かよわい羊かと思いました? ごめんあそばせ、猛獣ですの
しっぽタヌキ
第1話
ずっと夢見ていたことがあった。
立派な温かい家。広いメインダイニングルーム。大きな食卓にはたくさんの料理が並び、家族全員が座っている。そして、みんなでにこやかに談笑しているのだ。
私が今日起こったことを話すと、母が目を丸くして「まあ」と驚く。そうすると父が口ひげのある顎を撫で「大変だったな」と労う。兄が「そんなときはこうすればいい」と自分の体験を教えてくれ、最後に母が微笑んでこう言うのだ。「いつもがんばっていてえらいわね」と。
「エレイア様、こちらはもうお下げします」
思考を飛ばしていた私を夢から覚ますように、感情のない硬質な声が響く。これは侍女の声だ。
私の食事が進まないために、早く切り上げたくて声を掛けたのだろう。私が食べ終わるのを待っていては、彼女たちの仕事が滞る。
「はい」
本来ならこんな失礼を許してはならないのだろうが、私はただ諾と返した。
仕えるべき人間に対し、下の人間から声を掛けることなどない。それは侍女たちが自分の立場を弁えていないということになる。
いいのだ、どうでも。これぐらいのことで感情を乱すほうが面倒くさい。
私はこれ以上、食事を摂るつもりはない。彼女たちは仕事がしたい。ならば、彼女たちの言うことのほうが妥当だ。
私の返事を受け、侍女たちがしずしずと動き、食卓を片付けていく。よく働くすばらしい侍女たちだと思う。私への言葉とて、私がそれを許すとわかっていて発しているわけで、決して頭が悪いというわけではない。ただ……。
――愚かだ、と。
思ってしまう私もいる。
どうして、そのような態度が許されると思うのだろう。なぜ、私をそのように扱っていいと思うのだろう。
なにも言わないという私の優しさに頼っているだけの自分たちの現状が怖くはないのだろうか。
私は侯爵家の長女だ。そして、侯爵家に仕える侍女となれば、世間からの評価は高くなる。侍女たちはその評価を得るためにここで働いていると言っても過言ではない。
だが、私が一言、父や侍女長にこの不始末を伝えれば、彼女たちは罰せられ、実家に送り返されるだろう。そうなれば、侯爵家で粗相をし、侍女を辞めさせられた女として生きなければならない。来るはずだった良縁は消え、手に入るはずだった王宮での務めも消える。
彼女たちの輝かしい未来、夢、希望。それが今、私の手の中にある。彼女たちは進んで弱みを私に渡している。彼女たちを支えているのはただ一つ。
――「私の優しさ」だけ。
怖くないのだろうか。ほしい未来がないからこのような愚行を起こすのだろうか。
いつもわからなくなる。どうして、そんなことをするのか、と。
「……わからないのよね」
席を立ち、ボソリと呟く。
侍女たちはすこし手を止め、こちらに目を向けたが、私は気にせずその場から歩き出した。二人の侍女が私のあとに付き従う。
廊下を歩けば、私の足音は臙脂色の絨毯に吸い込まれていった。
夢見ていたものとはまるで違う。こじんまりとした部屋。四人分の料理が並ぶはずもない食卓。……ひとりぼっちの会話のない食事。目先のことしか見えず、見通しも立てない侍女。
――愚かだ。
愚かな者たちは、自分が愚かであることも気づかない。なぜ、私の手の中に自分の未来を預けてしまうのか。でも、預けたことさえわかっていないのだ。
そして、私はそれを指摘することもない。
ただ、その未来を手に持ち続ける。返すことはしない。もし、ここから先、この侍女たちがもっとおごり高ぶり、こちらの値を間違うときが来れば、この未来を使えばいいのだ。「私の優しさ」が尽きたとき、彼女たちは簡単に切られて終わる。
「……私はなぜ」
そこまで考えて、私は小さくため息を漏らした。
ちょうど自室まで帰ってきていたため、ついてきた侍女はそのまま返し、一人で部屋に入る。
そして、侯爵家の長女としては品がなくも、そのまま寝室へと行き、ぼすっとベッドへと突っ伏した。
「私はなぜ、こんなにも酷い考えを持ってしまうのだろう……」
自分のこの考えに反吐が出る。私の夢見たものとはほど遠い。優しく温かくありたいのに、いつだってこうして人を冷めた目で見てしまう。
「だからなのよね……」
だからなのだろう。私が愛のない人間だから愛されないのだ。いつも優しくありたいと願うのに、心の底からではないことは私が一番よくわかっている。本当の私は邪悪で醜悪で人を人と思っていない。きっと、ポカポカと笑う人々とは生まれたときから違うのだ。
「羊のようになりたかった」
やわらかな毛皮で人を包んであげられるような。優しくて温かい。ふわふわで。みんなに撫でられて、寄り添い合って生きるのだ。お互いを傷つける針も持たず。優しさを分け合って生きていく。
憧れて、夢想して。
必死に真似て、練習して、優しさを覚え、たくさん人に与えてきた。その結果が、今。
「やっぱり羊じゃないから……」
どんなに真似しても、努力しても無駄だったのだろう。結局は生まれたときからおかしかった。私はどうやっても羊にはなれない。
家族もだれも笑っていない。この家にいる者たちもだれも笑っていない。
――「私の優しさ」はただ侮られるだけのもの。
そんな価値のないものだから。
「……愚かなのは、私ね」
自分の存在が虚しい。孤独とはこういう感情を指しているのだろう。
そうしていると、突然、乱暴に扉がノックされた。
「エレイア! エレイア、いるのだろう! これはどういうことだ!?」
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