地平線の向こう側

三分堂 旅人(さんぶんどう たびと)

地平線の向こう側

天文学者の嶋村は、数々の宇宙研究に携わり、地球が球体であることを疑う余地など微塵もないと信じていた。日々、人工衛星からのデータを解析し、地球の美しい曲線を目にしてきたのだから。それがある日、一通の手紙によって崩れることになった。

手紙は、名も知らぬ田舎町の住人からだった。

「地平線の向こう側で、星が落ちる瞬間を見ました。それが何を意味するのか、科学者のあなたならわかるでしょう。」

嶋村は最初こそ無視するつもりだったが、「星が落ちる」という表現がどうにも気になった。星が落ちるはずがない。気象現象か、それとも単なる錯覚か。好奇心に突き動かされ、手紙の主を訪ねてみることにした。

手紙を送ったのは、平田という若い農夫だった。彼は、町外れの丘で「星が地平線の向こうに滑り落ちていく」のを目撃したと言う。嶋村はその場所に連れて行かれた。星の軌道の計算を何度も頭の中で繰り返し、これは単なる気のせいだろうと結論づけた。

だが、夜が訪れたとき、それは起きた。

低い位置に輝く星が、地平線の端を超えた瞬間、ゆっくりと水平に滑るように移動し、ついには視界から消えたのだ。嶋村は言葉を失った。自分の目を信じるべきか、それとも錯覚と片づけるべきか。

「見たでしょう?」平田が興奮して囁いた。「地球が平らだから、星が滑り落ちるんです。」

嶋村は反射的に否定した。「馬鹿な。こんなのは科学的にありえない。」

だがその夜、嶋村の頭から「星が滑る」という現象が離れなくなった。

研究所に戻った嶋村は、これまでの地球物理学のデータを見直し始めた。衛星写真、航空機の飛行記録、地球の曲率を示す観測データ――すべてが「地球が丸い」という一貫した結論を支持していた。だが、どうしても「星が落ちる」という現象を説明できない。

翌週、嶋村は再び平田を訪ねた。「地球が平らだと言うなら、その証拠を見せてくれ。」

平田は、インターネットで知り合った「同士たち」と共に「フラットアースの端」へ向かう計画を練っていた。彼らは嶋村を説得し、共に旅に出ることを提案した。

旅は過酷だった。荒れた海、灼熱の砂漠、そして氷の世界を越え、ついに彼らは「端」にたどり着いた。そこには巨大な氷の壁がそびえ立っていた。平田たちは歓声を上げた。「これが南極の氷の壁だ! 地球の端に違いない!」

だが嶋村は納得できなかった。「氷の壁が地球の端だとどうやって証明するんだ?」

彼はさらに調査を続けた。氷の壁の裏側に続く裂け目を見つけたとき、嶋村は恐怖と興奮を同時に感じた。その先には、見たこともない風景が広がっていた。

裂け目を抜けると、そこは完全な闇だった。そして嶋村たちは、宙に浮く無数の小さな光を目撃した。それは、まるで人工的な装置が動作しているかのようだった。平田のひとりが叫んだ。「これは星じゃない! 機械だ!」

嶋村も息を呑んだ。目の前に広がる光は、地球を覆う「巨大な投影装置」そのものだった。天体観測も、気象現象も、すべてはこの装置が作り出している。

「地球は……本当に平らだったのか?」嶋村は震える声で呟いた。

そして彼は悟った。これまでの科学は、この装置の存在を前提としていた。地球の丸さを「作り出している」装置の上で、彼らは生きていたのだ。

嶋村は結論を出した。「私たちは真実を知ってはいけなかったのかもしれない。」そう呟きながら、彼はこの発見をどう扱うべきか逡巡した。

だがその時、裂け目から響き渡る警告音が彼らを現実に引き戻した。

「見つかったようだな。」嶋村は背後を振り返った。そこには、黒い制服を着た人々が静かに立っていた。

嶋村と平田たちの記憶は消され、彼らは元の場所に戻された。星が滑り落ちる光景も、巨大装置も、すべて夢のように思えた。

だがその夜、嶋村はふと窓の外を見上げた。かつて見た「星が落ちる光景」が、再び地平線の向こうへと消えていく。

「真実は隠されるものだ」と、嶋村は苦笑した。

それでも、彼は二度とその話を誰にも語ることはなかった。

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地平線の向こう側 三分堂 旅人(さんぶんどう たびと) @Sanbundou

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