第8話

2度のデート演習が一番ためになったのは、もしかしたら俺自身かもしれない。なんだか、この仕事に少し慣れてきたな、という気がしてきた。もちろん、俺自身は何も変わっていないけど、世の中の仕事って、意外とやってみると案外できちゃうものなんだな、と妙な自信が湧いてきた。


翌週も、デート演習が行われることになった。今回は麻耶の提案を受けて、恋愛感情とロケーションの関係を探ることに。複数の学生を車に乗せ、目的地は海。ちょっとした遠出を楽しむ予定だったが、道中、俺の運転に対して、早速麻耶から辛口のコメントが飛んでくる。


「う…ちょっと酔いそう…。先生、運転少し荒くないですか?カーブでハンドル切るとき、もう少しスムーズにできません?」助手席の麻耶が、苦笑いを浮かべながら細かい指摘を入れてくる。


他の学生たちは後部座席でクスクスと笑いながら、彼女のツッコミを楽しんでいる様子だ。麻耶が指摘するたびに、俺は顔を引きつらせつつ、「あ、いや、ちょっと荒かったかな。ゴメン、ゴメン…」と弁解する。すると麻耶は、冗談っぽく「そういうとこですよ」と言いながら、ふっと笑顔を見せた。


「それじゃあデートの雰囲気台無しですよ?」と、さらに追い打ちをかけられ、俺は思わず「もう少し優しく言ってくれよ…」と心の中で呟くしかなかった。


海までの道のりがいつもより長く感じるのは、麻耶の軽快なツッコミが原因なのか、それとも彼女と一緒にいることで感じる不思議な緊張感からなのか、自分でもよくわからない。


こんな状況で、果たしてロケーションが恋愛感情にどんな影響を与えるのか、ちゃんと検証できるのだろうか…。期待と少しの不安を抱えながら、車は目的地の海へと向かっている。


「よし、着いたぞ。」近くの海は有名な観光地で、少しベタではあるものの、誰もが心を洗われるような自然の美しさを誇っている。


海に到着すると、車を降りた俺たちはしばらく波の音に耳を傾けながら、砂浜を歩き始めた。柔らかな砂の感触と潮風が心地よく、学生たちも自然とリラックスした表情を浮かべる。


「ねえ先生、せっかくの海デートなんだから、何か楽しいことしましょうよ!」

学生Aがそう言って、持参したフリスビーを取り出した。まあデートとしては、こういうのもアリなのかもしれないな。


「よし、せっかく持ってきてくれたんだし、投げてみようか。」俺が言うと、麻耶と他の学生2人も同意した。


「え、先生フリスビーやったことあるんですか?」麻耶がいたずらっぽく笑いながら聞くので、俺は「やったことないけど、フリスビーくらい、何とかなるだろ。」と答えた。


しかし、フリスビーサークルに所属している学生Aが、俺に向かってフリスビーを投げると、その勢いは凄まじく、俺の手元でグンと浮き上がり、結局取れずにガツンとおでこに直撃した。


「大丈夫ですか?」心配する学生Aをよそに、麻耶と学生Bは大笑いしている。


俺は軽く頭を押さえながら、フリスビーが飛んできた方向を見つめ、苦笑いして言った。


「う、思った以上に速かったな……。」


学生Aはバツが悪そうに「すみません、つい勢いが……」と謝るが、俺はすぐに手を振って言った。


「いや、大丈夫だよ。でも、次は少し手加減してくれよな、経験者さん。」


麻耶が笑いながら近づいてきて、「先生、スポーツ苦手なんですか?」と、また挑発的に言ってきたので、俺は苦し紛れに答える。


「いや、その、俺文系だしな。」


麻耶は軽くため息をついて、「どういう言い訳ですか?世の文系の方々に謝ってください。」とからかう。


「あ、はい。すみませんでした。」俺が観念して謝ると、3人はさらに笑った。


その後、みんなで交代しながらフリスビーを投げ合い、砂浜での遊びがますます楽しくなってきた。波の音と、みんなの笑い声が心地よい風に乗って広がっていく。


「こんな風に、ただ遊ぶだけでもリラックスできるんだな。」ふとそんなことを感じる瞬間だった。


そして俺たちは新たなアクティビティを求めて、また歩き出した。


麻耶は少し先を歩きながら、振り返りもせずに俺に話しかけてきた。「こういうところでデートするのって、やっぱり雰囲気が大事ですよね。せっかくのロケーションなんだから、何かロマンチックな演出を考えてくださいよ。」


「ロマンチックな演出、ね…」俺は一瞬言葉に詰まりながらも、「例えば、どんなことがいいんだ?」と返してみた。


麻耶は、「えー?それを考えるのが先生の仕事じゃないんですかー?」と、人懐っこい声で、ちょっと意地悪な笑みを浮かべる。後部座席で彼女の指摘を楽しんでいた学生たちも、同意するようにクスクスと笑う。


確かに、この海辺の雰囲気はデートにはぴったりだ。けれど、俺がこういうロマンチックな状況をどう扱えばいいのか、正直なところ、まだよくわからない。それでも、学生たちに良い経験をさせるためにも、なんとか工夫しないと…。


「じゃあ、みんなで海辺を散策しながら、どんな場所が一番デートに適しているか考えてみようか?」と、俺が軽く提案すると、学生たちは元気よく「そうしましょう!」と応じてくれた。


麻耶も頷いて、「それじゃあ、先生。リードお願いしますね?」と、俺を見つめる。その視線に圧倒されながらも、俺は少しでも教師らしいところを見せようと、前を歩き始めた。


このロケーションが恋愛感情にどんな影響を与えるのか、俺も少しずつ興味が湧いてきたのかもしれない。


俺が先導し、みんなで砂浜を歩き始めた。潮の香りが風に乗り、耳には寄せては返す波音が心地よく響いている。天気も快晴で、穏やかな波がキラキラと陽光を反射し、美しい光景が広がっていた。


「こういう景色、やっぱりロマンチックですよね?」と、麻耶が感慨深げに呟く。思わず彼女の横顔に目をやると、いつもより少し、うっとりとした表情をしているように見えた。


「うん、そうだな。確かに、この景色を見ていると、ちょっと心が落ち着くよな。」俺は少し照れくさそうに答えた。


学生たちはそれぞれ思い思いに海辺を歩き、砂に足を埋めたり、波打ち際で遊んだりしている。その中で、俺と麻耶は少し遅れて二人で歩き続けた。


「先生、正直に言って、こういう場所でのデートってどう思いますか?」麻耶がリラックスした調子で尋ねてきた。


「え? どうって…」俺は不意を突かれて戸惑ったが、「うーん、確かにロケーションは大事だと思うよ。でも、それだけじゃなくて、一緒にいる相手との雰囲気が一番大切なんじゃないかな…」と、ぎこちなく答えた。


麻耶は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく微笑んで言った。「ふーん、例えばどんな雰囲気だといいんですか?」


「それは、その………ね、いい雰囲気、だよ…」俺が困りながら言葉を繋げると、麻耶は突然、ツボに入ったように笑い出した。その笑顔があまりにも楽しそうで、つい見とれてしまう。意図せず笑われただけなのに、何故か得意気な気分になった。こんなんでいいのか、俺?


その後、俺たちは小さな岬の方へと歩みを進めた。岬の先端には、白い灯台がポツンと立っており、そこから見える景色はまた一段と壮大だった。俺たちは灯台の近くに腰を下ろし、しばらくの間、海を眺めながらのんびりと過ごした。


学生たちは、浜辺で見つけた小さな貝殻を見せ合ったり、カニを追いかけたりと、それぞれ楽しそうにしている。その光景を眺めながら、俺は一息ついて、麻耶に声をかけた。


「ここでデートするなら、どんなプランがいいと思う?」と尋ねると、麻耶は少し考えてから答えた。


「そうですね…まず、ゆっくりと海辺を散歩して、その後に近くのカフェで一息ついてみるのはどうでしょう?それから、夕方には灯台の近くで夕日を眺めるのがロマンチックかもしれません。」


