第2話

錆びた閂が外れる音がした。



 せき止められていた記憶が濁流となってうなり、鉄砲水となって雲児クモジを押し流す。





 ……最初に雨音が聞こえた。



 黒い雨だ。


 ぼとぼとと、塊のような雨が降っている。


 遠雷が近づいてくる。

 やがて、地響きがするほどに、天が唸る。咆哮する。




 水の矢に掘り返された土からは、生臭いような、鉄臭いような、青臭いような、おぞましい臭気が水気を辿って立ち上った。







                 赤い葉がひらりと舞う。


       冷たい雨が降る。






                          桜が咲いている。








        沼がある。



 天に日が差す。






                             雨音はやまない。


                     土のにおいがする。




 水。

 水。

 水。

 空―――――。






 おうおうと、龍が啼く。

 



 山の下で、上で、龍が啼く。






                            黒い水。




             岩屋の奥。





                     桶の中の醜い赤子。



                人魚。





                          老婆。




 人魚が笑う。



 子供が泣く。






 溺れる―――――。




 腹の膨れた女が、樹に喰われている。白い花、あれは桜かしら。





              おまえはうそつきだ。おれが殺した。



 雨の中で高く誰かが叫ぶ。








                 違う、ぼくがあいつを殺してしまった。

 静かなところで誰かが呟く。





               体が落ちる。

                           水に落ちる。

                      




                          痛い。

                      



                      苦しい。

                       



                       苦しい。


 


                          苦しい!






                                  

 泥に溶ける。


 ……真っ黒だ。






 のっぺらぼうが叫ぶ。 



                わたしは誰だ! 顔はどこにある!






 水面を雨が打つ。


 水を掻き回し、泥が浮かんだ。


 赤い糸がとろとろと浮かんでは、水に溶けていく。



 水の中から、白い顔がぼくを見ていた。


 どこかで知っている誰かの顔だった。



 彼女がぼくを呼ぶ。

 あいつを呼ぶ。

 何度も、何度も。



 名前は泡になる。





                       ぽこ……




                             ぽこ……

                         





                            ぽこ……






 溶けて、混ざって、丸くなり、一つのものが二つに分かれる。






(……ああ、泣いている。あの子が泣いている)




 あの子が泣くから、雨が降るんだ。





 ―――――なあ、カッちゃん。ぼく、思い出したよ。おまえ、嘘ついとったな。あれ、全部嘘やったんやな。



 ―――――嘘はつかんといて……言うたのはおまえン方やったやろ。




 しやろ。


 なぁ。




 なぁ……











 なぁ……

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