貧乏大学生の恋事情は④浮気じゃないけど抱く

綿串天兵

好きでもないが人数合わせ

 今日は休みだが、俺はちょっと早起きしてキッチンに立ち、二人分の味噌汁を作っている。魚焼きグリルからは、パチパシと塩サバが焼けてきた音が聞こえてくる。


 俺は焼き上がった塩サバと、味噌汁、ご飯をダイニングテーブルに運び始めた。


――ガチャッ


 リビングの窓側のドアが開いた。朝七時だが、空はようやく明るくなったところで、まだ赤みを帯びている。


「高塚さん、おはようございます」

「おう、清水きよみず、おはよう。お、今日の朝飯もうまそうだな」


 何となく気まずい。理由は簡単で、春日かすがは成人式で昨日から実家へ帰省、高塚さんと二人きりだから。会話しないのも変だし、かといって、これと言ったネタは無い。


「今日は、高野豆腐の味噌汁です」

「高野豆腐?」

「はい、これがなかなか美味しいんですよ」

「じゃ、食うか。俺も今日は休みだからな、ま、のんびり話でもしようぜ」


「「いただきます」」


 俺たちは椅子に座ると、手を合わせて、ついでに声も合わせた。


清水きよみず、お前、女性経験は何人あるんだ?」

「え、あの……そういうのは、高塚さんからお願いします」

「俺は二人だ。今、付き合っている彼女が二人目。さあ、俺は言ったぞ?」


 高塚さんは、わざと語尾を上げて言葉を誘ってきた。


「三人です」

「そうか。ということは、春日かすがに聞いた話から察するに、大学入学前に彼女がいたってことか?」

「厳密にはちょっと違う感じですが……」


 俺は今、じっと見つめられている。男性に見つめられてもあまりうれしくない。よく見ると、春日かすがと少し似ている気がする。男性にしては長いまつげ、茶色い瞳。


「おいおい、そんな顔するなよ。まあ、色々あるんだな」

「え、ええ、まあ」


 今、どんな顔をしていたんだろう?


「あの、俺は無いですが、男性経験はありますか?」

「はっはっはっはっは、面白いことを訊くな。無い。何でまたそんな質問を?」


 何でこんな質問をしたんだろう、何かきっかけがあったような……そうだ。


「実は、春日かすがと付き合い始める前に、春日かすがが、『彼氏とか彼女とか、いたこと無い』って言っていましたので」


 高塚さんは、ちょうど全部、朝食を食べ終え、手を合わせていた。礼儀正しい人だと思う。でも、大会でわざと殴ったせいか、やっぱり二人っきりは苦手意識がある。


 腕を組んで何かを思い出そうとしているようだ。


「なるほど……春日かすがは喋り方が独特だろ。あれは、高校へ入学した時に、『もっと強い自分』みたいなキャラにあこがれて、口調を変えたんだ。まあ、ちょっと遅い厨二病みたいなもんだ」

「厨二病……ですか」


「それでいて美人、そうしたら、男子だけじゃなく、女子にもモテるようになってな。ちょくちょく男女両方から告られていたらしいぞ」


 俺は思わずうなずいてしまった。あの美貌で男っぽい口調、俺が女子なら絶対に惚れる。いや、今は男性という立場で好きなわけだが。


「ありがとうございます。じゃあ、食器を片付けますので」

「おう、頼む」


 今日は高塚さん、出かけないんだろうか? 


 昨日はバイトのために祖母ばあちゃんちに戻っていたが、今日、明日はどうしよう?


――ピコピコ、ピコピコ


 スマホが鳴った。菜可乃なかのからだ。どうしたんだろう?


「珍しいな。どうした?……あ、そう、そうか。わかった。行くよ」

「女か?」


 リビングでテレビを観ていた高塚さんが顔を上げた。


「はい、元カノです。『菜可乃なかの』と言ったらわかりますか?」

「ああ、春日かすがのお気に入りだ。二人で出かけるのか?」

「ええ。夕食を誘われました。でも、空手道部の部長とマネージャーも一緒とのことです」


「そうか。あいつ、あ、部長の方な、少し性格が悪いから気をつけた方がいいぞ」

「確かに、ちょっと難ありな気はします」


 高塚さん、空手道部の部長と会ったことがあるのか?


