第2話

 陽が沈む。



 拡散された光が、峰の奥、少しだけ見える水平線に消え、波に輝く海はただの黒い塊になった。


 紅葉が眼にも鮮やかだった山々も、夜闇に色彩を流して墨色に変わる。

 隠れていた色とりどりの都市の灯りだけが、山の際に見えてしまっていた。

 こういった景色に心のどこかが郷愁を感じるものの、おれたちにはそれがどこだったのかが分からない。





 おれは長く細い息をつき、顔を覆っていた手拭いで、茹る顔を拭う。

 顔の上で夕風に吹かれたパイル地は、うまく冷えていて気持ちがいい。


 湯に漬けるわけにはいかないので、おれはそれを畳んで湯船の淵に置いた。







「ふう……」


 しばし目を閉じ、素肌の頬にあたる夜風を楽しむ。

 陽が落ちてやっとのこと、ほっと息をできるようになって、もう何十年となろうか。クウはきっと、おれの反対なのだろうが。



 陽は落ちた。

 クウは部屋だし、とっとと顔を洗っておれは部屋に帰ることにした。奴を一人にするのは憚られる。




 特に、夜は。



 脱衣所で時計を見ると、すでに七時半をまわっていた。


 確か、四時半あたりにクウと暖簾をくぐったから……ま、今日は短いほうだな。




 服を着て、持ち込んだ手提げ鞄に、無用になった能面たちを放り込んだ。こいつらがけっこう荷物になるのだけれど、手放すわけにもいかない。




 部屋は二階、階段から見て右の端。



 桃華の間とやらは、襖を二枚隔ててすぐの四畳の一室、さらにその部屋を経由して、奥に五畳ほどのもう一室が襖で仕切られてある。備え付けのトイレと、押入れのほかに浴衣が入ったクローゼット。



 部屋にはすでに、火の消えた鍋があった。


 料理はすっかり冷えていた。山の幸たちは見事なほど、きちんと半分は残してあるところらへんに、クウの遠慮がうかがえる。


 意外だけれどおれは、生きていた頃のクウの育ちは良かったのではないのか、と感じてもいる。




 ふと、くず入れを見下ろすと、奴のマスクが無造作に落っこちていた。

 鼻炎持ちの上にアレルギー体質のクウは、年がら年中昼のあいだだけを、花粉や埃と闘っているのである。


 埃が苦手な割に掃除や整理整頓はしたがらないところ、奴はいつまでたっても成長しない。真性の馬鹿なのだ。



 しかしこれは、太陽が陰れば無用となる。



 おれたちは日の有無で裏返り・・・、そのたびに黄泉還る・・・・

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