心さんの人間思考解体作業

橙鰐 心助

第1話 海洋恐怖症

「心さん、こんにちは。 突然すみません、お話を聞いて欲しくて...。」

心(シン)の前に、今日も話をしに来る人...クライアントがいる。 今日来たのは20代ぐらいの女性だった。心は椅子に座るようにうながす。彼女はさっそく話を始めた。


 まず私、海が怖いんです。世間でいう海洋恐怖症ってやつです。生まれつき海が怖かったというわけではなかったんです。むしろ好きなほうでした。

あれは、確か10歳の時のことでした。家族と一緒にR海岸へ行ったのです。砂のお城を作ったり、引いては寄せ帰る波を追いかけたりして、とても楽しい時間を過ごしていました。

 海の中で泳いでいるときに、それは起きました。潜って透き通った水と、辺りを泳いでいる名前も分からない魚を眺めていると、砂の中に何かが埋まっているのが見えたのです。私はそれに手をのばして掴み、水面から顔を出しました。

「パパー!ママー!おたからみつけたー!」

そして手に持ったそれをできる限り高々と掲げ、近くを泳いでいた両親に見せました。

その時、父が私の手をぶったのです。父のあの、おぞましい化け物を見るような眼は今でも夢に出てくるほどおぞましかったのです。私は泣き出しました。おたからを見つけただけなのに、両親に見せて喜んでもらいたかっただけなのに...。

次に母が私を抱きしめ、いや、抱きかかえて海から半ば強制的に離しました。泣きわめく私に母はずっと

「なんでもないのよ。大丈夫よ。」

とつぶやきながら頭をなでてくれたのを覚えています。

数十分ぐらいして、父が私たちの元にやってきました。私は思わず

「ぱぱ...ごめんなさい…」

謝っていました。何に対して謝っているのか、なぜ父が私をぶったのか。聞きたいことはたくさんありましたが、父は

「パパのほうこそごめんな。お前が持っていた生き物が怖くてな。痛かっただろ。」

そういって私の手をさすってくれました。

なんだ。怖かっただけなのか。そう思った私は心が軽くなり、父にあの生き物の名前を教えてもらおうと口を開きかけました。が、

「今日はもう帰ろう。そろそろ暗くなってきたからな。」

「ええそうね。それに、急に寒くなって風邪をひいたら困るものね。」

そう言って母は私の手を引きました。

そのあとは家に帰って、夕ご飯を食べて、眠りにつくところで、別室にいる両親の声がかすかに聞こえてきました。

「...が...あ...だ! ...ずだ...。...ま...!」

「だって......が、いた............! し...った...」

明らかに何かを言い争っている声でした。めったに怒ることのなかった両親のあの声を聴き、それから私は海が怖くなってしまいました。


「これで私の話は終わりです。...あれがなんだったのか分からないし、聞こうと思っても両親は今海外で働いていてなかなか連絡がとれないのです。私が一人暮らしを始めてからは毎日のように連絡をよこしていたのに...」

彼女の目に涙が浮かんでいた。心はティッシュを一枚差し出す。彼女はそれを受け取り、涙を拭いた。

「心さん、私が拾ったあれはなんなのでしょうか。...ごめんなさい。私、どうしても気になってしまって。子供の時の出来事って忘れようにも忘れられないことってあるじゃないですか。」

心は無言で首をふった。

「...わかりました。追及するのはやめておきます。知らぬが仏、という言葉があるように、知らなくていいのかもしれませんね。 何より、知ってしまってさらに恐怖症が悪化したら元も子もないですね。」

さっきとは打って変わって彼女はくすくすと笑った。


 クライアントを見送ってから、心はソファーに座りこむ。

「...相変わらずお前は黙ってるんだな。」

心と目線を合わせるようにしゃがみ込み、今ではめったに見かけない煙管を加えた歌舞伎の着物を着た男がいつの間にか目の前にいた。

「んー。そもそもあのアマ、狂ってるんだよな。根っから。」

心は彼の頭を軽く叩いた。

「いっ...あーあー。言い方悪かったって。クライアント、でいいかよ。

で、狂ってるっていうのはクライアントのほうだ。両親に海で怒鳴られたってだけで海洋恐怖症になるかよ? ありえねえ話じゃねえけどな。」

男は煙管を口から離し、煙を吐き出す。

海は地球を形作っているものだといっても過言ではない。何万何千年前から存在している唯一の自然。まだ解明されてないことはたくさんある。

「...あれを未知の生物だと考えるのか、はたまた名前やらが解明されている生き物だったのか。それとも...?

まあ、どう考察するかはアンタに任せるぜ。」

男は煙管をまた口にくわえた。

クライアントの両親が何を言い争っていたのか。クライアントは何を掴んだのか。

心は思考を張り巡らせる。

「おーい。心。ほい、」

男が心に一枚の紙を渡す。20××年。今から約12年ぐらい前の年だ。新聞の見出しには大きくこう書かれていた。


{海の中の神秘!?人類の子孫と思われる骨をR海岸で発見!}



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