「実はな、あの大学には空手道部と武道部があって、春日かすがが入学した時について行ったんだ。これでも妹バカな兄だからな」

「そうでしたか」


「で、まあ、春日かすがはこれからも空手に取り組みたいということで空手道部を選んだんだが、その時、一戦交えたのさ」

「でも、当時の部長は違ったんですよね?」

「ああ。しかしあいつ、血の気が多くて、俺に挑戦してきたんだよ」

「なるほど……」


 高塚さんは、再び俺をじっと見た。


清水きよみず、俺はまだ空手を続けているが、お前はやらないのか?」

「とりあえず、学生の間はやめておこうかと思っています」

「そうか、そりゃちょっともったいないが……」


「まあ、色々と……です」


 何気に事情を察してくれようとしてくれているのは、さすが、大人の対応だと思う。


「で、また、なんで清水きよみずなんだ?」

「どうやら部長はマネージャーのことがお気に入りらしくて、人数合わせっぽいです」

「なるほど」

「じゃあ、部屋に戻ります」

「おう」


 あ、そうだ。


「高塚さんはこれからどうされますか? 夕食が必要なら、作っておきますが」

「大丈夫、今日は昼飯前に出かけるから」


 会ったことはないが、高塚さんには彼女がいる。二人でどこかに出かけるのかもしれない。


 後は、洗濯物を干して……今日は男物ばかりだ。俺はトランクス派、高塚さんはボクサーパンツ派。

 いつも思うのだが、トランクスの方がボクシングの時にはいているパンツに似ている気がするのに、なぜ、ボクサーパンツの方に「ボクサー」という名前が冠されたんだろう?



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 夕方、服を着替えて外に出ると、北西の風がちょっと強いというか、既に「強い」という表現を超えて、痛みすら感じる。

 これから行くファストというカフェレストランへ向かう道は、幸い、風が横から当たることになる。


 ということで、飛ばされないように気をつけながら自転車を走らせた。 


 ちょっと狭い道を抜け、ファストの近くまで来ると、このあたりは比較的新しい道のようで、二車線でも広めの道、自転車でも走りやすい。


 ファストの駐輪場に到着して菜可乃なかのに電話をすると、既に店内にいるとのこと、俺は自転車に鍵をかけ、さらにチェーンロックを付けて店内に入った。


二海ふたみ、こっちだよ」


 菜可乃なかのがボックス席から手を振った。相変わらず菜可乃なかのは目元の見えない髪型をしている。大学でも同じ講義を受けているので、今でもよく喋っている。


「おお、清水きよみず、今日は俺のおごりだ、好きな料理を頼んでいいぞ。もちろん、ドリンクバーも」

「ありがとうございます。でも、割り勘で大丈夫です」

「まあまあ」


 部長は店員を呼ぶと、ドリンクバーとフライドポテトを追加した。窓側にマネージャー、その隣に部長が座っていたので、俺は菜可乃なかのの横に座った。


清水きよみず、何でもオーダーしていいぞ」

「じゃあ、チキンで」

「かしこまりました」


 何か不自然だ……なぜ、マネージャーは部長の横に座っているんだろう? もし、まだ恋仲じゃなければ、菜可乃なかのの方に座っているはず。

 いや、勘ぐり過ぎか。俺が来るから菜可乃なかのの横を空けておいたのかもしれない。


「体験入部の時は申し訳なかった。後で、春日かすがに話を聞いたぞ。腕が腫れていたそうじゃないか」

「いえ」


 狙ったくせに。


「そう警戒するな。遅くなってしまったが、今日はその詫びだ」

「はい、ありがとうございます」


 そんなこんなで、空手道部の話、それにほとんど興味の無い芸能人の話、俺にとっては終始、どうでもいい話を聞かされる羽目になった。

 食べ終わってからもドリンクバーで珈琲を飲みながら、約三時間。


 部長の話は正直うざい。空手に関しては、大学での武勇伝ばかりだ。


「じゃあ、俺はマネージャーを先に送るから。支払いは済ませておくからな、今日は付き合ってくれてありがとう」


 部長は、テーブルに置かれた伝票を手にすると、マネージャーと一緒に立ち上がった。


菜可乃なかのは、もうちょっと清水きよみずと話していけよ。車で送っていく方向が反対だから、あとでまたここに寄る。たまには二人で話をするのもいいだろう?」

「いえ、いつも大学で話をしていますから」

「部長、気が利きますね」

「主将と呼んでくれ」


 そう言うと、二人でレジに向かっていった。


二海ふたみ、気が利かないんだから」

「どうしてだ?」

「二人っきりの時間も作ってあげないと」

「なるほど」


 夜、帰宅してから春日かすがに電話をしてみたが、春日かすがは出なかった。

 もしかしたら、もう、寝ているのかもしれない。成人式は着物で行くから五時起きと言っていたから。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 翌日、最終の新幹線で帰ってくることになっていたので、高塚さんの運転で一緒に駅まで迎えにいった。高塚さんのスマホに連絡があったみたいだ。


 改札の前で待っていると、春日かすがが荷物やお土産を抱えてやってきた。


 ん? 帰省に合わせて髪の毛の色、変えたのかな。茶髪になっている。


 一緒に暮らしているせいか、ちょっと久しぶり感がある。でも、春日かすがの表情は硬い。明らかに俺を睨んでいる。何かあったのか?


