「ミケさまは、苛烈である。」

TSUKASA・T

1 「ミケさまは脱走なさっておられる」

ミケさまを一言で現わすとしたら。

苛烈である。

容赦が無い、一撃必殺である。さらにスピードは他の追随を赦さず、敵に対して容赦がなく追い詰める際の速度は、目にも留まらない。

 一瞬で、補足した敵に飛びかかっていく。

ニンゲンは、敵わない。

ニンゲンなどは、勿論ミケさまの敵ではない。

単なる下僕である。

 ミケさまは、大変に美麗な三毛猫である。しかも、普段は悠然としながら動かねばならぬときには容赦がない。

 動かねばならぬときとは、敵を排除するときである。

ミケさまの敵は、いまはミケさまのテリトリーに入り込もうとしている小娘だ。ちなみに、その小娘も三毛である。ミケさまより、かなり若い小娘だ。

小娘が姿を現わすと、ミケさまは一瞬で接敵し追い込む。それを目撃したニンゲンは、何もできずに見守るだけだ。

 そう、つまり。

 いまミケさまは、脱走しておられる。

 縁側の下に、靴脱ぎ台が置かれているが、その下に敷かれたミケさま用のカーペットを折りたたんだものの上に鎮座されておられる。

 縁側へは、あがってこられない。庭の中におられるが、家には入らない。

 それは、ニンゲンが不甲斐ないからである。

 そう、不甲斐ないのだ。

 先に話に出て来た小娘。

 ミケさまに模様もよく似た三毛小娘が、ぼろぼろの姿である日、現れたのは春も近い午後であった。

 縁側の特等席でゆったりとくつろいでいたミケさまに気付かず、その小娘は食事を求めてふらりと庭先に現れたのだ。

 その庭先は、ミケさまのテリトリーである。

 だが、ニンゲンに捉えられ、軟禁状態に置かれて、一歩も外に出ることが敵わずはやどれだけか。

 そのとき、ミケさまは下僕にかしずかれながら、先に食したチュールを思い返しつつ、毛づくろいを終え、まったり縁側のひなたぼっこを楽しもうとしていたところだったのだ。

 ちなみに、ミケさまは脱走の機会を常に伺っておられる。

 この冬はこのニンゲンのもとで寒さをしのいだが、気をゆるしてはいない。いつでも脱走して、この近所の見回りに行かねばと思いながら、機会をうかがっているのだ。

 ミケさまは、この近辺のネコ達を束ねる女王様であるのだ。故に、近所の見回りは義務であるが、このシーズンは寒いこともあり、ニンゲンに世話をさせて中でくつろぐことにしていた。 

 そこへ現れた小娘である。

 ニンゲンは、何かいいながら、今朝ミケさまが残したご飯を別の器に入れ替えて、庭先に持っていった。

 あまりに、その小娘がボロボロだったからであろう。

「…――――。」

気にくわずにみていると、ガラスの向こうでニンゲンが置いたご飯に、こわくて近づけずにいる。そっとニンゲンが離れて中に入るとこわがりながらも、空腹に耐えかねたのか、近付いてくる。

