夜を渡る
PROJECT:DATE 公式
暮夜
とっと、とっと。
脈に手を当てていないのに、
立っているだけで
心音が耳の真隣で鳴っているかのように響く。
通い慣れた淡白な部屋、
暇な時間は共に姿勢悪く座ったソファ、
2人が並んで勉強するには
少しばかり狭いローテーブルと、
キッチンの近くに設置された
ダイニングテーブル。
そして、目の前に立つあなた。
白を基調とした部屋の中、
普通なら冷たく見えるはずなのに
何故か来るたびに暖かった。
どれも見慣れたもののはずなのに、
どうしてもあなただけが異質に映る。
どうして手が震えるのだろう。
どうして言葉が詰まるのだろう。
どうして息が上手く吸えないんだろう。
答えは全てわかっている。
杏「これ…どういうこと。」
一叶「…。」
杏「ねえ、なんとか言ってよ。」
わかっていても、問うことしかできなかった。
足が勝手に動いて、
あなたから距離を取ろうとする。
視界が揺れて、うまく顔を見ることができない。
槙悠里という人が、
一叶は過去に人を殺めていて、
その上ロボットだなんて言う。
そんな阿呆な話あるか、と
冗談めかしく突き飛ばして
笑ってやりたかった。
けれど、彼女の説明は突飛だとしても
信用するに値するようにも見えてしまった。
勘で出される答えなど
信用する価値なんてこれっぽっちもないのに。
なのに、目を薄めるあなたが
何を思っているのか、一瞬で黒色に隠された。
杏「ねえ!」
一叶「…。」
杏「嘘なら嘘だよってそれだけでいいから。先月に初めましてした子よりうちは一叶のこと信じるよ。」
一叶「私のことを信じるの?」
杏「…っ。…付き合いは短いけど、それでも結構関わってきたし、仲良いと思ってるから。」
一叶「それは信じるに値する行動なの?」
杏「そりゃあ…。」
一叶「私からすると、それだけのことをしたから信じなければならないって言っているようにも見えるよ。」
杏「…!」
一叶「信じるかどうかはべき論ではないんじゃないかな。」
こんな時にまで
合理性を求めなくてもいいじゃないか。
嘘をついたって構わない。
あなたが信じていて欲しいことなら、
過ごした時間の長さなんて関係なく
その言葉を鵜呑みにするよ。
そう言いたかったのに、
反論できるはずの口は
言葉を発するのを拒んだ。
一叶は真っ直ぐうちのことを見たまま
うっすら笑った気がした。
満を持したように。
もしくは、ごまかすように。
一叶「本当のことだよ。」
杏「…っ!?」
一叶「槙悠里の言っていることは全て本当。主観が入っているから多少は」
杏「何で……何でそんなことして………っ…全部、全部黙って…!だってうちはっ!…うちは、本当に友達だと思ってたのにっ!」
友達だと思ってた。
過去形で言ってしまったことに
後悔したってもう遅い。
取り返しのつかないことに頭が混乱し、
思わずその部屋から飛び出した。
靴が引っ掛かり、踵は踏んだまま。
ただ隣の部屋に戻るだけなのに
転びそうになりながら
玄関に転がり込む。
杏「……なんで…!」
中学の時のことを経て
琥太郎くんと離れてから、
人と深く関わらないようにしようと思っていた。
のらりくらり、適当に。
優しくされないように、
深入りされないように。
自分のことを、できる限り話さないように。
深くのめり込まないように。
ひとつのことに、
1人の人に、つけ込まないように。
依存しないように。
心に誓って、服装から髪型、趣味、
何から何まで浅く広く触れた。
ハマりそうになったらやめる。
ずっとこれをしていたなと思ったらやめる。
ずっとこの人と話しているなと思ったら
別のグループの人と交流する。
のらりくらり。
海の上を漂うように、
うちはどこにでもいて
どこにでもいないように。
けれど、一叶の隣だけはどうしても
離れることができなかった。
自分の事情を話したわけでもない。
聞いて欲しかったわけでもない。
ただソファに寝転がって駄弁って、
一叶は勉強するからその邪魔をして。
時に本気で嫌がられて、
けれど大体は負けてテレビをつけながら
話に付き合ってくれて、笑って。
コンビニスイーツやご飯を買って
たまに一緒に食卓を囲んで。
それが家族みたいで心地よかったから、
離れなきゃ、離れなきゃと思っても
あなたのいる場所に足を運んでしまった。
甘えてしまった。
その甘えに付き合ってくれたあなたを
こんな形で突き飛ばすなんて、
なんて卑怯なんだろう。
杏「……っ…馬鹿…。」
明日から普通に話せるはず。
どうせ隣の部屋なのだから
いつか鉢合わせるに違いない。
その時に謝ろう。
その時…。
その時で、いいから。
°°°°°
セーターは欠かせなくなり、
人によっては朝の冷気に耐えきれず
マフラーを巻いてくる女子生徒もいた。
電車内でも暖房がつき、
外を歩いても肌はベタつかない。
休日にロングヘアのウィッグを被り、
可愛い服を身につけて
出かけるのも楽しい季節になった。
が。
杏「はぁぁ…。」
彼方「ため息でか。」
杏「そりゃあ…こんだけ天気がいい日が続けば…。」
彼方「関係ないでしょ。」
杏「ないけど……。」
彼方「構ってちゃんすぎ。」
杏「すんません。」
いつものように渡り廊下で
彼方と出会ったものだから、
時間の許す限り彼女の隣でだらけていた。
外は冬らしい晴れの日で、
空気は冷たいものの
夏よりもうっすらとした色の日差しが
ささやかに校舎を照り付けている。
もこもこのセーターを着た彼方は
相変わらずスマホを片手に
壁にもたれている。
彼方「謝るんだ。弱気。」
杏「メンタルブレイクっす。」
彼方「メンヘラ?何、人間関係?」
杏「違う…とは言えないかもだけど。」
彼方「病んでんね。」
杏「いいよもう…そういうことですよー…。」
彼方「本気でだるい絡み方すんのやめてくんない?」
杏「すんません。」
彼方「理由は?」
杏「まあちょっと。……その、一叶のこと。」
彼方「またそのこと?」
杏「またって。」
彼方「うちのとこ来るたびその話しかしてないの気づいてる?」
杏「……これに関しては他に共通の話できる人いないし。」
彼方「あれからどうなの。考え方的な話。やっぱ犯罪者のまま?」
急に飛び出してきた犯罪者というワードに
どうしてもひっぱられるも、
そう言えば先月そんな話をしたのだったと
不意に思い出される。
°°°°°
杏「友達…うーん……仲良くしたいけど…これまでのこと知った上で仲良くできるかって言われると…マジでわかんない。」
詩柚「犯罪者でも直近で犯罪をしていなければ市民なのか、それとも過去と今が一直線である以上その人はずっと犯罪者か。」
彼方「深くまでいくね。」
詩柚「そお?」
杏「彼方なんて「好きにすれば?」だけだよ!?適当すぎ。」
彼方「興味ないし。」
杏「もーつめたーい。でも詩柚のそのずっと犯罪者かどうかってやつ、考えるひとつの基準になりそう。ありがと。」
°°°°°
杏「……まだ答えでてないっす。」
彼方「1ヶ月くらい経ったのに?」
杏「そもそも会えてないし話してもないから…。」
彼方「言い訳多すぎ。結局会いもしないし話をしないように避けてんのはあんたじゃないの。」
杏「やーん耳が痛くなるようなこと言わないでー。」
彼方「おちゃらけてるけどさ、ガチな話そうでしょ。」
彼方の目が鋭くうちのことを見据える。
ライオンに睨まれた
草食動物のように肩を縮める。
杏「そんな怖い目しないでよー。」
彼方「何回も進展なしに来るから釘刺すけど、ぱっぱと決めて進めなきゃ何も変わんないよ。」
杏「厳しー。」
彼方「杏。」
杏「ん、なんすか。」
彼方「話くらいすれば。」
やけに声を落としてそう言った彼女の目は
またスマホの方へと戻っていった。
ここ数ヶ月、彼方の反応は
変化はないと言えばなさそうだが、
心なしか一層落ち着いて見える。
刺々しさは持っているも角が丸くなりつつあり、
見方を変えれば生気が
薄れていくようにも感じていた。
杏「……何かあった?」
彼方「今はあんたの話をしてるんだけど。話くらいしてこればって言ってんの。」
杏「……えー。」
彼方「聞いてもらえないのも話してくれないのも、場合によっては毒だから。」
彼方は壁から背を離し、
そろそろ授業が始まるからと
背を向けて去っていった。
彼女をぼんやり見送った後、
自分も急がなきゃと教室へ戻る。
その間も、最後の言葉が
頭の中をぐるぐると回っていた。
聞いてもらえないのも毒。
話してくれないのも毒。
けれど、逆も然り。
聞かれすぎるのも毒で、
話すぎるも毒じゃないか。
杏「…。」
着席すると同時にチャイムが鳴る。
先生はまだ来ず、
近くの人と話し出す生徒が多い中
ポケットにしまっていたスマホが震えた。
取り出してみると、
そこには津森一叶の名前と
メッセージが送られてきたという
通知が届いている。
杏「……!」
思わず画面をタップする。
そこには「会って話がしたい」という
言葉が綴られていた。
会って話を。
…。
一叶は一体何を思って
この文章を送信したのだろう。
何故このタイミングで。
もしかして、彼方とうちの話を
どこかで聞いていたとか。
そんな話があったって
おかしくない場所まで来ているのだ。
杏「……。」
断ろうかと思った。
誘い込まれているだけで、
もしかしたら首に手をかけられるかもしれない。
罠だったらどうする。
けれど、もしこの機会を逃したら
2度と会って話すことは
できなくなるかもしれない。
最後のチャンスだと言うことも
あり得る話だろう。
気づけばすぐにメッセージを返していた。
一叶は笑っているのだろうか。
それとも。
***
ずらりと無機質な扉の並ぶ通路の
1番奥へと進み、その手前で足が止まる。
自分の家の前だ。
ここで部屋に入って仕舞えば、
きっと彼女と話さなくて済む。
どこかでは話したくないと思っているのだ。
有耶無耶にしたままでいたい。
けれどこのままも嫌で、
わがままな心が葛藤を生む。
杏「…っ。」
それでも進んで、
勇気を振り絞ってインターホンを押す。
するとすぐに彼女は
玄関の扉を開いたのだ。
たった数ヶ月会っていなかっただけ。
見た目もその時のままのはずだ。
なのに、人ではないと知ってしまったからか
スカートから伸びる足がやけに
白く見えてしまう。
冬の空気の色を吸ってしまったようだった。
伸びていないクラゲヘアの髪がふわりと揺れた。
そして最後に会った日のように
うっすらと笑みを浮かべた。
杏「…!」
一叶「久しぶり。来てくれてありがとう。」
杏「……久しぶり。」
一叶「どうぞ。」
杏「…。」
一叶「入らないの?」
杏「……少し緊張してるだけ。」
一叶「そう。」
一叶はうちが入りやすいように
扉を開いてくれた。
部屋が寒くなることも
一叶にとっては無論関係ないのだろう。
一つ一つの行動が
人を模倣するのをやめたように見えて仕方ない。
そう見えるだけかもしれない。
これまでだって同じように
動いていたかもしれないのに、
今となっては思い出すこともできない。
部屋に入ると、何も変わっていない部屋が
視界いっぱいに広がった。
駄弁ったソファも共に囲んだ食卓も
全てあの日のままだった。
一叶「適当に座って。」
杏「話って何。」
一叶「いきなりだね。」
杏「それが気になってきただけだから。」
一叶「全く来てくれなくなったもんね。」
杏「…一叶だって朝迎えに来なくなった。」
一叶「今もそうだけど、杏は怖がってる。」
杏「…。」
一叶「私自身のことを怖がっている人の前に毎日向かうわけがない。」
杏「……それはうちのためなの?」
一叶「傷つくのが嫌なのはお互いさまだからね。」
一叶はもう1度
座るように促してくれたが、
これまで何気なく寝転がっていたソファすら
気軽に行けない場所となり
突っ立つ他なかった。
一叶は相反して落ち着くように
ソファに背を預けた。
一叶「けど、時間も経った。以前よりは冷静に話ができる頃になったから声をかけたんだ。」
杏「…話したいことって何。」
一叶「私としてはこれまでのように意味もない会話をしたいところだけど、わかった。それは叶わないね。」
杏「うちは……。」
うちだって、前みたいに話したい。
気負うことなく、気にすることなんて何もなく
今は無駄に見えても
のちに夜になってもそこだけくっきりと
灯の灯っているような時間を過ごしたい。
そう言いたいのに、言葉にならない。
友達でいたいならいればいいし、
