第2話

 人魚はもともと、天にある国から降りてきた天女だったのだという。



 しかしある天女の姉妹が、物見山に降りてきただけの地上に残ると言い出した。

 仲間は笑い、次に哀しみ、無理にでも連れて帰ろうとしたけれど、彼女らは水辺からは離れようとしない。


 強情な彼女らに天女たちは怒り、彼女らの空を飛ぶ術を奪い取るや、地も踏めぬようにその足を魚に変えた。あげく魚と同じように、およそ地上の生き物に触れられぬよう、炎にあたって暖をとれぬよう、熱に炙られる肌を与えた。


 人と沿うために地上に残ったというのに、ひとたび触れられれば赤く腫れあがって、月が巡るまで腫れは引かない。


 子孫永劫、呪いがかけられた証として、人魚の脚には二本の骨が通っている。


 大人となった人魚の娘は、その骨の間の皮膚を絶ち、地上を踏んでたびたび人里に紛れるのである。



 ◐



 巽は、額縁の前に立ったまま、そこを立ち去ることが出来なかった。


 声もはばかる場とはいえ、さわさわと衣擦れの音や女のヒールの足音、感想を囁く声は、抑えていても聞こえてくる。




 額縁の中には、雪原があった。


 雪の積もった氷の表土。そこににょっきり雪を割って貧相な木が、陽光を奪取せんと身をくねらせて伸びている。実際、奥の山々にははっきりと太陽が差しているのだ。


(これは朝方のことなんだ)


 巽は、その青く影を落とす山陰に、はっきりとそう思った。


 周囲には、確かに足を止める人もいる。

 しかし目を剥いて額縁に張り付く巽のせいか、その絵から漂う異様な陰気のせいか―――――足早に立ち去る足も多かった。



 この絵が異様なのは、その雪原の貧相な木に、長い髪を絡ませて裸の腹の膨れた女が、磔になっているからだ。


 風に広がる服のようにも見える胸から下の描線は、すぐにこの木から伸びたものだと知れる。


 木は逃げられないように髪の毛を掴み、胸から下を縛り上げて――

――さらに、幽鬼のような青白い子供の頭が枝から生えて、女の乳を吸っている。




(この木は、この女の命を吸って生きている)


 そのために、わざわざ赤子の顔すら作って。


 なんという生への執念!

  木にとって、女は餌にすぎないのだろう。


 いくら皺くちゃのけっして可愛くない赤子だって、母だとすれば、手に取って慈しもうとするだろうに。この女は、この子供を張り付けた木に騙されている。



 巽はそこでやっと、視線を下げてその絵のタイトルを見た。



 セガンティー二作『悪しき母たち』。

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