ」

 一瞬手が止まった。しかし、こういうときほど「一般人」が口を出すべきではないと心得ている。

「そうかな。私たちみたいなおじさんには、若者の顔はどれも似たように見えるからね」

「ははは、ごもっとも」

 テーブルに戻ろう、とカップを手に取り賢希は歩くよう促す。取り巻きは全く気にした様子もなく次なる商談の話へと移っていった。そんななか、一瞬だけ彼と目が合う。


 父親との会話は、それで終わりだった。


 ♢


 新しいポットを用意しようと、ガクトはバックヤードに戻る。いまだ自身の父親に圧倒されてしまう自分が情けないとため息を吐いた。


 御渚ガクト、またの名を青原ガクト。


 実をいえば、彼は青原グループたった一人の跡取り息子であった。そんなわけで後継者争いや身の危険を案じられてか、彼は父親の旧姓「御渚」を名乗り一般人として過ごしていた。(一般人とはいえ、恵まれた容姿に才能、ある程度の財産は共有されているので何不自由のない、どちらかと言えば裕福な暮らしをしているのだが)

 海外にいることが多い父親と話す手段は、日本で主催されるパーティーのウェイターとして接するときのみ。不満のない暮らしのなか、彼は「何かあればすぐに消せる存在」なのだと自身を勝手に位置付けていた。


 グラスがかち合い、楽しげな笑い声を遠くに聞きながら、静かなバックヤードでコーヒーの準備をする。機械が動く重低音だけが冷たいキッチンに響いた。個数分しっかり用意したカップの一つが無くなっていたが、誰かが勝手に一杯やったのだろうか。

「おーい、新人。上のレストランにあるマイクをとってきてくれないか? カウンターにあると思うから」

「分かりました」

 吹き抜けとなっているホテル最上階のレストランは重役たちが集まる都合上、締切となっていた。非常階段を登り従業員出口を出たところで、エレベーターホールに繋がる大理石の廊下を進む。


「……綺麗だな」

 全面ガラス張りの窓が、東京の夜空を見事に映し出していた。クロスがかけられ規則正しく並ぶテーブルを照らすのは月明かりのみ。そのとき、ガクトは不審な影を認めた。テーブルの上にあぐらをかいている人型のシルエット。猫背のままぼんやりと星を見ている。あのような人物は従業員にも招待客にもいない。考えうるのは、パーティーの誰かを狙った──刺客。

 彼が宴会に潜り込むのは何も父親に顔を見せるだけではない。ある意味ではボディーガードのような役割もある。基本的な体術は心得ていた。

 果物ナイフの感触をポケットに確かめながら、ゆっくりと近づく。テーブル一つ隔てたところで、ガクトは声をかけた。

「お客さま」

 動じない。華奢な体躯にサイドテールされた髪、刺客の正体は少女であった。彼女の腕が動く。思わず身構えると、カップののったソーサーがテーブルに置かれただけだった。もし、それがキッチンにいたことを暗じているのだとしたら。コーヒーに毒を盛った? 試飲はしたものの、それならば今の少女の余裕にも合点がいくと、冷や汗が出てくる。

 すると、神妙な顔つきになるガクトをよそに、少女は膝にあった何かを持ちながらテーブルから降りた。

「!!」

 それは全長一メートルはある狙撃銃であった。バレルから伸びる銃口が怪しく光る。獲物は毒ではない? しかし何故、狙撃銃なのか。スコープを覗かないで撃つにしろ、接近戦では明らかに不利なはずなのに。


 その時、くるりと振り返った少女は目の前のテーブルを踏み台に高く飛んだ。そして、銃を、バットのように構え──


 


「っ」

 咄嗟に身を翻し、後方に転がる。ストン、とカーペットに舞い降りた少女がゆっくりとこちらを見る。

 ありえない。ガクトは珍しく平静を失っていた。モロに当たれば銃身は曲がる、または確実に歪められその精密な獲物は壊れること待ったなし。にもかかわらず、少女は躊躇わなかった。というよりその動きが板についていた。

 動きが予測できない。彼の思考が追いつかないままに、少女が口を開いた。

「お前、ガクトか」

「……あぁ。俺はガクトだ」

 紫のパーカーにグレーのロングパンツ。引きこもり少女ですと言わんばかりの格好であったが、その冷静で低い声音と射抜くような瞳が仕事人のソレを思わせる。

「私は、お前を殺しにきた」

 単調とした物言いに一瞬何を言っているか分からなかった。何とか思考をクリアにして返事をする。

「……俺は、ただのアルバイトのウェイターですよ」

「いや、お前は青原の息子だ」

 駆け引きではない。彼女は、確信している。唾を飲み込んだ。正直にいえば、ガクトには勝つ算段がなかった。

「でも、私はお前を殺さないことにした」

「は?」

 突然の言葉に、思わず間抜けな返事をしてしまう。油断させようとしている? 否、彼女からは先ほどまでの殺気が消えている。

「それは……どうして?」

 拍子抜けするくらい間抜けな問いだと思ったが、ガクトは聞かずにいられなかった。すると、待ってましたとばかりに少女の目が輝く。


「このコーヒーが美味かったからだ!」


 びしっとテーブルに置かれたカップを指差す。

「私はこんなに美味いコーヒーを飲んだことがない! だからお前を殺さない」

 何を言っているんだ、これは──

「だが、何もしないわけにもいかない。だから」

 首筋に衝撃が走る。気配など微塵も感じなかった。身体の力が一気に抜け、膝から倒れ込む。


 コーヒー豆はホテルの一流のもので淹れたのは機械だと……言えばよかったのかよくなかったのか。ガクトは薄れゆく意識の中でそんなことを考えていた。

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