 がつがつといそいでご飯を食べ始めた小娘を、冷たい視線でミケさまはみていた。

 小娘は、食べ終わるとだっと逃げていく。

 ちら、と食べ始める前も、その後もミケさまの姿をみていく辺り、意識はしているのだろう。

 だが、ガラスに仕切られて、ミケさまが攻撃してこないことも理解していたに違いない。

 そして、やはり空腹がすべてに勝ったのだ。

 時節は、鳥を捕らえるにもまだ寒い季節。

 いかに獲物を得るのが得意でも、獲物がおらずば捕らえることはできまい。

 ふと、小鳥を捕らえることを外で子ネコたちに教えていた日々を思い出す。狩りは、ニンゲンにかしずかれるようになってから、しばらくしていないが。

 先の小娘を思い返す。

 空腹は、ミケさまにもおぼえはある。

 元々、ミケさまは外で暮らしていた。

 いや、外と中を自由に行き来していた、自由ネコだったのだ。

 この家も、もとはテリトリーのひとつとして、ミケさまが自由にしていた場所である。

 南向きの庭は、とても暖かいのだ。

くつろぐにも、ひとやすみしてねむるにも適した、とても良い場所である。

 だからまあ、この庭に引かれてやってくるのはわかる。そこに空腹でごはんがおかれてがっつくのも理解できる。

 それが一度であったなら、たまには空腹をいやす為に、認めてやらないでもないが、と。

 ミケさまは思っておられたのだが。

 ミケさまが庭先をにらむ。

 また、小娘がきている。

 いや、このところ、毎日、朝晩二回、必ず来て、鳴き続ける。

 その鳴き声に、ニンゲンが出ていって、ごはんをおく。どうやら、ミケさまのときと同じように、家にこの小娘を入れようとしているとミケさまは悟った。

 小娘は、ボロボロから、少しずつ、毛皮がましになっていった。

 耳が片方カットされているが、それまで誰からもごはんをもらえていなかったのか、おびえながら庭にきていた。

 それが、いつのまにか毎日現れるようになり。

 ごはんを鳴いて催促する。

 ごはんが出てくると、がつがつ食べて、さっと逃げる。

ニンゲンがいると逃げる。

 そして、季節が移るにつれ、ニンゲンが近くにいても、段々と平気になってきていた。

 縁側から、ミケさまが睨んでいても平気なようだ。

 そうしたある日。

 ニンゲンは、小娘を中に入れようとしたのだろう。

 庭に出るとき、いつも玄関の戸を閉めて、さらにその外にある扉も閉めていく。

 ミケさまの脱走対策だ。

 だが、その日、ニンゲンはミスをした。

 外の扉が開いていたのだ。

 千載一遇のチャンスだった。

 そして、ミケさまはチャンスを逃すことはけしてしない。

 ニンゲンとは違うのだ。

 ニンゲンの隙を、ミケさまは見逃さなかった。

 引き戸を、手でそっとあける。

 重い引き戸だが、ミケさまにかかればこんなものだ。そのさらに外にある戸は流石に開くことができなかったのだが。

 小娘にニンゲンが、何がいっている。

 説得をこころみているのだろう。

 小娘にもためらいがある。

 このニンゲンは、外出の自由をゆるさない辺り以外は、割によく出来た下僕である。

 ニンゲンの用意するごはんは、割にわるくない。

 身体に良いとかいうごはんは味気ないが、まあわるくはないし、小さな袋から取り出すやわらかいサカナのごはんはたのしみにして待ち構えるほどだ。

 だがしかし、自由が無いのはよくない。

 見回りも、この一冬さぼったが、配下のものたちがどうしているのか、観察にいかねばならないだろう。

 ニンゲンが小娘に向き合ってしゃがみこんでいる背を、ちら、とみながらミケさまは外へ出た。

 もう春も暖かな季節だ。

 気持ちよく、ミケさまは外へ出た。

「―――ミケさま――!!!」

気がついたニンゲンがなんとか声を抑えようとしながら叫んでいるのを、遠くにききながら、ミケさまは久し振りに外へと出ていた。



 というわけで、ミケさまは脱走している。

 近所を見回り、庭先に戻ると、ニンゲンが情けない顔でまっていた。

 中に入らないかと手を差し伸べてくるが、運動神経でニンゲンにミケさまが遅れをとるわけがない。

 ミケさまが戻るのを拒むと、情けない顔で香りの良いごはんを皿にいれて差し出してくる。

 大変に良い匂いだが、つられはしない。

 ニンゲンの手の届かない場所へと引っ込むと、ニンゲンがあきらめた顔で、皿を縁側のくつぬぎの上において、家の中へ引っ込む。

 ニンゲンがすぐに手を出せない縁側の中にガラスを閉じたままいるのを確かめると、ミケさまは食事をすることにした。

 くつぬぎの上にのって、行儀良くたべる。

 食べると、次は、これもニンゲンが用意してごはんのそばに置いた水入れから、水をのむ。

 そして、くつぬぎの下に置かれた小さくたたまれたカーペットの上にゆったりすわって、毛づくろいをはじめた。

 ニンゲンが、何かなさけない顔でいっているのが聞こえる。多分、戻って来いといっているのだろう。

 戸をあけて、困った顔でみているが、かまわず逃げる。ニンゲンが手を出してきても、それで捕まるほど鈍くはない。さらにいうなら、ニンゲンはニンゲンの中でもおそらく運動神経が鈍いのだ。

 ミケさまがつかまるわけがないのである。


 というわけで、ミケさまは脱走している。

 小娘が来るのに備え、庭先を警護しているのだ。

 これもまた、ニンゲンがしっかりしていれば、ミケさまがここまでする必要はないのだが。

 そして、ミケさまは苛烈に、小娘を追撃する。

 ごはんを求めてあらわれる小娘を、神速で撃退するのだ。

 その他は、縁側の下でまったりしている。

 朝晩二回、ごはんがあたらしく置かれ、水がとりかえられる。

 縁側から中に入りませんか、とニンゲンが懇願するのが聞こえるが、無視する。

 外を見回り、庭に戻り、ゆっくりとねむる。

 トイレは、同じ庭の少し離れた場所にある。これもニンゲンがきれいにしているようで、そこだけは感心だが、と思いながら、空を仰ぐ。

 実にうまそうな鳥が数羽庭先からみえる枝に留まっている。そろそろ、狩りをしてもいいころかもしれない。

 カラスもいるが、あれは食べるには向かない敵だ。

 暖かい日が続いてるから、少し散歩をあとでしにいこう。

 そう思いながら、ニンゲンの情けない声を聞きつつゆっくりねむる。

 良い陽射しだ。

 大雨が降ったり、とんでもなく寒くなったりしたら、またニンゲンの呼ぶ中に避難してやろう。

 それまでは、ゆっくり外をたのしもう。

 ニンゲンが縁側で何かしていて、ミケさまはゆっくりひなたぼっこをしながら、周りの気配をとらえている。

 鳴き声が聞こえた。

 ぴくり、と耳を動かす。

 小娘は、家の裏、北側に姿を現わすようになっていたのだ。

 ミケさまがこわいのである。

 だっ、とミケさまがダッシュする。

 ニンゲンが追いかけて出てくるが、もうあっというまだ。

 姿が見えなくなったミケさまが去った方角をみて、ニンゲンがつぶやく。

「…はやい」

 そんなわけで、ミケさまは苛烈だ。

 テリトリーを守る為には容赦はしない。

 そんなミケさまからみればとても情けないニンゲンは、中に入らないミケさまを心配している。

 しかし、ニンゲンにミケさまにお戻りいただく為の何か有効な手段があるわけではない。

 朝晩、水をきれいなものに取り替え、いらっしゃるタイミングでごはんをお出しして、できるかぎり中に入っていただけるよう説得し。ご近所に迷惑をかけないように庭でトイレができるように整備して。

 …ミケさま。

がっくりと肩を落とすニンゲンを知らずに、いまごろは小娘を追い払ったあと、そのまま近所の見回りに戻られるミケさまである。




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