リトルロケット
浅野エミイ
リトルロケット
秋の、寒くなってきたある日――。
今日は娘と河川敷で自転車に乗る練習だ。小さい頃からペダルのない自転車で練習してきたから、わりとバランスは取れると思う。
「パパ、支えててね!」
「大丈夫だって。支えなしでももう行けると思うぞ?」
「まだこわいー!」
娘とのそんなたわいのないやりとりが好きだ。楽しい。
仕事で疲れていて、妻に「娘の自転車の練習に付き合ってやって」と言われたときは、正直もう少し家でゴロゴロしていたかったのだが……。河川敷に出てきてしまえば、俄然やる気が出てくる。かわいい娘のために自動的に入る『お父さんスイッチ』というのはすごい。
自転車を走らせ始めた娘のあとを、私は小走りで追う。中腰で後ろを推すのは結構大変だな。これは夜、妻に湿布を貼ってもらわないと仕事に差し支えるかも。
「パパ、まだいる!?」
「いるよー。ちゃんと支えてるから!」
「ホント!?」
「おっと、前向きなさいっ!」
危ない、危ない。私を気にしすぎるあまり、後ろを見て前方不注意なんて笑えない。すぐに前を向く娘。これは行けそうだな。私はそっと手を放す。
「パパー?」
「大丈夫だよ」
「えー!?」
娘はすいすいと自転車をこいで私から遠ざかっていく。うん、大成功。娘も私がいないことに気づいたみたいだが、そのまま自転車を漕ぎ続けている。一度足を下ろして方向転換すると、私のほうへと走って来た。
「パパ! 乗れた!」
「やったな!」
娘と私はぱちんとハイタッチして喜ぶ。
これで私のミッションは完了だ。河川敷の野球場に設置されている時計は、正午を指している。昼ご飯の時間だ。
あっ……そうだ、今日は妻が外出してるんだった。昼の準備もしないといけない。困ったな、何にしよう。作るのも面倒くさいから、このまま外食でもいいけれど……。
「なぁ、梨花。お昼ご飯は何が食べたい? 自転車に乗れた記念に、好きなものをごちそうするぞ」
「えー……うーん、じゃあ、赤いきつね!」
「赤いきつね? そんなのでいいのか?」
「うん、だってパパ、疲れたでしょ? さっきから腰をトントンってしてるし。おうちに帰ってゆっくりしたほうがいいかなぁって思ったんだ」
「いやぁ、参ったなぁ」
娘はなんでもお見通しだ。私がもうさっさと帰りたいことや、昼ご飯で悩んでいることもすぐ察していた。賢いのは誰に似たんだ? 妻か。こういうしっかりしたところや気が使えるところはみんな妻似だろう。私はそんなに器用じゃないから。
「じゃ、きつねさん買って帰るか!」
「パパは大きいの買うんでしょ?」
「ああ、でか盛だな。パパはすごくお腹がへった!」
「私もー!」
秋の寒くなってきたある日、娘は自転車に乗れるようになった。こんな小さな記念は、赤いきつねでお祝いだ。
リトルロケット 浅野エミイ @e31_asano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます