Secret Love
美希みなみ
Secret 1 お互いの秘密
第1話 Side 莉乃
やっと終わった。仕事終わりの自分の部屋で、私はホッと髪をほどいて息を吐いた。
代り映えの無い毎日を幸せだと思っているのも事実だけど、変わりたいそんなことを思う自分もいる。
どれだけ考えても答えはでない。
鏡に映る自分を見つめたあと、時計を見ると待ち合わせまではあと少し。
手早く着替えると、私は家を出た。
―――――――――――――――――――――――
「水川さん、この書類を二十部印刷して用意しておいてくれるかな」
大きな窓から明るい光が降り注ぐ副社長室の立派なデスクの前で、スケジュールの確認を終えた私は、目の前にいる人の言葉にタブレットから顔を上げた。
爽やかな、どこか嘘っぽい笑顔を向ける人に、内心唖然としつつも無表情でその資料を受け取る。
「はい」
余計な言葉は言わず視線も合わせない私に、本来なら不快な表情を浮かべてもおかしくないはずだ。しかしそんなことをしないことは、この二年でわかっていた。
水川莉乃、24歳。大手IT企業であるサイエンスコーポレーションの秘書課に勤務している。この会社はここ数年で急激に業績と規模を拡大しており、世界にも進出し始めたところだ。
会社は都心のオフィスビルの二十五階から三十五階にあり、役員フロアであるこの副社長室は最も上階に位置する。
大学を卒業し、入社してすぐ事務職から秘書室へと配属になった時は驚いた。
型を取ったような凹凸のないスーツに、ひとつに束ねてネットに入れただけの髪。もちろん化粧はマナー程度で、黒縁眼鏡。
きれいな人だらけの秘書課で「なぜ私が?」と思ったが、その理由はすぐに分かった。
私の目の前でいつも笑顔を絶やさないこの彼――副社長である長谷川誠のせいだ。
アメリカの工科大学を卒業後、父親が社長であるこの会社に入社し、あっという間に事業を拡大させた二代目。
プログラミングの知識は突出しており、新しいシステムやセキュリティーを次々に開発している。
そしてそれだけではなく、百八十cmはあるだろう高い身長に、きれいな薄茶色の瞳が印象的な整った顔。街中で「モデルです」と言っても誰も疑わないと思う。
さらに、それを存分に生かして、本気なのか遊びなのかは知らないが、数多くの女性と噂になっている。
そんな副社長の毒牙にかからないように、と父親である社長が私を任命したと聞いた時は、「そんな理由か」と呆然としたのを覚えている。
しかし、私のような秘書の方が周りの女性社員からも反感を買わない上に、副社長はいつも笑顔で特に何も言わない。とても仕事はしやすい環境にあるため、二年たった今はそれなりに居心地も良くなっている。
「水川さん!」
そんなことを考えながらぼんやりしていた私は、副社長の声に呼ばれ、はっとして我に返った。
「大丈夫? あとこの資料もお願いできるかな?」
柔らかな声で言われ、私は小さく頷いた。
「今から社長と打ち合わせだから、それも……」
伺うように尋ねられ、私はその資料の中身を確認すると、「大丈夫です」と真顔で副社長を見た。
「よろしく頼むよ」
本当にそう思ってる?
そう言いたくなるほど、怪しいまでに満面の笑顔の副社長の後ろ姿を見送った。
こんなに愛想がない秘書でいいのだろうか?
そう思ったことも過去にはあったが、「真面目な私だからこそ秘書にした」と言われれば、必要以上に話をすることもないし、言われたことだけをやっていることが正しいような気がして、今に至る。
私は小さくため息をつき、副社長室と隣接する自分のデスクへ戻り、パソコンを開いた。
資料に視線を送るも、さっきの副社長の笑顔が頭に浮かんだ。
本当になんなの、あの人。
女なら誰でも自分に気があるとでも思っているのだろうか?
私はああいう自信のある男の人がとても苦手だ。これくらいの距離感がちょうどいい。
大きく伸びをした後、私は仕事に取り掛かった。
社長から頼まれていた仕事を終えると、今度はたくさんの部署から上がってくる資料を振り分ける。
あれ?
常務から上がってきた新規事業案の経理報告書を確認していると、何かがおかしい気がした。
計算してみると、やはり合わないようだ。うまく調整しているように見えるが、どこかが明らかにおかしい。
膨大な数字で、すぐには判断できそうにない資料に、私はもう一度やり直そうとページをめくった。そのとき、扉が開いた。
「ただいま」
打ち合わせを終えて戻ってきた副社長は、私のデスクまで来ると、手元の資料に視線を落とした。
「これ、今日の分の資料?」
「え? はい」
まだ確かなことがわからない私は、何も言わずに常務からの資料をほかの資料と一緒に手渡した。
「依頼分のデータは共有ホルダーに入れてあり、コピーは終わっています」
端的に報告した私に、副社長はにこりと笑顔を向けた。
「いつもありがとう。本当にいい秘書を持ったよ」
絶対に噓!
なぜか私はそれだけは自信を持って言える気がした。
この笑顔は絶対に演技だ。他の社員にも、パーティーの同伴などでここに数人女性が来たことがあるが、その女性たちにもいつもこの笑顔だ。
そんなことを思いながら、つい私は副社長を睨みつけていた。
「水川さん?」
「コーヒー入れてきます」
不思議そうに言った副社長に、私は少しの苛立ちを隠すようにそう言い放つと席を立った。
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