怖いのなら離れればいい。
いつだって頭は理解していても
心が追いつかないのだ。
一叶「提案がある。数日だけでいい、毎日こうして顔を合わせて話すのはどうだろう。」
杏「…毎日。」
一叶「そう。これまでみたいに。」
杏「何が目的なの。」
一叶「杏と話したいだけだよ。」
杏「…本当にそう思って言ってないでしょ。」
一叶「疑われるのは分かっていても、いざ言われると寂しいものだよね。」
毎度のことながら、と
目を伏せ、瞬きをしては
またこちらをじっと見つめる。
彼方とは違った視線の鋭さだった。
優しい目つきのはずなのに
目の奥が笑っていない。
けれど、怒っているわけでもない。
杏「…。」
一叶「これまで通りがいい。それだけのことじゃないか。」
杏「…一叶は、これまで通りがいいの?」
一叶「杏は違うの?」
杏「……。」
一叶「気持ちは同じなのに。蟠りがあるだけなら、溝を埋めるよう努力したい。」
杏「気持ちって…適当なこと言わないで。」
一叶「なら、思考プロセスは似たものなのに。」
杏「…。」
お互い、友達でいたいならいればいい。
きっと一叶はそう言うことがいいたい。
けれど、それだけの話じゃない。
相手が一叶であっても、
蒼であっても誰であっても関係なく、
ただ、相手が人を殺め、
人間でないことが問題なのだ。
だからと言って、本当に相手が蒼だったら。
もし人間でなかったとしても
それはそうだと受け入れていたかもしれない。
その上で、これまで通り
過ごしていた可能性だってある。
一叶が一叶であるからこそ、
きっちりしているところもあれば
抜けていて、淡白でも僅か
生活感のある部屋で過ごす、
人間らしさのあるあなただからこそ
壊れた今の関係以上に
距離を生みたくない。
そしたら、離れてしまうだけ。
それは…それは、嫌だ。
性懲りも無くどっちも欲しがるのだ。
一叶「嫌なら断って。嫌でも、受け入れていいと少しでも思えたのなら、承諾してほしい。」
杏「受け入れたとして…何か嫌なことされるとかは。」
一叶「全て私の言う通りにしてくれるなら、杏は傷つかない。」
杏「傷つけない、じゃなくて…?」
一叶「私が同行できる範疇にない話のことだから。」
杏「…?」
一叶「まとめると、数日間会って話す。その時は、私の言うことを全て聞く。そんなに数は多くないから、条件を呑んでほしい。」
杏「条件の話…もし、嫌だって言ったら…?」
一叶「杏が傷ついてしまう。それは困る。けれど、杏が嫌なら嫌でその通りにしなくてもいい。」
杏「無責任な。」
一叶「杏の選んだことなら、否定できないよ。」
それは、一叶が人間じゃないから?
口から出かけて、
言葉が漏れないよう唇を噛み締めた。
一叶の考えていることはわからない。
言うことを聞くのが
正しいかどうかもわからない。
そのせいで他の誰かに
迷惑がかかるかもしれない。
かと言って自分が傷つくことも嫌だ。
一叶「今決めなくてもいいよ。でも、もし話してもいいかもと思うのなら、明日もここに来てほしい。」
杏「……。」
一叶「全部、杏に任せる。」
杏「それはうちだから?それとも、人間だから?」
一叶「どちらでもいいよ。」
杏「良くない。」
一叶「……杏は悩み続けることができる人間だから。」
ゆっくり目を閉じる一叶は
まるで鞄の中に眠るスマホの画面が
暗くなる時の消えゆく光のようだった。
全てを委ねる姿勢が、
信頼されているようにも
投げ出されているようにも見える。
決めるのはあくまでうち。
杏「…。」
その決断はきっと今晩でできるものではなく、
明日になっても、1度決めたとしても、
昼を過ぎても、
もしまた一叶の家の前に立ったとしても
迷い続けてしまう。
優柔不断で、全てを選び取りたいのは
愚かで無茶なだけで
短所でしかないのに、
一叶からすると羨ましいものなのかもしれない。
一叶の言葉の真意が知りたい。
そんなことは一生かけても
できないかもしれないのに、
再び目が合った時、
淡く期待をしてしまった。
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