恋愛カウンセラーの苦悩

せろり

第1話

「え? 俺が恋愛講座ですか……?」


聞き返しながら、思わず自分の耳を疑った。いや、そんなことがあるわけないだろう? だけど、この状況はどう見ても現実だ。


俺の名前は田中弘樹。32歳、フリーの心理カウンセラーをしている。

見た目は、まぁ、イケメンとよく言われる。けれど、その見た目が役に立った試しはない。なぜなら、俺には恋愛経験がゼロだからだ。そう、三十路を超えても、恋の「あ」の字すら知らない。そんな俺が、女子大で「恋愛カウンセラー」をする羽目になるなんて、世の中どうかしてる。


そもそもこんな話になったのは、ある女子大の教授をやっている、大学時代の先輩が持ち込んできた依頼のせいだ。

「田中、お前心理学やってただろ? 今、恋愛についての特別講座を頼めるやつ探してるんだけどさ、ちょっと来てくれない?」


冗談だと思った。いや、そうであってほしかった。だって、女子大だぞ? しかも、恋愛カウンセラーだぞ? どう考えても俺のフィールドじゃない。それでも、断れなかったのは先輩がとんでもなく押しが強い人だったからだ。


「なーに、恋愛の話だからって基本は一緒だろ。心理学的な視点で語れば十分説得力があるって!」

……その言葉、俺を丸め込むためにだけ存在してる気がするんだけど。


そして今、俺は女子大の講義室の前に立っている。手には不安げに揺れる資料の束。

深呼吸を一つ。落ち着け、俺。これはただの仕事だ。ただし、これまでで一番プレッシャーのかかる仕事だ。


ドアを開けた瞬間、講義室いっぱいの視線が俺に集中した。うわ、女子しかいない。想像してたけど、これ……想像以上にやばいぞ。


「えーと、こんにちは、皆さん。今日から非常勤講師を務めることになりました田中弘樹です……よろしくお願いします。」

自分の声が微妙に震えていたのがわかった。でも、もう逃げられない。


「それでは早速、授業を始めましょうか。何か質問があれば、いつでもどうぞ。」


早速一人の女子大生が手を挙げた。

「先生、最初のデートってどんな場所がいいと思いますか?」


唐突だ。唐突過ぎて周りの学生もニヤニヤ笑っている。あまりに直球すぎて、頭が真っ白になる。俺は慌てて口を開いた。

「えーっと……場所よりも、リラックスできる環境が大事かな。例えば……静かなカフェとか、公園の散歩とか……」


無難だ。いや、無難すぎるかもしれない。でも、他にどう答えればいい? 経験がない俺にはこれが限界だ。


続けざまに、別の質問が飛んできた。

「先生、デートで何を話すのがいいと思いますか?」


こいつら、俺を試してるのか? わざとだろう、絶対。

「えーっと、相手の趣味や興味について話すといいと思うな。共通の話題があれば、それを深めていくといいし……」


自分で言いながら、どこかしっくりこない。でも、生徒たちは意外に熱心にメモを取っている。……いやいや、それ本当に信じていいのか?


そして、さらなる直球が飛んできた。

「先生は、これまでのデートで一番印象に残った出来事は何ですか?」


終わった。これ、完全に詰んでる質問じゃないか。焦りを悟られないようにしつつ、俺はなんとか言葉をひねり出した。

「えーっと……それはさておき、皆さんに伝えたいのは――どんな経験も学びになるってことだよ。失敗したとしても、そこから学べることはたくさんあるんだ。」


すると、一人の女子がニヤリと笑いながら言った。

「先生、恋愛経験ないでしょ?」


心臓がギュッと締め付けられる感覚。……いや、嘘はついてない、ついてないぞ。…でも嘘も方便って言うか…。

「いやいや、さすがにそれはあるよ。経験がなかったら、こんな仕事できないだろう?」


生徒たちの視線が少し変わる。驚いている子もいれば、怪訝そうに見ている子もいる。ここが正念場だ。

「ただ、恋愛経験があるからといって、それだけで全てがうまくいくわけじゃないんだよね。だから、僕は心理学の観点から、みんなの疑問に答えられるように頑張りたいと思ってる。」


そう言った瞬間、生徒たちがまたメモを取り始めた。……これ、意外といけるんじゃないか?


授業が終わり、生徒たちが帰った後、俺は講義室の片隅で大きくため息をついた。

「……次回、どうしよう。」


けれど、どこかで少しだけ思った。案外、この仕事、続けられるかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る