二海ふたみ、どういうことだ?」

「あ、あの、何のことですか?」

「部長が送ってくれた写真、菜可乃なかのとこんな近づいて。いくら私でも怒るぞ」

「あの、菜可乃なかの、部長、それにマネージャーと出かけることはメールしましたよね……」


「そう、ちゃんとメールをしてくれた。でも、二人っきり、しかも超接近だ」

「部長とマネージャーは先に帰ったので……」

「これじゃ、どう見ても恋人同士だ。いくら、まだ皆には隠しているとはいえ、二海ふたみ菜可乃なかのと別れたんだぞ。本当に別れたんだな?」


 すごい剣幕だ、顔が赤い。改札前は建物の中とはいえ、寒い。でも、寒さで頬が赤らんでいるのとは違う。耳まで真っ赤だ。


 どうしよう……。


春日かすが、その写真、ちょっと俺に見せてくれ」


 春日かすがは、荷物を全部、俺に持たせると、スマホをポケットから取り出し、ロックを解除して写真を探し始めた。


「兄さん、これ。場合によっては二海ふたみを引っ叩く」


 高塚さん、どうしたんだろう? 何か、「ふーん、なるほど」と言いたげな表情だ。


「これ、超望遠レンズを付けたカメラで撮影しているな」

「どういうことですか?」

「ちょっと待ちな」


 高塚さんは、自分のスマホをいじり始めた。動画サイトで何かを探しているようだ。そして、俺たちにカーレースの動画を見せた。

 サーキットのストレートをレーシングカーが走ってきて、目の前のカーブを曲がっていく動画だ。


「ほら、この動画、よく観てみな。このシーン、先行している車と後ろの車、すごく近く見えるだろう?」

「本当だ。兄さん、何が言いたい?」

「これ、カーブを曲がるところまで見ればわかるが、実際には五十メートル以上離れている」


「どういうことですか?」


「コースのすぐ傍では撮影できないから、そうだな、昔のカメラで言うところの、六百ミリとか千ミリと言った、すごい拡大できる望遠レンズを使って撮影している」

「そうすると、こんなに近くにいるように見えるのか?」


 ふむふむとうなずく春日かすが


「あの、どうしてさっきの写真で気が付いたんですか?」

「それはな、清水きよみずの座っていた席のもっと奥が、妙に大きく見えたからだ。『画角』と言ってだな……そうだな、ちょっと待て。逆のことなら簡単にできる」


 動画を止めると、高塚さんは春日かすがに両手を顔の前で伸ばすように指示をした。


――カシャッ


「これを見てくれ。ほら、手が大きく写って、その分、顔が小さく見えるだろう? これが『画角』というやつだ」


 春日かすがの表情が、急に笑顔に変わった。顔の筋肉が緩んでいるのに、口角が上がり、白くて綺麗な歯が見える。


「すごい、小顔に見える」


 春日かすがは元々、小顔、これ以上、小顔だと怖いかも。


「つまり、この逆、長望遠レンズで撮影すると、より接近しているように写るんだ」

「なるほど。それで菜可乃なかのとべったりくっついているように写っていたと」


 一気に春日かすがの表情が笑顔に変わった。よかった。高塚さん、ありがとうございます。


二海ふたみ、今から、一緒に、その、なんだ、駅地下に行こう」


 春日かすがは降ろした両手をお腹の前あたりで握り締め、なんだかモジモジしている。ポニーテールがユラユラと揺れているのが、前から見ていてもわかる。


春日かすが、駅地下って何かありましたか?」

「その、女子高校生たちや、カップルが一緒に写真を撮る、あれだ」


 なぜか、春日かすがは恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「もしかして、プリなんとかってやつですか?」

「そうだ」

「いくらでも行きますよ。今から一緒に行きましょう」

「実は初めてなんだ」


 初めて? もしかしたら、春日かすが、プリなんとかで写真を撮ったことがないのかもしれない。高校生の時は人気者だったとのこと、誰かと撮ってしまうと収拾がつかなくなるみたいな。


 ちなみに駅地下は既に閉まっており、入れなかった。しょうがないので、三人で駐車場まで歩いた。


――ガタコン、ガタコン、ガタコン


 遠くでいつまでも続く列車の通過音がする。きっと、貨物列車なんだろう。


 ちなみに、俺もプリなんとかで写真を撮ったことはない。そうか、こんな俺でも、プリなんとかデビューするんだ。

 彼女がいるって、色々あるけど、楽しいイベントも多いな。


 風は冷たいが、なんか、ワクワクする。また一歩、自分の心に素直になれた気がする。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


スマホのインカメラで自撮りすると、どうしてもレンズに近い部分が大きく写ってしまいます。そんなわけで、自然な写りを期待するのであれば、はやり自撮り棒は必須です。


一番、綺麗に写るのはズームを「二倍」ぐらいにして撮影するのが良いかと。



おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。

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それではまた!

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