「なるほど、それは確かにいいな。」俺は素直に頷いた。想像してみると、夕日が海に沈む光景を、特別な相手と一緒に眺めるのは、確かに心に残る瞬間になるだろう。


麻耶は何かを思いついたように、俺にいたずらっぽく視線を向けてきた。「先生、せっかくの演習なんですから、私たちもそのプランを実際に試してみませんか?」


「え? 本気で言ってるの?」俺は少し驚きながらも、思わず問い返す。


「もちろんです。実際に体験することが一番効果的だと思いますから!」麻耶は可憐な笑顔を浮かべながら、楽しげに言った。


俺は戸惑いながらも、学生たちに「今から少し時間を取って、自由に過ごしてもらいます。デートに合う最高のロケーションを探してみてください。後で集合しましょう。」と伝えた。学生たちは嬉しそうにそれぞれの時間を楽しむために散っていった。


そして、俺と麻耶はしばらくの間、二人きりで海辺を歩き始める。潮風が心地よく、言葉は少なかったが、静かで穏やかな時間が流れている。俺は麻耶の提案に乗ってしまったことで少し緊張しつつも、それ以上に彼女とのこの時間が思ったより悪くなく、妙に照れてしまっている自分がいることに気づいた。


時間が過ぎ、夕日がゆっくりと水平線に沈んでいく。俺たちは灯台の近くで足を止め、その光景を一緒に見つめていた。


柔らかな夕日が麻耶の顔を照らし、彼女の整った顔立ちが一層引き立つ。すっと通った鼻筋とバランスの取れた唇は、どこか優雅で、彼女の印象をより深く印象づけている。切れ長の目は涼しげでありながら、柔らかさも感じさせ、その瞳は夕日の輝きに反射してキラキラと輝いていた。滑らかな肌はオレンジ色の光に包まれ、微風に揺れる長い髪がその美しさを一層引き立てている。彼女の横顔は、まるで目の前の風景と一体になったように美しく、思わず見惚れてしまうほどだった。


「綺麗ですね…」と、麻耶が呟く。


「うん、そうだな。」俺は短く返しながら、その瞬間が何か特別なものに思えてならなかった。


これが恋愛感情にどう影響するかはわからないが、少なくとも、俺の心に温かい何かが広がったのは確かだった。


そんな俺の視線に気づいたのか、麻耶がふとこちらを振り返り、柔らかい笑みを浮かべる。「先生って、三拍子揃ってますよね…」


「三拍子?」不意に言われた言葉に、俺はきょとんとした表情で彼女を見返す。


「そう、ちょっと頼りないところと、どこか優しいところ、そして――」麻耶はわずかに口角を上げ、少しだけいたずらっぽく視線を逸らした。「抜けてて可愛らしいとこ、ですかね?」


その言葉に、俺は思わず苦笑いを浮かべる。「そんな三拍子かぁ…」そう返した俺に、麻耶がすかさず返す。


「はい、その三拍子は完璧ですよ。じゃあ、先生は私のこと、どう思います?」


「麻耶はそれこそ三拍子揃ってるよな。強さ、楽しさ、美しさ、そのどれもが引けを取らない。」お世辞でも何でもなく、素直な気持ちが口をついて出た。


「またまたー、そんなに言っても何も出ませんよ。」


そう言いながら、少し照れくさそうに笑ってこちらを見つめる麻耶。夕日に照らされたその瞳の輝きが、なぜだか胸に沁みるほど愛おしく感じられたのは、このロケーションのせいなのか、それとも…。


集合時間が近づき、学生たちが再び集まってきた。今日のデート演習で最も「良かった」とされるロケーションは、麻耶が提案した、海に沈む夕日を見下ろせる灯台だった。選ばれなかった他のグループの学生たちからも「あそこに行きたかったなあ」と、少し羨ましげに話す声が聞こえてきた。


このデート演習は、学生たちのためのものだ。それでも、あの夕日の時間は、何より俺にとって特別だった。学生たちが楽しそうにしているのを見て、自然とリラックスできたし、麻耶との時間も、今では以前よりずっと楽しく感じられるようになっている。そして学生たちの反応を観察すべき立場なのに、気づけば、麻耶とのやり取りにばかり意識が引っ張られていた。

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